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小説 「私を 想って」

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高校二年生の鮎沢鞠毛(あゆさわ まりも)は自分の名前について悩んでいた。 でも、不器用な性格もあって相談できる友達はいない。   父、正臣(まさおみ)の再婚相手の涼花(りょうか)…
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2024年5月の記事一覧

私を 想って 第十六話

私を 想って 第十六話

 さっきまで雲一つなかったのに、今はうっすら雲が出てきている。

 はじめて近くで見た海は大きくて、私も篤人もあっという間に飲み込まれそうな迫力があった。砂浜を歩くと砂に足をとられ、よろけるたびに何度も篤人が身体を支えてくれた。

 砂浜には、折れた木が重なりあいながら砂に埋もれていて、昔本で見た恐竜の骨のように思えた。その中には座れそうなほどに立派なものもあって、どこから流れてきたのか不思議だっ

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私を 想って 第十五話

私を 想って 第十五話

 翌日、篤人の家に行き、昨夜涼花さんが話してくれたことをかいつまんで教えた。

「だから、お父さんは失踪でもなんでもないよ」
「うーん、そうなのか。でも、本当にそれだけ? 涼花さんは、本当に何も知らないのかなぁ」
「知らないと思う」
 まだ疑うの? と、篤人に対して少しあきれた。

「そういえば、篤人って、ここで生まれ育ったわけじゃないんだね」
「うん、そうだよ。あれ? 知らなかったっけ? 鞠毛と

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私を 想って 第十四話

私を 想って 第十四話

 その後、涼花さんは和さんに気に入られて、無事結婚した。念願のハーブ園を作り、バイパス沿いの店舗を改築し、カフェをオープンさせた。その頃の仁史さんの体調は、順調過ぎるほど安定していた。このまま回復に向かうんじゃないかと錯覚するほどに。その反面、子宝には、なかなか恵まれなかった。仁史さんはカフェのこともアドバイスしてくれて、和さんには治療をしつつ自宅で仕事をしていると言ってあった。

「まわりからは

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私を 想って 第十三話

私を 想って 第十三話

 車は置いてあるが、涼花さんは畑に出ているのか、家の中にはいなかった。
 悪いことをしているわけではないのに、私は忍び足で父の部屋へ向かい扉の前で深呼吸する。この家に引っ越してきてから一度も足を踏み入れたことのない父の部屋。そこに初めて入った。
 父の部屋は小さな机と本棚が一つあるだけだった。
 本棚の中にあの本はなく、夢中になって探していたら、いつの間にか涼花さんが部屋の中にいた。
「鞠毛さん、

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私を 想って 第十二話

私を 想って 第十二話

 和さんが倒れたあの日以来、涼花さんと一緒に食事をとっていない。顔を合わせて挨拶するくらいだが、ご飯の用意はしっかりしてくれていた。
 何かと忙しそうな涼花さんに迷惑をかけてはいけないと思い、和さんのことが気になっていたけれど聞くことも出来なかった。
 今日も寧々の家に遊びに行くことは、涼花さんが病院に行く前に伝えた。
「気をつけて行ってきてね。送ってあげたいけどバタバタしていて本当にごめんね」

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私を 想って 第十一話

私を 想って 第十一話

 田舎のひっそりとした神社のお祭りにしては、盛大で豪華なものだった。階段の下から見上げたことしかなかったから、境内が予想以上に広く立派なことに驚いた。
 夜店もたくさん出ていて、にぎやかな空間に自然と笑みが浮かぶ。子供の頃、近所でお祭りがあっても外から眺めるだけで、こんな風に誰かとお祭りに出かけたことはなかった。
 人混みの中にいるのに、何かを気にしたり、怯えたりしなくていい感覚を初めて知った。多

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私を 想って 第十話

私を 想って 第十話

 篤人のお父さんと妙さんが戻ってきたのは、だいぶ経ってからだった。和さんは、やはり長期入院になるらしい。お見舞いは和さんの様子を見ながらということになった。涼花さんは病院で手続きを終え、一度家に帰ってからお店に向かったと、妙さんから聞いた内容がスマホにも届いていた。
 帰り道にファミレスでお昼を食べ、篤人の家で夕食をもらってから家に帰った。

