私を 想って 第十七話
家には誰もいなかった。
自分の部屋にいき窓を開ける。むっとした暑い空気が外へ抜けていく。
目の前の景色を眺めながら、白谷のおばばの言葉や篤人との会話を思い出す。
ずっと心に波をたてないように生きてきた。
自分に起こった出来事は、どこか自分じゃない人の、物語の中の出来事のように思っていた。この先もきっとそんな風に生きていくと思っていたのに。最近は心の中が騒がしい。
ここに来ていろんな人の気持ちに触れたことで、誰かの思いを聞くことは怖いことではないと知った。
涼花さんから少し遅くなるからと、連絡が入った。食事は冷蔵庫に用意してあったので一人で食べた。食器を重ねる音がやたらと大きく聞こえる。
なんとなくこんな風に一人で過ごすのが懐かしく思った。
涼花さんは夜遅くに帰ってきた。こんなに遅くまでどうしたのだろう、と心配な気持ちと顔をあわせなくていいんだ、と思う気持ちがごちゃまぜになる。
何か話したそうな涼花さんを避け部屋に戻った。
涼花さんからしたら、私の態度が急に変わったことを不思議に思っているかもしれない。白谷のおばばに話しを聞いただなんて、想像もつかないと思う。
しかも、私がその話しを信じている。
あれほど信頼していたはずの涼花さんのいうことより、白谷のおばばが言ったことを信じているのは、何故だろう。
私が自分の秘密を引き替えに手に入れた情報だからなのか。
それとも、絶対に話さないと決めていた秘密を話してしまい、私はもう誰も好きになってはいけないと、思っているからなのか。
今の状況は、好きになっていた涼花さんのことを信じることができなくて、心が離れている。まさに私の秘密の通り、好きな人は私から離れていなくなるように感じた。
きっと私は呪われている。
私を産んだ母が早くに亡くなったのも、もしかしたら私の呪いのせいかもしれない。
嫌な考えばかりが、頭の中で回り続けている。
いろんなことを思い出せと言った白谷のおばばの声を思い出す。
いろんなことを思い出さないように、何も感じないように生きてきたのに。
ベットの上でボンヤリしているとスマホが鳴った。
「この間はありがとね! あのね夏休み一緒にバイトしない? 隣町のオルゴール館で短期のバイト募集してるの」
寧々の明るい声が耳に響き、少しだけ気持ちが軽くなった。
「私、バイトってしたことないよ」
「私もないよ。だから一緒に出来たらいいなって思って。ルーラってお店なんだけど、いろんなオルゴールが展示されてるし、可愛いオルゴールも売ってる」
「そうなんだ。見てみたいな」
「え、じゃあ今度二人で見に行こう。鞠毛は何色が好き?」
「色……青かなぁ」
「いいね。なんか青ってイメージ」
どうしてバイトをしたいのか、実はオルゴールが好きだとか寧々は興奮気味に話し、すぐに計画立てよう、また連絡すると言って通話が切れた。
寧々のおかげでじっとり重かった気持ちが少し軽くなった。
和さんの容態が悪いからと涼花さんと一緒に病院に行ったのは次の日の夕方だった。
思っていたより綺麗な建物の中に入ると、きつい消毒の匂いが鼻についた。
急に怖くなって心臓の鼓動が早くなる。
「鞠毛さん、ごめんね。もっと早くに和さんに会わせてあげればよかった」
ベッドの上に寝ている和さんはとても小さくなっていた。
こんなに小さな和さんのことをどうして怖いと思っていたんだろう。小さなしわくちゃな和さんの手をそっと握ったけれど握り返してくれることはなかった。
涼花さんは静かに泣いていたけれど、私は和さんがいなくなった実感がわからないでいた。
ただ「まあちゃん」と呼ばれることはもう二度とないんだ、と思うと寂しかった。
自宅で葬儀をすることに慣れているのか、ご近所さんの手際の良さに驚いた。私は座布団を用意したり、料理を運んだりしている。何もかもが速いスピードで体も心もついて行けずに自分だけそこに取り残されているような気持ちになった。
近所の人のおかげで葬儀はあっという間に終わった。妙さんも足の具合はよくなっていて、涼花さんのそばに付き添っている。
母が亡くなったときのお葬式の記憶は一切ない。だからお葬式に参加するのははじめての経験だった。火葬場に行くこともはじめてで、人の骨があんなに小さな入れ物にぎゅうっと収まってしまうことにびっくりした。
そういえば、小さな頃「ここにお母さんが入っているんだよ」と、父に言われたような気がした。
あの入れ物はどこにいったのだろう。思い出そうとしたが周りが賑やかくて集中できない。篤人のお父さんやお母さんも手伝いに来てくれた。いつも静かな家が人混みのようになっている。ぐるりと家の中を見渡す。知らない人が多くいて人酔いをしそうだった。
私にも何か出来ることがないか、でも何をどうしたらいいのかわからない。うろうろしていたら
「鞠毛さん、疲れたでしょ? 部屋で休んでいて」
涼花さんに言われ、部屋に戻ったけれど落ち着かなかった。
足を抱え床に座っていると、入るぞと篤人が部屋に入ってきた。椅子にまたがり背もたれに両手を乗せ寂しそうな顔をしている。
「和ばあちゃん、いなくなって寂しいな」
「……うん」
二人で黙っていると
「和さんも、つらいことばかりだったなぁ」
「ここの家どうなるんだ?」
