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2012年坪田康佑インタビュー記事発見

インタビューされた経緯

某上場企業にEXITされたことで、閉鎖されてしまった医学生が運営するウェブサイトに医学部教授じゃないのに、インタビューして頂きました。学生から送られてきた原稿がステイホームでのパソコンの掃除で発見!折角なのでシェア。ただ、8年前は、起業したばかりだったので、甘い・若い・恥ずかしい。

公開きっかけ:オンライン臨床実習のチューター

また、公開しようと思ったきっかけは、現在、オンライン臨床実習のチューターを実施していて、医学部の学生約100名のディスカッションに毎日触れています。インタビューをしてくれた医学生は、すでに優秀な医師として活躍している人や経営者として活躍している人がいますが、何か感慨深く公開にしてみました。

きっかけ

どこでもクリニックを始めようと思ったきっかけはどのようなものだったのですか?

元々生活と医療の距離を縮めないと、健康管理が出来ていない人たちのために日本の医療が疲弊してしまう。何か対策はないだろうか?と仲間と語り合っていたことがきっかけです。そのためには夜間しまっている診療所を使用させて頂いて日中医療にかかることができないビジネスマンの対応など様々なアイディアが溢れていました。その中から出てきたのが、どこでもクリニックです。

ミッションビジョンバン:移動式医療機関


直接のきっかけは慶應義塾大学医学部の眼科学教室が2011年の東日本大震災時にマイアミ大学から眼科診療ができる【ミッションビジョンバン】という大型車を借りてきていたことでした。震災後、日本にも必要だということが分かり、震災復興予算から日本型ミッションビジョンバンが作成されることが分かりました。しかしこれは有事のときは有用ですが、平時に使われないと維持していくだけでコストがかかってしまいます。そこで平時に運用できる、眼科だけに特化しない移動型診療所を、立ち上げようと思いました。
日本にはまだまだ無医村と呼ばれる地区があります。そしてそれ以上に歯医者さんのいない無歯科医地区も存在します。高齢者の口腔ケアは死亡率の面でもQOLの面でもとても重要であるため、歯医者さんがいないのなら、是非そこに歯医者さんを届けるサービスをしたいとも思っていました。似たようなアイディアが、溢れるように色々なことを考えていくと、どこでもクリニックのプランは夢にまで出てくるくらい夢中になっていました。

最初の一歩は?

なるほど、やはり熱い想いをお持ちなのですね。最初はどのようなことから取りかかったのでしょうか?
まず始めに制度について調べていきました。すると巡回診療、例えば船上医療やバスなどの車両による診療に関する通知が出されていたのを発見しました。しかしそれが許されていたのは国立病院のみでした。にもかかわらず現在はそのようなことを行える、国立病院の名を持った病院はほとんど存在していません。だからこそこれを修正して頂く際に、医療機関ならどこでも移動型のクリニックを持てるようにならないか?など厚生労働省と質問書のやり取りをさせて戴きました。また、通知だけではなく巡回診療の現場を見て回りました。実際に車に乗せてもらったり、後ろから別車両でついて行かせていただいたりしていく中で、様々な問題を発見しました。そのような活動を通して、様々なニーズを学ばせて戴きました。また、同行させて頂く中に夢はさらに広がり、どこでもクリニックを推し薦めれば地域のニーズも知ることで適切な病院を適切な場所に建てたり、海外の病院のないところに、病院をたてる前にニーズ調査をするなどして日本の医療から外貨を獲得したりと幅広い可能性を秘めていることに気がつきました。さらに地域では医療以外にも様々な職業が足りていません。そのため医療を通じて、その他のニーズと一緒に地域の人との様々な交流や流通を担えればと思っています。

革命:医療界発の流通革命

医療だけではない、「医療界発の流通革命」を引き起こしたいのです。そして医療をきっかけに人が集まる仕組みを作りたいのです。

(2020年5月21日追記:医療版MaaSの考えをしていましたね。。。)

