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私を 想って 第十五話

 翌日、篤人の家に行き、昨夜涼花さんが話してくれたことをかいつまんで教えた。

「だから、お父さんは失踪でもなんでもないよ」
「うーん、そうなのか。でも、本当にそれだけ? 涼花さんは、本当に何も知らないのかなぁ」
「知らないと思う」
 まだ疑うの? と、篤人に対して少しあきれた。

「そういえば、篤人って、ここで生まれ育ったわけじゃないんだね」
「うん、そうだよ。あれ? 知らなかったっけ? 鞠毛と同じ。引っ越してきたんだよ」
「知らないよ。……それで、私のこと、気になってたんだ」
「それもあるけど、それだけじゃないよ」
 それって、どういうこと? と聞こうとしたところへ、篤人の妹と弟が走り込んできた。

「まりねーちゃんあそぼ」
「まーねーちゃーん、あそぼ」

 篤人の妹と弟の声を聞いて、和さんがまぁちゃんと私を呼んでいたのは、和さんの知っている誰かではなく、もしかして本当に私のことを、まぁちゃんと呼んでいたのかもしれないと思った。
 私と篤人の周りをぐるぐると走り回っている。転ばないように気をつけろよーと篤人が言う。

「でも、おじさんの行方は分からないままなんだろ? 涼花さん本当に知らないのかな。手がかりもないし。あー、オレの初小説、どうなるんだよ」
 篤人は肩を落としてがっかりしていた。


 久しぶりに気持ちよく目が覚めた。
 涼花さんから父や仁史さんのことを聞いて、モヤモヤしていた気持ちが少し落ち着いている。
 昨日篤人にもそのことを教えたのに、篤人はまだ「納得いかないんだよ」とぐずぐず言っていた。これ以上何を疑う必要があるのだろう。

「病院に行ってくるわね」
「気をつけて。いってらっしゃい」

 あの日二人で話したおかげで涼花さんとの間にあった壁が薄くなり、以前のように自然と会話が出来るようになった。
 和さんの身体が回復したらお見舞いに一緒に行きたい。篤人も一緒に誘おうかな。
 そんな風に考えていたら朝から篤人がやってきた。

「本当は行きたくないんだけど。小説を書くにはさ、他にもう聞けるところがない」

 篤人はまだ父が失踪したミステリーノンフィクション小説を書くつもりでいるようだ。
 そのことに驚いて言葉が出なかった。

「白谷のおばばって言うんだけれど。母さんが子供のころから百二十歳っていう噂があって、今も生きてるんだよ。ヤバいよな! 本当は九十歳らしいけど。超能力? じゃなくて、霊能力? みたいな、なんでもわかっちゃう能力があるらしい。ちょっと話したことあるんだけど、いろんな意味でとにかく怖いんだよ。でも、この辺りで起きたことなら何でも知ってる。歳をとっても、記憶力は衰えてないみたいで……。魔女じゃないかって、オレは本気で思ってる」

 その白谷のおばばのところへ、父の失踪について尋ねに行くと言う。

「鞠毛も一緒に来てくれよ。一人じゃ、なんか怖い。な、いいだろ」
 初めて見る篤人の弱気な姿が新鮮で思わず笑ってしまった。

「え? なんで? ここ笑うとこ? 頼むよ」
 あまりにも必死で気の毒になり、いいよと返事をした。

 白谷のおばばは、神社とは反対側の山の麓に一人で住んでいた。と言っても大きな門がある家の敷地内だから、家族は目と鼻の先にいるのだろう。山や森に囲まれていて陰が濃い。
 前に住んでいた借家よりも小さな建物が、大きな家と離れてぽつんと建っている。
 簡素な作りの建物に立派な赤い扉がついていた。

「こんにちはー! 予約している山中篤人です。入ります」

 篤人の声は大きかったけれど、表情は緊張している。部屋の中に入ると、うるさく鳴いていた蝉の声が聞こえなくなった。
 部屋の中は思っていたより明るくて物が少なく、何か嗅いだことのない花のような香りがしている。

