![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/11154088/rectangle_large_type_2_d07ba48f9c84a15ec094b0280481c5fa.jpeg?width=1200)
幸せは、日常に落ちていると思うんです。
幸せって、本当に日常のすぐ側にあるんじゃないかなぁって思っていて。
人それぞれ、幸せの形ってもちろん違うけど、
幸せだな!って言えている人に共通しているのは、普段過ごしている、何の変哲もない日常の中に、幸せのタネを見つけている人なのかなって思うんです。
例えば僕は今、幸せだと思っています。
ワーホリをしていて、将来に悩んでいたり、これからの事を考えたりすると、めちゃくちゃ不安になる事もあります。
でもそれは不幸な事じゃない。
むしろワーホリにこれたから気づけた事・悩める事であって、それで「こんなに悩むなんて、あぁ俺は不幸なんだ」とはならない。
悩めるのも、選択肢があるからこそ。
そして、選択肢に気づく事ができたからこそ。
そう思うと、自分の境遇は幸せだなぁと思えるわけです。
他にも、空が綺麗だなぁとか、虹が見えたなぁとか、あの人と会えるなぁとか、ご飯美味しいなぁとか。
これって何も特別な事ではないと思うんです。
特別ではないからこそ、ひとつひとつが特別だって感じもあるんですけど。(この感覚わかるかな。)
当たり前にあるからこそ、それは特別。
だって、当たり前に美味しいご飯があって、お天道様を見て平和だなぁと思えるって、すごくないですか。
僕はこれってすごい事だと思うんです。
だから、特別じゃないからこそ、特別って感じ。
他にも、オーストラリアでワーホリをしていると、日常的に英語を使うわけですね。
ワーホリを始める前は全然分からなかった英語も、だんだんと聞き取れるようになって、理解できるようになるわけです。
英語を使って会話をしている時も、あぁ成長したなって思うんですけど、ふとイヤホンから流れてくる洋楽に、その洋楽は日本にいた時も聞いていた洋楽なのに、ふと意味が分かる時があるんです。
日常的に聞いていた洋楽の意味が分かる。理解できる。
そういう時に、あぁ英語で世界が広がったって思うんです。
そして、幸せな事だなぁと。
世界中には留学をしたくても、いや学校に行きたくても、行けない人たちはたくさんいる。
それを日本人という特権階級に生まれたような僕らは、自由に選択する事ができる。
行く事も、行かない事も選べる。
それはすごく幸せな事なんじゃないかなって。
何か大きい事をする必要なんてないと思うのです。
もちろん夢や目標があって、それを叶えた時には、もっと大きな幸せを感じる事ができるでしょう。
でも、幸せはそれだけじゃない。
美味しい味噌汁が飲めて、あったかいお風呂に浸かれて、友達と会ったり、好きな人と同じ時間を過ごしたり。
その日常のひとつひとつが、僕らにとっては幸せな事なんじゃないでしょうか。
そういう些細な幸せを僕は大切にしていきたいなぁと、そう思うわけです。
だって、いつだって幸せに生きていたいから。
こーた
https://twitter.com/kotabilover
https://www.instagram.com/_k.taa/
◽︎ こうたび。
https://ko-tabi.com/
サポートありがとうございます。今後の写真活動の資金にしていきたいと思っております。写真を通して”幸せを目に見える形に”していきます。