そうだったのですか。正直話がここまで大きいと思っていなくて驚嘆しています。でもそれが実現すればすごいことですね。特に医療界から地域の方の様々な面をフォローしていくというのはとても大変だと思いますが、どのような工夫が必要なのでしょうか?
病院に普段かかっていなかった人をかかるようにするには、その人の生活にあわせたアプローチが必要だと思っています。だからそのためにも医療以外の様々な方の協力が必要だと考えています。例えば酒屋さんです。酒屋さんは実はどんな田舎にも比較的多く存在しています。そして人が集まるので情報が集約されています。実は、そこでお話を聞いているだけでも地域のことがとても良く分かってきたりします。。
最初はただ地域の人に医療を提供するだけの仕組みを考えていました。しかしそれではただの医療の押し売りです。それぞれの人が本当に困っていることを発見し、それを医療が少しだけお手伝いするという形で始めていく必要があると思います。そうでなければ少なくとも自覚症状のない慢性疾患を相手にすることは不可能ですね。

看護師じゃなく起業家を選んだ理由は?

看護師になることをやめ、ビジネスを作り上げるというのは並大抵の決意ではできないことだと思いますが、どのように決意したのでしょうか?
決意したというよりも、看護医療学部に入学した理由が医療制度・医療ビジネスを行いたいというものだったのであまり抵抗はありませんでした。それに医師や看護師という仕事がこれからずっと安泰かというと私には不安がありました。
後2年後に税収と医療費が等しくなってしまうと言われていますがそうなった時、本当に今の皆保険制度を基盤とする制度が安泰とは限りません。それならむしろ患者さんのニーズをしっかりと把握しながら仕事を行う方が安全なようにも思っています。

高校時代の選択

ということはすでに高校生の時点で医療ビジネスを視野に入れていたのですね!?一体どのようにして医療ビジネスに興味を持ったのでしょうか?

小学校の頃の友人の死が大きかったです。その友人の角膜は移植手術に使われました。そして父には彼の体の一部が生きていると言われとてもほっとしました。それが医療に興味を持ち始めたきっかけだったのだと思います。そして中学生の頃の病院見学で脳死問題について伺うと、角膜移植手術が保険点数がつかないため病院としては手術を行えば行うほど赤字になってしまうという現状を知りました。当時の私は人の役に立つ仕事をすればお金はもらえると思っていたので、他人のためになることをすればするほど、赤字になってしまうという現状には衝撃を受けました。でもそこで医療の経済的な面にもそして制度にもとても興味を持ちました。
医療が無くなってしまうというのはどういったときか考えてみると、当時の私は患者さんが無くなってしまったときだと思いました。そこで医療従事者の中でも特に患者さんのそばに長くいられる看護師にはとても興味を持っていました。また制度を変えるのは法律であり、法律を変えるのは政治家でありあり、政治家を創るのは数の力(つまり選挙での多くの票)である。そのことから医療従事者の中で最も数が多い看護師こそ医療制度を変えるにはもってこいと思っていました。入学してみるとやはり制度の面では医師の方が力を持っていることを痛感しましたけどね。それと慶應義塾大学看護医療学部の一期生であるということ、一期生ならば嫌でも新しいことをする環境に身を置ける。高校生の頃は以上のような理由で看護学部に入ろうと決意しました。

変な高校生:高校留年する

高校生でそこまで考えていたなんてすごいですね!?
実は私は高校一年生の頃に喘息で留年したのです。だからかつての同級生が私より一年早く進路について考えていました。また留年したことを絶対に弱みにはしたくなかったので彼らに負けないように様々なことを考えました。それに喘息が原因だったということで今まで以上に医療に興味を持ちました。結果的に留年は僕にとって今となってはとてもいい経験でしたね。

留年がチャンスと聞くと、今失敗や挫折を味わっていても何か希望がわいてきますね。
そうですね。明日死ぬとなったときに今の悩みは果たしてどのくらいのものなんだろうという考え方はとても重要だと思います。

医療制度に関して

なるほど、非常に深いですね。先ほどの話を聞いていると医療制度はやはり重要になってくると思いますが、そもそも今このように様々な問題が取り上げられてしまっているのはどういったことが原因なのでしょうか?