「どうぞ」

 声がする方を見ると、薄くて白いカーテンの向こうに人が座っているのが見えた。
 カーテンをめくり、その先へ入る。
 白谷のおばばは、だるまのような体型の老婆だった。小さくて丸い。目は細くて皺に埋もれているので、閉じているのか、開いているのか分からない。頭の白髪はふさふさとして長く、後ろで束ねていた。ただし、その髪の毛を縛っているのは、藁のようだった。

「何を聞きたいんじゃね」
「この、鞠毛のお父さんについて、知っていることを全部」

 白谷のおばばは私をジロッと見た。

「ふん、正臣さんのことかい。それで、あんたは何をおばばに教えてくれるんだね?」

 父の名を知っていることに驚いた。それにおばばの声には張りがあり、九十歳とは思えなかった。もしかしたら、見た目は年寄りだけど、実年齢は若いのかも? でも篤人のお母さんが子供の頃には、すでにおばあさんだったと言っていた。

「 秘密を知りたけりゃ、あんた達の秘密をしゃべるんだよ」
「あの……私も秘密をしゃべらないといけないんですか?」
「もちろんだよ、二人できたんだから、当然だろう」

 私は篤人を睨んだ。篤人が一人で来れば、私が何かをしゃべる必要はなかったのに。父のことを知りたいけど、自分の秘密をしゃべるのは、篤人が隣で聞いているし、抵抗がある。

「オレの秘密は、そうだなぁ。将来小説家になりたいってこと」
「そんなこと、とっくに知っておるわ。わしの知らない秘密でないと、ダメじゃな」

 おばばが首を横に振る。

「うーん、それなら、オレがここに越してきてすぐ、家出したことは、どう? そのとき母さんが必死に探してくれて、ものすごく叱られてビビったな。母さんとはずっと一緒に暮らしてなかったからさ。突然、あんたのお母さんだよって言われて、こっちに越してきて一緒に住むことに抵抗があったんだよ。父さんと、叔母さん一家とじいちゃんと住んでいたのがオレの居場所だったから。だから帰りたくて家出した。結局、この町を出る前に見つかっちゃったけど。母さんから家出するなら、きちんと準備して家出しろって叱られた。思いつきで家を出たんじゃ、心配で仕方がないって。なんだそれ? って思ったけど顔を真っ赤にして泣いていてさ。その出来事から少しずつ変わろうって気持ちになったかなって言うかさ、母さん、おばばに相談しに来たんだよね」
「……そうじゃよ。おまえがどこにいるか教えてくれってすごい剣幕だったわい。これも秘密じゃないわなぁ」

 そう言って深くため息をつき、おばばが私を見る。

 やっぱり話さないとダメなんだ。
 おばばの目をゆっくりと見た。

「私の秘密は……名前が鞠毛と言って『毛』って文字がついていることで、子供の頃にからかわれて、嫌な思いをしてきた。だから、自分の名前が好きじゃない」
「まだじゃ。ほかには?」
「父がいないことがすごく……さびしかった。いい子にしていないと、一緒にいられないと思った。もしかしたら捨てられるんじゃないかって、心配だった」

 息を吐きながら一気に言葉に出す。
 記憶の奥で誰かが「この疫病神」と叫んでいる。
 その言葉と「全部忘れろ」と真剣な顔の父が重なる。
 これっていったいなんだろう……。

「それだけかの」

 おばばの声に意識が戻る。
 これ以上は、本当の秘密。
 口にしたら現実になりそうで怖い。
 でも、言わないと駄目なんだろう。ぎゅっと手に力が入った。

「私が好きになる人は……みんな私の前からいなくなる」

 おばばがどういうことかと、先を促す。

「近所に住んでいて、一緒によく遊んでいたみっちゃん。みっちゃんのお父さんは工場を経営していた。みっちゃんのお父さんが浮気しているのがわかって、みっちゃんのお母さんは、みっちゃんとそのお姉ちゃんを連れて出て行った。それ以来、どこで何をしているのか知らない」