 誰もいない家は静かすぎるのになぜか耳が痛い。乱暴に水

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私を 想って 第九話

私を 想って 第九話

 気がつくと朝になっていた。カーテンの隙間から勢いの強い日差しが床を照らしている。
「痛っ」
 立ち上がろうとして思わず声がでた。
 膝を抱えた格好のままだったから、背中が痛い。眠っていたのか、それとも起きていたのか。視界も感覚もぼやけていてよく分からない。
 家の中は、静まりかえっていた。
 狭い借家にいたときもそうだが、広い家に一人でいると、よりいっそう自分が一人ぼっちなんだと感じる。
 昨夜

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私を 想って 第八話

私を 想って 第八話

 めずらしく、涼花さんは夕方に帰ってきた。早めにお店を閉めてきたそうだ。そのため、いつもなら涼花さんのいない週末の夕食だけど、三人そろって食べることになった。

 昼間和さんの口から聞いた涼花さんと、目の前にいる涼花さん。その二人のイメージがかけ離れていて、どうしても重ならない。
 それは、涼花さんの怒っている姿を一度も見たことがないからだ。 
 涼花さんはいつも笑顔で和さんのお母さんになりきり、

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私を 想って 第七話

私を 想って 第七話

  涼花さんがお店を開く週末を迎えたが、妙さんの捻挫はまだ良くなっていないようで、再び私が和さんのお世話をすることになった。 
 怖いから嫌だとは言えない。
「ごめんね、今日も鞠毛さんに頼んでしまって。午後には砂山さんが来てくれるけど、何かあったらすぐにメールしてね」
 涼花さんは私の気持ちには何も気付いていないのだろう。私だってこの気持ちをどう説明していいのかわからない。いつものように涼花さんは

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私を 想って 第六話

私を 想って 第六話

 週明けの月曜日は、涼花さんは「昨日はありがとう」と丁寧にお礼を言い、人に会う用事があるからと、朝から家を空けていた。そのお陰で、あまり顔を合わさずに済んだ。
 今日は砂山さんが朝から遊びに来ている。
 和さんのお世話を一人でできたことをすごく評価されたが、それほど喜べなかった。
 悶々としていたら、あっという間に時間が過ぎてしまい涼花さんが帰ってきた。いつもと変わらない様子の涼花さんを見て私も何

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私を 想って 第五話

私を 想って 第五話

 毎週金曜日から日曜日の三日間は、涼花さんが経営するカフェのオープン日だ。

 朝から出かけて、帰ってくるのは夜遅くになるときが多い。和さんは一人で自分のことはできるとはいえ、一人きりにするのはまずいだろうということで助っ人を頼んでいた。
 隣の地区に住んでいる和さんの妹の妙さんが、家に来て一日世話をしてくれることになっている。「ヘルパーさんに頼まなくても、私も元気だし、姉さんの面倒くらい大丈夫だ

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私を 想って 第四話

私を 想って 第四話

 マリーさんだ!
 いや、正確な名前は知らない。私と父は、その植物をずっとマリーさんと呼んでいた。亡くなった母が大好きだった植物だと父が言っていたことを覚えている。

 マリーさんは借家の軒下に生えていて、父が仕事に出かけるときは毎回、「お守りになるから」と、まだ柔らかい先の部分を摘んでは、ポケットに入れて持って行っていった。

 マリーさんに近寄って、父がしていたように柔らかい部分を摘む。清涼感

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私を 想って 第三話

私を 想って 第三話

 昨夜はなかなか寝付けなかったが、夏休み最初の日はいつもより早く目覚めた。確実に寝不足だけど、ゆっくり寝ていたい気分にはなれない。

「おはようございます。あの、何か手伝うことってありますか?」
 台所に立つ涼花さんに声をかける。

 ここ数ヶ月、毎日目にしてきた当たり前の光景。今日も同じく涼花さんが台所にいることに、ほっとした。
「おはよう。食事の準備はほとんど終わっているから、手を借りなくても

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