そもそも僕は医療制度を否定するつもりは全くありません。医療制度は調べれば調べるほど本当に良くできているなと思います。どのようなことをしようと思っても規制がかかってしまうのは、医療の悪いことのように見えますが、そこまで様々なことに対してしっかりと予防線を張り、対処してきたのはすごいことだと思います。制度のせいで自由が制限されているというのは薬の副作用だけをとりあげているようなもので、そこばかりを見ていても仕方ありません。
ただまだ発展することは可能だと思うので私はそのために、今の医療制度と一緒に頑張っていきたいと思っています。

医療制度と医療ビジネス?

制度と一緒にですか?何か僕の中で医療ビジネスのイメージが変わりました。
私はイノベーションには感謝が不可欠だと思っています。イノベーションが何故イノベーションなのかというとそれが古いアイデアにはなかったからです。それはつまり古いアイデアを否定してしまうことにもなります。それでは新しいものが叩かれてしまっても仕方ありませんよね。だから私はしっかりと感謝を想いだけではなく、形にするべく今までの医療を支えてくださった方々へ挨拶回りを行い、既存のものと戦っていくのではなく共に頑張ろうという姿勢が重要なのだと思います。主語をIからweに変えるのです。僕は自分のことを看護師ではなく「感護師」と呼んでいます。【感謝】や人間の【感情】というものを大事にしたいからこそこのように呼んでいます。

医療制度の学び方は?

素晴らしいですね!今までの制度と共にあゆむためにももっと制度について知りたくなりました。坪田さんはどのように制度について知っていったのですか?
私は歴史が好きだったので歴史から学んでいきました。医療と戦争は切っても切れないし、国づくりという面でも医療は不可欠です。それに江戸時代の医療もすごいですよ。佐賀藩ではすでに皆保険制度に似た制度が存在していました。また感染症対策や健康診断など実は昔から存在しているものも多くあるんですよ。かくゆう私の巡回型の診療所も戦後には存在しましたからね。原点回帰というか、昔あったものを現代版として復活させるというのも重要なことだと思います。またその中でどこの国のいつの時代でも全く変わらないもの(例えば医師の立場など)もあるというのがまた面白いですよ。医療は実は歴史をはじめ様々なものに紐づいているので是非色々な角度から見ていってください。

坪田康佑の強みは?

ビジネスに限らず自分の強みというのは社会に出る上で重要担ってくると思います。坪田さんの強みはどういったものだったんですか?
おそらく医学は苦手なんですが、医療について考えるのが大好きなことですね。幼少の頃から診療所や病院など医療機関を見ているのが好きでした。看板を見たり病院の地図を見たり待ち合い室の形を見るだけでその病院の歴史が分かったりするんですね。今でも暇なときに病院に赴いてはそういったものを見るのを楽しんで学んでいます。

学生向けメッセージ

最後に学生に向けてメッセージをお願いします。
「知らない」ということは恥ではなく強みです。知らないからこそ、知ることができ興味もわいてきます。但し、「知らない」を認識せずに「思い込み」になると害が出てきます。医師も看護師も、「医師のくせにこんなのも知らないの」とか「看護師のくせに。。。」などお互いを否定することも多々あるようですが、相手のことを知らないことが原因のことがよくあります。まずは相手を知ってからではないと行けないと思います。就職した後になると「~~先生」「~~社長」といった社会的関係性というものが生まれ、気軽に質問できる関係性を創ることは難しくなります。是非とも、他分野の人も含めて学生のうちにどんどん知ってみてください!学生時代だと、いろいろな方が会ってくれますよ!そして、面白い方とお会いしたら、是非とも紹介して下さい!

ちなみにこの時のビジネスアイディア

起業家支援:喜業義塾

このインタビューを受けた会社もそうですが、より多くの起業家が挑戦していっていく方が、世の中が変わると感じて、後方支援にシフトしました。原点を思い出す記事でした。

喜業義塾の想い


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