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私を 想って 第十六話
さっきまで雲一つなかったのに、今はうっすら雲が出てきている。
はじめて近くで見た海は大きくて、私も篤人もあっという間に飲み込まれそうな迫力があった。砂浜を歩くと砂に足をとられ、よろけるたびに何度も篤人が身体を支えてくれた。
砂浜には、折れた木が重なりあいながら砂に埋もれていて、昔本で見た恐竜の骨のように思えた。その中には座れそうなほどに立派なものもあって、どこから流れてきたのか不思議だった。
篤人は汚れることも気にしないで砂浜にゴロリと寝転んだ。
「オレさー、嫌なことあるといつもここに来てんの」
うおーっといいながら伸びをしている。
少し離れて砂浜に座ってみたが、思っていたより熱くはなかった。
「篤人にも、嫌なことあるんだ」
「まあね」
それ以上篤人は何も言わないので、ぼんやり波を眺めた。ザーザーと大きな音が聞こえてくるが、不思議と心地がいい。
「オレの母さん、高校の時にさ、家出して父さんと出会ってオレが出来たんだって。ヤバくね?」
それですごく若いんだと納得した。
「でもさ、育児ノイローゼっていうの? うーん、オレのことが嫌になっちゃったのかな。父さんとオレを置いて実家に帰っちゃって。それでオレは父さんと、じいちゃんと、叔母さん一家と住んでいたんだよ。オレ、母さんいないってずっと思ってたんだけど。母さんの記憶がないし、誰も何も言わなかったから。中学になったとき、父さんからおまえには母さんがいるし、弟妹もいるって言われて。なんだそれ? ってなって。父さんは母さんに会いに行ってたんだぜ。しかも弟も妹もいて。で、急にこっちに住むぞって言われて。なんか頭きたんだよ」
いつものように陽気な声で篤人が言った。でも陽気な内容じゃない。なんて答えていいのかわからず、ただ隣に座っていた。
「別に、いいんだけど。何不自由なく生きてきたし、今も幸せだって思ってる。でも、こっちに越してきた時は、なんかイライラしちゃってさ。家出したり、海で一晩過ごしたりした。まぁ今は、親もいろいろあるんだよなって思えるようになって……成長したのかなぁオレも。親もさ、思ったより大人じゃないよな。子供は親の都合で振り回されちゃうこともあるけど。でもなんか、どこの家にもいろいろあるし。だから、どんなことも楽しまないと損だよなぁって思ったんだよ」
そう言ってよいしょっと起き上がり座り直した。
「……そうなんだ」
「そう。オレの秘密。鞠毛の秘密も聞いちゃったし」
篤人はいつもと変わらない顔で笑った。
そうだった篤人の前で自分の気持ちをいろいろしゃべってしまったんだ。
急に恥ずかしいような変な気持ちが湧き上がり立ち上がって海の近くへ歩きだした。
「それにしてもさ、鞠毛の名前でからかうヤツは許せんよな。だって親からもらった最初のプレゼントみたいなもんだろ。名前って」
波の音に負けない篤人の力強い声が耳に届く。
海に足が浸からないギリギリのところで波を見つめた。
「急に波が高くなるときがあるから危ないぞ」
篤人に腕をつかまれ倒れそうになりよろけた。
いつも見ている優しい顔が目の前にあり思わず目をそらす。
「鞠毛ってちゃんと食ってる? もっと太った方がよくない?」
心配そうな篤人の顔を見ていたら、なぜだか気が緩んで身体の緊張がとれた気がした。
「私、海に来たのはじめて。知らないことが人よりすごく多い。だから篤人がいろんなとこへ連れ出してくれるの感謝してる。ありがとう」
私の言葉に篤人は少し驚いた顔をしてから海を見た。
「あんな山の中に住んでいるのに、いつでもバスで海にこれるっていいよな。なんかさ、嫌なこと口にしても波が全部どこかに持って行ってくれる気がするよな。だから時々ここに来て、ぼんやりしてるんだ」
篤人からもう一つ秘密があると言われた。
仁史さんの秘密。
篤人のお父さんが、こっちに越してきてしばらく経ったときのこと。篤人の家出よりも後の出来事だ。
仕事になかなか慣れなくて篤人のお父さんは、頻繁にお酒を飲みに行っていて、そのことでひどい夫婦げんかをした。
その夜、篤人の父さんはしたたかに酔っ払って、家の前の川に落ちたらしい。
川と言っても、田んぼに水を引くだけの小さな川だ。流れも速くないし、なにより浅い。子供の膝丈くらいの深さしかない。溺れることはまずない。
それでも泥酔していれば話しは別だ。
川に落ちたところを仁史さんに助けられ、その夜は仁史さんと一晩飲み明かしたという。何を話し合ったのかは知らない。
それからは、篤人の父さんが、どこかへ飲みに行くこともなくなった。嫌々やっていた養鶏場のことも積極的に取り組み始めたという。
だから、仁史さんがいなくなって、鮎沢の家のために、何かできることがあれば、何でもしたいんだって、それが我が家の考えなんだ。だから、鞠毛は遠慮することないよ。と篤人は言った。
「白谷のおばばがさ、鞠毛に思い出してもいいって言ってただろ。ばばには何が見えたんだろうな。やっぱなんか能力あるのかなぁ。母さんはおばばのこと霊能力もあるし、カウンセリングもしてくれるって言ってたけど。オレには怖いばあさんにしか見えないよ」
本当は少しずつ、自分のことを思い出すようになっていた。だからおばばの言葉に驚いた。
でも、この記憶は本当のことなのか、自分でもわからないし、事実だったら、とても怖い。
「まぁ鞠毛がどんな過去を持っていようが持ってなかろうが、オレはずっとそばにいるから。安心しなよ」
その後もたわいのない話は続き、篤人がお腹がすいたから帰ろうと言ったので来た道を帰った。
帰り道はいつも通りの陽気な篤人だった。
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