航佑(こーすけ)

写真を学ぶ、大学2年生です。実は自転車も趣味です。

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最近の記事

ショートショートエッセイ せわしなく師走2023ver

一年を振り返るということ 12月30日、今僕は明日の撮影のためにパソコンとSDカードのデータをまとめているところだ。パソコンにあと100GBしか容量が残っていない!さっきまでは80GBしかなかった!苦心なう。僕らの時間というのは過去から未来への一方向的なものなのに、なぜ一年一年、年を重ねるようになったんだろう。365日での区切りをつけるというのは、一方向的である時間を周期的にし、終わらない輪廻の中に我々を落とし込む。進むしかないはずの時間が、戻ってくるような感覚へと変わって

    • 夏の夕方に吹く冷房の風は、さみしい。

       小学校低学年の頃の夏休み、わたしは畳のうえで児童書を読んでいた。ソファの上では母が昼寝をしている。エアコンの唸りとともに届けられる冷風は、わたしに少しの鳥肌をもたらした。あの時から、わたしは夏の夕方の冷房にさみしさを覚えるようになったのである。どこからともなくやってくる心地の良い孤独感はやがて、ひとしきりの涙を呼び起こす。  今でも、わたしはあの夕方の空気感の虜である。でもそれは、冷房の唸りが聞こえるくらいに静かな場所でないと味わえない。それも西日が差し込んだ時間帯に、だ

      • ショートショートエッセイ(せわしなく、師走ver)

        今 今の時刻は 2022年12月31日23:49:50である。ワタシの悪い癖で、なんでも先延ばしにしてしまったせいで、巷では重要なイチネンの振り返りイェーイイェーイが遅くなった。んまあみなさま年末いかがお過ごしですか、水が今日もうまい。 中学時代 12月に入って、中学時代からの友人に会う機会が多くなった。みんなひさしぶり。彼ら彼女らに会うと、私の中学時代が空白的で断絶的なものでなかったと、少しホッとする。 思えば、卒業した中学には受験して入った。中学受験するところにし

        • ショートショートエッセイ(共感の時代に生きる私たちver)

          現実感をあじわう(2022/12/4-5) 共感の時代に生きるワレワレには、ライブ感が重要なのである。なんでショート動画が流行るのか、ライブ配信にオレらは食いつくのか、ストーリーをなんとなく見てしまうのか、時系列のタイムラインを更新し続けるのか。スマホの中の別世界に、僕らは現実の時間の経過のあじわいを求めているのである。実世界ではないのである。逆に、スマホで無限大の可能性をあじわえるから、実世界ではご飯とか愛とか仲間とか、あるいは戦争とか平和とか、またまた化学とか学問とか、

        ショートショートエッセイ せわしなく師走2023ver

          ショートショートエッセイ(18歳よ、永遠にver)

          焼肉 (2022/12/2) 中高時代の友人たちとやきにくに行った。炭火の火がうまく点火しなかったらしく、店員さんたちが手間取っていた。僕はふと「っぱオレらの心の灯火がないと点火しないのかな」と呟いた。女性の店員さんに聞かれていたらしく、笑われてしまった。つかさず友人がこう言った。「そんなクサいこと言ってるから彼女できねーんだよ黙れ。」その通りである。 焼肉②(続き) オレの高校は通信制だった。だから高校はビルの中だった。やきにくを食い終わり、なぜか母校まで歩く。その街

          ショートショートエッセイ(18歳よ、永遠にver)

          写真を考えてみた①遠近法について

          写真についての思案を巡らせていますが、間違いもあるかもしれません、大目に見てね。追記:書いててめっちゃわかりにくい文章になってしまいました。こういうの書くのって難しい。正直「考えてみた」というより「調べてみた」に近いかも。 さいきん、遠近法について興味があります。 私はたまに、『新写真論』(大山顕/ゲンロン/2020年)を何の気なしに読むことにしています。だいぶ読み方を適当にしているのでいまだに読み終わりません。さて、この本の128ページから大山さんは航空写真について考察

          写真を考えてみた①遠近法について

          僕らの時代を

          「青二才」  僕は常々、「青二才」という言葉が好きだと言っている。青二才は、一般的にはマイナスな意味だ。若さを卑下するときに使う。人を馬鹿にするとき、あるいは自らを下げて謙遜の意を表す場合もある。だが、私は青二才であることを誇りに思っていたい。若さゆえの無謀さは、宝である。サカナクションの「Aoi」という曲では、青さを「絶高の世代」と表現している。でも僕は、ここまでして青さに執着する自分を疑問に思う。もう青さなど失ってしまっているから、青さを追い求めるのかもしれない。今日も

          これまでの日々(4年間の大雑把なまとめ)

           私は、この4年の重みを乗り越えなければならないのだ。自分自身に降りかかった苦しみは、思考を塞いで、更にはそれを抗う思考さえも封じてしまう。  起立性調節障害、それも重症らしい。それを知ったのは2017年初頭。中学1年の終わりの頃であった。いろんな経緯があったろうが、なってしまったものは仕方ない。学校にはほぼいけなくなり、塞ぎ込む日々が続く。それまで朝から毎日学校に行くことが日常であり普通であり当たり前であった私には、それが何より苦しくて仕方なかった。でもこれは始まりにすぎ

          これまでの日々(4年間の大雑把なまとめ)

          未来は去り、過去は急速に迫ってくる

           時間は特急列車のようだ。そしてその列車は私がいる駅には止まらない。私の前で通過してしまう。列車に乗り込むことは不可能だ。路線図はない。もし時間と共に移動するならば選択肢は2つだ。 1、駅を変えず停まる列車を待つ。 2、列車が停まる駅まで移動する。  どちらも試しているうちに、やっと4年かけて、時間に各駅停車の存在を見つけた、ような気がする。確かではない。未だ各駅停車にも乗れていないのだが。  私の中の時間に対する感覚は中学1年の終わりを境に大きく変化した。自律神経を崩

          未来は去り、過去は急速に迫ってくる

          変わらないもの

           突然ですが皆さん、アニメ映画の「時をかける少女」ってあるじゃないですか。あれ私めっちゃ好きなんですよね。話すと長くなるのでやめておきますが、私が今回書く内容は「変わらないもの」です。時をかける少女の挿入歌になっている奥 華子さんの曲と同じタイトルですね。この曲、私はプレイリストに入れていて、ループして聴くほどに気に入ってます。  さて、私たちは誰しもが変わらないものを探していると思います。かく言う私もその一人で、自分自身が持っている(と思われる)変わらないものをいつも探し

          変わらないもの

          人間とは〇〇である

          我々ヒトというものは、人間を何かに例えたがる。かくいう私もその一人な上、今までの人生でいろいろなものに例えて人生を表してきた。今思い浮かぶものを少しだけ書き起こしてみようじゃないか。 人間とはラーメンである。                     私においてラーメンは重要な食品である。簡潔にいうと血のようなものだ。なくては生きていけない(最近太るのを恐れて我慢しちゃっている)。そんなことは置いておいて。人間とはラーメンである、の真意だが、基本的には人間は多角的に見ようと

          人間とは〇〇である