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私を 想って 第十三話

 車は置いてあるが、涼花さんは畑に出ているのか、家の中にはいなかった。
 悪いことをしているわけではないのに、私は忍び足で父の部屋へ向かい扉の前で深呼吸する。この家に引っ越してきてから一度も足を踏み入れたことのない父の部屋。そこに初めて入った。
 父の部屋は小さな机と本棚が一つあるだけだった。
 本棚の中にあの本はなく、夢中になって探していたら、いつの間にか涼花さんが部屋の中にいた。
「鞠毛さん、何か捜し物?」
 少しバツの悪い思いをしながら、子供のころに読んだ絵本が、どこかにないかって探していましたと、正直に答えた。
「魔法のお話? みたいな本なんですけど」
「その本、私が持っていると思う」
 涼花さんと一緒に涼花さんの部屋に行く。綺麗に片付いた部屋から心地よい香りがしている。いつもそこで作業をしていると思わせる使い込まれた机の引き出しから、一冊の本を取り出した。あの本だった。涼花さんから手渡され、パラパラとめくると一番後ろのページが破けていた。
 いつ破けたのだろう。
「これは、正臣さんから、結婚したときにもらった本なの」
 柔らかい顔で微笑む涼花さんを見て
「あの、いろいろ聞きたいことがあって。……いいですか?」
 寧々とたくさん話したおかげなのか、心の中の声を簡単に口に出すことが出来た。
「いいわよ。こうして鞠毛さんと二人でゆっくり話すことなかったわね」
 和さんのいない、二人きりになった家で、涼花さんの話を聞く。そう思うと、なぜか緊張した。
「まずは夕飯食べましょうよ。本も一緒にもっていくわね」
 そう言って私から本を受け取った。
 二人で食べた食事は、いつもより口数が少なくて味もよくわからなかった。


 ほんのりと、りんごのような甘い香りがキッチンに広がる。
「カモミールティーよ。リラックスしながら話が出来るように。少しだけ温めてあるから」
 白いシンプルなマグカップを涼花さんから受け取り、両手で包み込んだ。
 涼花さんはいつもの穏やかな表情で私を見つめている。
「どんな話しをしたいの?」
「涼花さんの……前の旦那さんのこととか、仕事のこととか、です」
 本当は父や和さんのことを聞きたかったけれど、いきなり聞くことは出来なかった。
「わかったわ。思い出しながらだから、少し時間がかかってしまうかも」
 そう言ってカモミールティーを一口飲み、涼花さんはゆっくりと口を開いた。

