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私を 想って 第十二話

 和さんが倒れたあの日以来、涼花さんと一緒に食事をとっていない。顔を合わせて挨拶するくらいだが、ご飯の用意はしっかりしてくれていた。
 何かと忙しそうな涼花さんに迷惑をかけてはいけないと思い、和さんのことが気になっていたけれど聞くことも出来なかった。
 今日も寧々の家に遊びに行くことは、涼花さんが病院に行く前に伝えた。
「気をつけて行ってきてね。送ってあげたいけどバタバタしていて本当にごめんね」
 気にしないでくださいと、玄関を出ていく涼花さんを見送った。本当はもっといろんなことを涼花さんに聞いてみたい。でも、和さんが倒れた日から、二人の間に距離ができたように感じていた。 
 こういうタイミングって、どうやって修正したらいいのだろう。習っていないし、経験したこともないからわからない。
 なんとなく涼花さんの方でも、私を避けているというか、私に対して遠慮しているような気がしている。すっきりしない気持ちを心に抱えたまま家を出た。

 ここに越してきて、初めてのバスに乗る。バスに揺られながら流れていく景色を見つめた。
 私の住む南芦原町は小さな盆地だ。それに対し、芦原市は、蛇行する川に沿って町並みが形成されている。寧々が住んでいるのは、芦原市の南の外れだった。
 バスから降りると寧々が待っていて、身体中からワクワクがにじみ出ているのを感じた。

 寧々はとにかく話しをする。あれが好きでこれは嫌い。笑ったり怒ったり興奮したり忙しい。それも自分の話ばかり。自慢話でもないし、誰かの噂や悪口は決して言わなかった。私はいつでも「そうなんだ」となんとなく相槌を打つだけだったけれど、寧々は満足そうにしていた。
 寧々が牛乳が苦手なことや、魚釣りが趣味の弟がいることを知った。
 今日もそれは変わらない。学校でも家でも、寧々は自分の顔を使い分けたりしていないのだろう。
 そういう私も、自分の顔を使い分けているとは言えない。自分のことを、そこまで器用な人間だとも思っていない。

 前にいた学校のおしゃべりな女子達は、いつだって生贄になりそうな誰かを探している感じがした。弱くて少し不幸そうな生け贄を。それでも、私は生け贄になることはなかった。なぜなら、私はかわいそうな人のくくりだったからだ。かわいそう過ぎて、生贄にもならなかっただけだ。私はそこにいるのに女子達は私を見ることすらしなかった。

 今の学校の女子達は、前の学校とは正反対で、全体的に朗らかな子が多く、ギスギスしてトゲだらけでいつも人の目を気にしているような感じはない。教室に漂う匂いも、添加物や加工品の匂いではなく、お日様の匂いが漂っている。
 身を守り姿を隠す鎧がないからなのか、相手との距離感が近かった。最初はそれに戸惑って、私の方から距離をあけようとしていた。でも、篤人という存在がいたために、そんな距離はあけることができずに、話しかけられれば普通に話すようになりいつの間にかクラスにとけこんでいた。

 でも、今までと違う環境に越したらかといって、突然私の性格が変わるわけではなかった。無駄口は叩かない、というより無口な自分のペースで過ごしそれでもクラスの人たちは無視もせず、普通に話しかけてくるし、その距離感がなんだか心地よかった。
 そんな環境だったからだろう。私の無口も、少しずつ解消されてきている。
 身構えずに、怖がらずに誰かとかわす会話は、楽しい。
 それを知ることができた。それだけでも、ここに越してきて良かったと思う。

 寧々の家は、広い敷地に比べ、こじんまりとした二階建ての家だった。
「古い家がずっとあったんだけど、去年取り壊したんだ」
 前に寧々が話していたことを思い出した。寧々のおばあさんが住んでいた家だ。思い出の残っている家だから、生きている間は住み続けたかったらしい。

「部屋に入っても驚かないでよ」
 そう言われていたが、寧々の部屋に入って驚いた。壁に、びっしりとポスターが貼ってある。
 寧々が好きな韓国俳優のポスターだ。
どこを見ても寧々の好きな俳優と、目が合ってしまい落ち着かない。話は聞いていたけれど、テレビを見ることもあまりないので、どんな人かは知らなかった。
「鞠毛にだけ教えるけど、他の人には秘密ね」と寧々に打ち明けられたときも、そんなに熱量を感じなかったから、ここまで好きだとは思わなくて驚いた。