 おばばは私を見つめ黙って聞いている。

「近所の借家に住んでいた絵梨ちゃんのお母さん。こんなお母さんがいたら、いいなってずっと思ってた。いつも優しくて……すごく、好きだった。でも、交差点を曲がってきたダンプに巻き込まれて……死んじゃった。絵梨ちゃんのお父さんは絵梨ちゃんと弟のたぁくんを連れて、どこかへ引っ越していった。私は絵梨ちゃんのことが好きだった。私が好きになる人は、みんないなくなる。私の前から消えていく。だから、私は誰も好きになってはいけない。そう思っていた。
 ……学校では名前のことでからかわれたけれど、それ以外は私のことを誰も気にしないからちょうど良かった。
 学校に好きな人はいなかった。
 でも、ここに越してきて、誰一人、学校でも、私の名前のことなんて気にしなかった。みんないい人ばかり。好きになりそうなくらいに。
 父の再婚相手の涼花さんは素敵で……本当に理想のお母さん。好きな気持ちを表に出したらいなくなるかもしれない。和さんは、はじめは怖かったけど、今は平気。好きになりかけていた。そうしたら、入院した。
 父と……もっと一緒にいたかった。お金がなくてもいいから、一緒にいたかった。寂しかった。
 お父さんのことを好きになると、お父さんが事故にあって帰ってこられないんじゃないか。そう思ってた。だからずっと誰かを好きになることが怖かった」

 一気に気持ちを吐き出しうつむいた。おばばが頷くのが目に入る。
 こんな風に思っていたことを誰かに話すことは、はじめてだった。口の中はカラカラに乾いている。
 篤人がそっとハンカチをよこした。私が泣いていると思ったのだろう。
 意に反して、綺麗なハンカチだった。

「おまえさん、まだ奥深くに何かあるな。そろそろ思い出してもよいと思うがなぁ。すべてわかるときが来ても、恐れることは何一つない」

 おばばが目を閉じながら低い声で言った。
 思い出すって、何のことだろう。
 おばばはゆっくり目を開けてまっすぐ私を見た。

「正臣が今どこにいるのか、それは知らん。ただ、五月末で会社を辞めて、どこかに行った。それは確かだ」
「……会社を辞めている?」

 それじゃあ、先月から父が帰ってこないのは、今までのようにトラックで全国を走り回っているからじゃないんだ。
 会社を辞めているって、涼花さんはそんなこと、一言も言わなかった。もしかして、知らないとか。いや、そんなことはないはずだ。
 どうしてそのことを秘密にしていたの?
 何故私に何も教えてくれないの?
 父が今どこにいるのか知らないって言っていたけど、もしかしたら、それも嘘なの?
 何を信じたらいいのだろう。
 頭の中がぐちゃぐちゃになり黒い物が心を覆っていくように感じ、身体がぐらついた。

「オレは、ここにいる」

 篤人が身体を支えてギュッと手を握ってきた。
 優しく、でも、しっかりと力を込めて。
 一昨日は、涼花さんの話を聞いて、すっかり解決した気持ちになっていたのに……。
 誰を信じればいいのか。何を信じたらいいのか。

「鞠毛、しっかりしろよ。おばばの言うことが全部当たってるわけじゃないぞ。おじさんは仕事をやめてないし、今もトラックに乗っているかもしれないじゃないか。今のところ、おばばの話しは、全部は可能性の範囲内だろ。それに、オレはずっと鞠毛の前から消えないよ」

 篤人の手はあたたかく、思っていたより大きかった。
 しばらくして気持ちが落ち着き、篤人の前で泣きそうになった自分を客観視してとても恥ずかしくなった。

「わしの前で、仲がいいのぅ。しかも、わしの言うことが嘘かもしれないと、本人がいる前で言うとはね」

 おばばが不気味に笑った。篤人の顔から血の気が引いている。

「あの、ごめんなさい。失礼しました。あ、ここにお金置いておきます」

 慌てておばばの所から逃げるように帰ってきた。結局何もわからないままだったし、涼花さんにどんな顔をして会えばいいのか分からなかった。

「なぁ、ちょっと海にいかないか?」
「……海?」
「そ、バスで30分くらい」

 いいよ、と頷いた。
 いろんなことを考えたいのに頭上から降ってくる蝉の声がうるさくて、何も考えられなかった。
 空を見上げる。日は高いのに、私たちが立っている場所は木々の陰で深い闇にいるようだった。まるで森に閉じ込められたように感じ、少し怖くなる。
 珍しく言葉少なめな篤人とバス停まで自転車を押しながら歩いた。




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