 涼花さんは緩和療法の病棟で薬剤師として勤めていた。主に癌患者の苦痛を軽減することを目的とした療法だ。
 以前は癌中期から末期の患者さんに大して行われていた療法だったが、今は初期の癌患者さんも対象になっている。その方が、生存率があがるという統計結果がでているそうだ。身体的ケアに加え精神的、社会的ケアも行っているという。
「入院してくる患者さんは、高齢者ばかりではないの。まだ若い患者さんも、たくさんいるわ。子供達が最期のときを迎えるために、やってくる。そういうときは、本当にたまらない気持ちになってね」
 幼い患者さんが相次いで亡くなり、涼花さんは精神的に落ち込んでしまった。
 そんなときにデパートに入っていたお店でアロマに出会った。いい香りに心が癒やされ、その場でアロマの本を購入し、本格的に勉強をはじめるとハーブにも興味をもつようになった。
「何か夢中になれるものが欲しかったの。私の場合、その一つが、ハーブだったのね」
 涼花さんはそう言ってカモミールティーを見つめながら、続きを話しはじめた。
「このまま仕事を続けようか、それとも辞めようか悩んでいて」
 涼花さんが仁史さんと出会ったのは、ちょうどその頃だった。仁史さんは、MRの仕事をしていた。
 医薬品に関する情報を医者や薬剤師に提供し、医薬品の適正な使用を促す役割の仕事。製薬会社の情報営業社員とでも呼べばいいのかもしれない。
 あるとき、仁史さんに『そんなに張り詰めていると、心が壊れちゃいますよ』と言われ、それから彼を意識するようになった。
 涼花さんは、病院内ではいつでも、気丈に、でも思いやりと優しさを持って誰に対しても接し、弱い姿を誰にも見せることはなかった。だから仁史さんの一言を聞いて、どうして自分の心を見抜かれたのだろうと、気になった。
 それから薬剤師とMRという関係だけでなく、プライベートなことも話すようになり、仁史さんの穏やかな性格に心が惹かれていった。
 そう思い始めた矢先、仁史さんではない別の人に担当者が変わってしまった。連絡先を聞かなかったことを後悔し、縁がなかったんだな、そんな風に思いながら時間が過ぎた。
「私の実家は建設会社を経営していて、今は兄たちが会社を継いでると思うけど。鞠毛さんと同じように小さな頃に母親を亡くして、義母がいるの。その人すごく意地悪でね。……就職するときに家を出て、それ以来連絡していないわ。誰もしらない場所で一人で生きていこうと思ってたの。だから結婚にも前向きじゃなかったし、生きていく意味ってなんだろうっていつも思っていた。でも、また出会ったの。仁史さんと」
 ある日、できる限り自宅療養を希望する患者さんが、他の病院から転院してきた。それが仁史さんだった。
 仁史さんは仕事を辞めていた。なぜなら癌に冒されていたから。
「体調が悪かったのに頑張りすぎてたのね。病院に行ったときには酷い状態だったって。病気になっても仁史さんは、前と何も変わっていなかった。優しすぎるの。自分だってつらいはずなのに、真っ先に人のことを気にかけるのよ。だから最初に出会ったとき、私の隠していた心も、見抜かれちゃったのよね。今度はしっかり連絡先を聞いたわ」
 仁史さんの個人的な話しを聞いたのは、それからしばらくしてからだった。
「彼が言ったの。『僕には高齢の母がいる。母は、僕の結婚を望んでいる。古い集落だからね、僕が後を継がなくちゃいけない。でもこの通り、病気になってどうにもならない状態だ。それでも僕と結婚し、子供を産んでくれる女性がいるのだろうか。しかも、母の眼鏡にかなうような女性が』
 仁史さんは、それだけが、唯一の心残りだと言っていて。そのとき、私で役に立てるなら、お母様に、ご紹介いただけますか? と答えていた。今考えても、なんて厚かましい女なんだろうと思う。でも、あのとき、心から仁史さんの役に立ちたかったし、二人の子供ができたら、それこそ、生きる意味を見いだせると思ったの。
『先のない自分より、もっとふさわしい相手がいるはずだ。それでも、僕を選ぶのか。君自身の夢はないのか』と、何度も聞かれたわ。その度に、私は仁史さんがいいと答えた。そして、私の夢は、ハーブを育て、それを提供する料理のお店を出したいって、伝えたの。
『それならちょうどいい。実家で野菜を販売していた小さいお店がある。今はそのまま放置してあるから、その店を好きに改造すればいい。君の夢は簡単にかなえられる。でも、実家には土地もお金もあるから、口さがない連中が、財産目当てで結婚したと言うだろう。何しろ、入籍した次の日に、死ぬかもしれない体だからね。母にはちょっと体調を崩して休職してると言ってある。ギリギリまで心配かけたくないから』って笑ったのよ。それを聞いたとき、なんとしても仁史さんを生きながらえさせて、子供を産んで、お母様のお世話をするんだって、心に誓ったわ」

 涼花さんはそこまで話すとハーブティーを一気に飲み干した。

「鞠毛さんもおかわりする?」
 微笑んでいたがどこか暗い表情をしている。

「大丈夫です。……あの、実は和さんが暴れたの、この前だけじゃないんです。ごめんなさい。和さんが涼花さんのこと人殺しって言っていたから……どうしても言い出せなくて」

 涼花さんは言いにくいことも丁寧に話してくれた。だから私もちゃんと話して、しっかり謝ろうと思った。握っている手に力が入る。

「鞠毛さんにもそう言ったんだ……。お義母さんの中で、私は永遠に人殺しなのね」

 そう言って新しくカモミールティーを入れた。さっきと変わらない表情は、悲しんでいるのか、怒っているのか、私には涼花さんの気持ちはわからなかった。

「全部……全部、話さなくちゃね」
 涼花さんはふっと息を吐き、私をまっすぐ見てゆっくりと口を開いた。





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