 黙って壁を見つめる。
「本当は鞠毛に見せるの、少し恥ずかしいんだよね」
「なんで?」
 寧々をじっと見つめるとはにかむように笑った。
 理由を聞くと、この韓国俳優が、私に似ているからだと言う。
 もう一度まじまじとポスターを見つめたが、どこをどうみても似ているようには思えなかった。

「横からみた鼻の角度なんて、そっくりなの! あと、斜め後ろから見える耳の形とか。」
「そっくりって。自分じゃ見えない場所だし、わからないよ」
「そうだよね」
「それに、似ているって言っても、微妙じゃない?」
「でも、私にとってはすごく重要なことなの! 初めて見たときびっくりしちゃって! 絶対仲良くなりたい! って思ったんだよ。私は一生鞠毛のこと大好きだよ。だって好みの顔しているし、最初は顔だけで近づいちゃったけど鞠毛の性格も好き。クールでかっこいいよね」

 クールというか無口なだけなのに。思わず苦笑いしてしまった。
「寧々がこの俳優を嫌いになったら私の事も嫌いになるんじゃないかな」
「ならないよ! 絶対に! 人を好きになったり、友達になりたいってさ、なんだろ、直感みたいなのがあるんだよ。まぁ見た目とかも大事だけど。どんな性格でも好きなもんは好き! みたいな。あー、熱く語りすぎて自分にひくわー」

 顔を赤くして一生懸命話している寧々が可愛らしいと思った。他人から見た自分のイメージを生まれて初めて聞いて恥ずかしいような変な気持ちになる。
 こんなこと言って、嫌いにならない? と聞いてきたから、嫌わないよって答えた。むしろ、寧々に興味というか好感をもった自分に驚いた。でもそんなこと恥ずかしくて言えない。

「よかった~! はやく鞠毛に自分の気持ち伝えたかったんだ。ところでさ、篤人とはつきあってないの?」
 心臓が強く波打ったけれど、つきあってないよと否定した。
「そっか。篤人も都会からこんな田舎に来たからさ、似たような鞠毛のことが気になっているだけなのかな」

 篤人が都会からこっちに越してきたことは初耳だった。篤人の家の養鶏場は古くからやっていると聞いていた。両親が結婚して子供ができてから、田舎に戻ってきたってことなのかな。
 詳しいことを寧々から聞くのは、ルール違反な気がして、それ以上は聞き出さなかった。
 篤人のいかにも天然素材の田舎育ちという感じは、本当は違っていて、今まで見てきた篤人の姿は作り物で……。
 もしかしたら、私の知らない篤人がいるのかもしれない。
 そう思うとなんだか寂しかった。

 寧々は自分のスマホを持ってきて、推しだと言っている俳優の写真や動画をたくさん見せてくれた。その動きに目が追いつかなくて瞬きが多くなる。

「鞠毛はどんな動画とか見てる?」
「私はほとんどテレビもスマホも見てないよ」
「なんで?」
「何でだろう? 子供の頃からテレビは好きじゃなかったし。スマホも情報が多すぎて、ちょっと怖い」
「そっか。もし、鞠毛が大丈夫なら連絡先交換したいんだけど。いいかな」

 急にしおらしくなった寧々の目を見つめ、いいよと答えた。
 テレビやスマホの中の出来事が自分とはかけ離れているようで、いろんな世界を知ることが怖かった。だから本を読んだり、映画を借りてきて、その中の世界を一人で見ている方が好きだった。
「本が好きとか、映画が好きってお父さんの影響なのかもね。小さい頃はどんな子だったの」
 寧々の質問に答えようと記憶をたどる。

 本を買ってきた。映画を借りてきた。テレビより本や映画をみてるほうがいいぞ。物語の世界はいいよな。
 無口な父が時々言っていた言葉が脳内に響く。いつもどこか寂しそうで物静かだった父が
「忘れろ! 全部忘れて思いださなくていい」
 と、私の肩をつかみ叫んだ。
 あれは本当の出来ごとだったのか。それとも映画の中のワンシーンだったのか。思い出そうとすると、記憶が曖昧になる。

