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ショートショートエッセイ せわしなく師走2023ver

一年を振り返るということ

12月30日、今僕は明日の撮影のためにパソコンとSDカードのデータをまとめているところだ。パソコンにあと100GBしか容量が残っていない!さっきまでは80GBしかなかった!苦心なう。僕らの時間というのは過去から未来への一方向的なものなのに、なぜ一年一年、年を重ねるようになったんだろう。365日での区切りをつけるというのは、一方向的である時間を周期的にし、終わらない輪廻の中に我々を落とし込む。進むしかないはずの時間が、戻ってくるような感覚へと変わっていく。また来年、と言えることがどれだけ人を安心させてきたか。かりそめの日々も、もしかしたら連続的・周期的で、そしていつか戻ってくるものであると思えることが、これから出会う知らないあなたとの、二度と再会できない一瞬でさえ肯定できる気がするのだ。

NASがうまく機能しないので外付けHDDほしい


固有名詞をそんなに使わない生活

固有名詞にはその時代性が出ると思う。例えば逢いたい人にポケベルを打てばそれは1990年代のことだし、ZOOMをつなげるといえばコロナの自粛期間を思い出す。でも「電話する」だけ書けば多分これまでの100年のどの時代にも通用するし、これから数十年もそうなんじゃないか。音楽の歌詞や文章含め、この時代性をどこまで出すかすごく悩んでいる人も多いはずだ。「手紙」という言葉を「LINE」に置き換えてしまえば、それは2010年代の若者へ向けて刺さるものになり得るが、どこか陳腐にも聞こえてしまうだろう。

ふゆのひ。

あなたがさっき買ったアツアツの缶コーヒーは、すでに燃えるような熱さを失っている。冬の日に買われるホットのドリンクの全ては、それが飲まれるためでは決してなく、あなたの手をかろうじて動かすためのきっかけに過ぎない。キヨスクの店員に丁寧に小銭を渡すあの少女の指に、小さなササクレがあることを僕は知っている。

くだらないことで悩むということ

くだらないことで悩むことが増えた。これはとても良いことだ。日常生活を少しずつ送れるようになってきた証である。毎日が楽しい、しかしそれは変えようのない焦燥感と苦しみにまみれた上である。幼い頃からの夢はある。しかしそれを目指すだけの基盤は未だできていない。毎日よくわからずに写真を撮っている。そのおかげで、最近は写真を撮ることでお金をもらっている。逆にそれ以外のバイトをしていない。どうなんだろう、これでよかったのかな?これをやっていった未来に、私はどんな姿でいるんだろう。わからない。でも悪い方向へ進んでいる気もしない。夢からはかけ離れた地で、しかしある程度の希望と心地の良い絶望が私を包み込む。


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