いろんな人の声が聞こえてきた。気になってリビングに行くと知らないおじいさんとおばあさんが怒っているようにイライラしながら立っていた。
「あんた、ちゃんと姉さんの世話してたんか?」
そのおじいさんが涼花さんを突然怒鳴りつけた。涼花さんが口を開こうとした時、
「何言うとるの! 和姉さんの気持ちを踏みにじったのはあんたらやろ! さっさと帰りな。ここの家はもう涼花さんたちの家なんだよ」
いつも穏やかな妙さんが大きな声で怒鳴り、キッチンへ行った。しばらくすると塩の瓶を手に持ち、その人達に塩をまきながら二度と顔を見せるな、と叫んでいた。
「何があっても、もう二度とこねぇわ!」
そう言い返しながら、おじいさんとおばあさんはばつが悪そうな顔をして近所の人が見ているなか、足早に帰って行った。
「気にせんでいいから」
妙さんの言葉に涼花さんは小さく頷いた。
篤人のお母さんが、あの人たち和さんの弟妹だよ、と教えてくれた。
「大丈夫か?」
篤人が心配してくれたが体は震えたままだった。ひそひそと小さな声が聞こえてくる。
その声を無視するように「ごめんねぇ。まったく困ったもんだよね」妙さんは明るく振る舞っていたが、青白い顔をしている涼花さんは今にも倒れそうだった。
夜になり、あんなに賑やかだった家が今は静まりかえっている。
涼花さんはお寺に届ける物があるからと、さっき出かけてしまった。
妙さんの家族は先に帰っていたが、妙さんは残って家の中を片付けてくれている。私も一緒になって座布団を片付けたり、湯飲みを洗ったりした。少しでも早く日常の景色に戻したかった。
「鞠毛ちゃんも、こっちきてさ」
妙さんと一緒に、和さんの遺影の前に座った。
笑っている和さんの写真は、今よりずっと若い顔をしていて、私の知っている人とは別人のように見えた。
いつも和さんのところへ来ていたのに、妙さんとこんな風にゆっくり話して過ごすことはなかった。
「あの人は本当に働きものだね。いいお嫁さんだよ。仁史もいい人を見つけたのに、これからってときにね。やりきれないね。いや、正臣さんや鞠毛ちゃんがどうこうって言いたい訳じゃないんだよ。和姉さんと仁史と涼花さんがさ、楽しそうに暮らしてるの知ってるから……」
「分かってます」
この機会に、妙さんに聞きたいことがあった。
「和さんは、私のことをずっとまぁちゃんって呼んでいましたけど、あれって、私を誰かと間違えていたのでしょうか。それとも、私のことを分かっていて、鞠毛だからまぁちゃんだったのでしょうか」
「そうだね……。もう誰かに話してもいいのかもね。なにしろ、鞠毛ちゃんはまぁちゃんなんだし。鮎沢家ってのは、昔からの大地主で、この辺りの土地をたくさん持っていたんだよ。でも、男縁が薄くて、男は早死にするか、家を出ている。婿養子も同様。
和姉さんの夫の幸太郎さんは、仁史が高校生のときに亡くなっているしね。その原因は、若い頃に川に車で転落したときの怪我が元になっていたって聞いたよ。
その事故のとき、一緒に車に乗っていたのが、和姉さんだったんだ。和姉さんのお腹には子供がいてね。女の子だろうって言われていたんだけどさ。兄弟みんなで、生まれてくるのを楽しみにしていたんだ。姉さんは『まりこ』って名前をつけるんだっていってお腹に『まぁちゃん』って呼びかけていたのを覚えているよ。
だけどその事故で、お腹の子は流れてしまった。次の妊娠もできないだろうっていわれて、姉さんはしばらく心神喪失状態だったよ。幸太郎さんも足を悪くしてね。大工をしていたから、仕事を続けることもできなくなった。
そうそう、この家を建てたのも幸太郎さんなんだよ。
鮎沢の跡取りがいないんじゃ話にならないって、兄や姉が大騒ぎをしだしたんだ。不動産がたくさんあるから、欲に目がくらんだんだだろうね。
その騒ぎを聞いて、和姉さんは正気をとりもどしたんだから、皮肉なもんだよ。
和姉さんだけ歳が離れていて私の上に二人の兄と、姉が一人いるんだけど、和姉さんの一喝で、何も言えなくなったんだよ。なにしろ、母親は私を産んですぐに亡くなったから、兄や姉にとっても和姉さんが母親代わり。逆らえるようなもんじゃないよ。
それ以来、私以外の兄姉は出入禁止。いまでも家に寄りつかなくなったね。
……そうなんだよ、仁史はね養子なんだ。本人は知っていたのかどうかは、今となってはわからない。和姉さんも幸太郎さんも、事故の後遺症で痛みがひどくて、仁史はそれをなんとかしてあげたいってよく言ってたよ。優しい子でね。ちゃんと稼いでいい治療を受けさせてあげたいって。MRだっけ? 仕事で飛び回っていたよ。大学からずっと好きなことをさせてもらったから、結婚したら実家に戻って、家を継ぐって言っていた。
答えになってなくて悪いけど和姉さんの言う、まぁちゃんが、まりこなのか鞠毛ちゃんなのかは、わからないよ」
妙さんは仁史さんのことを本当に悲しんでいた。
もしかしたら、仁史さんの母親って妙さんなのかもしれない。そんなことを、ふと思ったが、聞くことはできなかった。
仁史さんの思い出話をひとしきりしてから
「ちゃんと戸締まりしてね」
そう言って妙さんは帰っていった。
第一話はこちらから
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