「昔も今も変わらずに無口だったよ」
 じっと見つめる寧々から目をそらした。

「鞠毛、ここに傷跡あるけど。昔からなの?」
 寧々は自分のおでこを指さして心配そうな顔をしている。私を観察していて見つけたのだろう。寧々の表情に何も悪気はない。

「このおでこの傷ね。中三だったかな。ぼんやりしていたら車にはねられそうになって、転んだの。そのときの傷」

 あの日は雨が降っていたのに、すぐに帰る気になれなくて本屋に向かっていた。いつもの道に、すごいスピードの車が曲がってきてよけようとして転んだ。制服も汚れ、少し破れた。自分で綺麗にしようとしたけれど全然綺麗にならなくて、次の日そのまま学校に行くと先生に呼びだされた。

「暴行を受けたらしいよ。母親は死んじゃってるし、お父さんも家にいないらしいから。かわいそすぎて笑えないよね」

 教室にいた誰かが言った。
 私のことだって理解するまでに数秒かかった。自分がかわいそうな人だとは思っていなかったから。
 先生に言われ保健室に行くと、傷口が思いのほか酷く病院に行った方がいいと言われ、父にまで連絡が行ってしまった。
 しばらくすると父が保健室に迎えに来て「大丈夫か?」と心配そうな顔で私を見つめた。
 申し訳なさで小さく頷くことしかできなかった。結局病院で数針縫ってもらい、ボロボロになった制服も新しいものを買ってもらうことになった。

「何その車! むかつくっ! 私、傷がよくなるローションもっているからあげる。傷があっても綺麗な顔だけどね」
 寧々はちょっと待っててよ、と言って部屋を出て行った。
 そんなこともあったな。おでこの傷をそっと触った。自分のことなのになぜかいつもすぐ忘れてしまう。
 さっき言っていたローションと、お菓子と飲み物を抱えてバタバタと部屋に戻ってきた。

 韓国俳優のポスター以外に、もう一つ寧々について知ったことがある。実は本が好きだということ。私が本が好きと聞いて喜んで
「見て見て」
 寧々は小さな子供のようにはしゃぎながら押し入れを開けた。
 押し入れの中に本棚がしまってあり、そこにはぎっしりと文庫本が詰まっていた。国内国外の、ファンタジー小説ばかりだった。
 寧々が自分の持っている本のどこがどのように好きなのか、次々に話してくれる。
 俳優のポスターは貼ってあるのに、本はどうして押し入れに入れてあるのか聞くと「好きなものだから、しまってあるんだ」と答えが返ってきた。
 それを聞いてひらめくものがあった。
 昔私が読んでいた魔女の本。もし、父にとって大切な本だったり、好きな本だったのなら、どこかにしまってあるかもしれない。
 読んだことがわからないように、元に戻しておいたとはいっても、子供のしたことだ。父から見たらわかっていた可能性もある。
 ハーブ畑でローズマリーを見つけて以来、何故か無償に、あの本が気になっていた。
「鞠毛はどんな本が好き?」
「私もファンタジーとか好きだよ」
「そうなんだ! 嬉しい。鞠毛とは気が合うな。私、自分の意見言ってるだけなのに、なんか人から嫌われちゃうんだよね。空気読めって言うけど、自分に嘘ついてまで空気なんて読みたくないよ。でも鞠毛には嫌われたくないから、私が変なこと言ったら教えてね」

 寧々が真剣な表情で私を見つめた。

「いつも寧々の話は面白いと思ってる。私は話すことがないから聞くばかりになるけど」
「私は鞠毛の話しを聞きたいよ。どんなことでも聞きたい。何か話したいことがあったら私に言って欲しい」
 大きな目をさらに大きくしている寧々に
「ありがとう」
 と、心から伝えた。
「好きな人と一緒に過ごせるって嬉しいよね」
 寧々が思いっきり笑ったのでつられて笑った。

 好きな本の話しや黄色い西瓜の話しを、ゆっくり話した。
 いつもよりたくさん自分の事を話したが、寧々は目を大きくさせて話を聞いてくれた。本当に楽しそうに笑っている。寧々と笑い、話し合い、胸にあたたかいものが広がり、気がつくとずいぶん時間が過ぎていた。
 楽しい時間はあっという間に過ぎることもはじめて知った。夕飯も食べて行って欲しいけど、と言う寧々にそうすると帰りのバスがなくなるからと謝り、夕方には家に帰った。
 バス停で、小さな子どものように喜んでいた寧々の姿を思いだし、また胸があたたかくなった。

 誰かに話を聞いてもらうことで、気持ちが落ち着いたり、自分の中にある知らなかった思いが明確になっていくような気がする。
 自分が子供の頃、どんな気持ちで過ごしていたのか。
 寧々と話すことで、忘れていた記憶がよみがえってきたように感じた。




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