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未来は去り、過去は急速に迫ってくる

 時間は特急列車のようだ。そしてその列車は私がいる駅には止まらない。私の前で通過してしまう。列車に乗り込むことは不可能だ。路線図はない。もし時間と共に移動するならば選択肢は2つだ。

1、駅を変えず停まる列車を待つ。
2、列車が停まる駅まで移動する。

 どちらも試しているうちに、やっと4年かけて、時間に各駅停車の存在を見つけた、ような気がする。確かではない。未だ各駅停車にも乗れていないのだが。


 私の中の時間に対する感覚は中学1年の終わりを境に大きく変化した。自律神経を崩し起立性調節障害を持つようになった私は、時間感覚の狂いを今もなお修正できずにいる。今は時間に対して上記のような捉え方をしている。つまるところ時間管理ができない。身体に染み付いた時間感覚がなくなって、無意識の領域ではなく意識がある中で時間をコントロールしなければならない。しかし、我々の多くは無意識の領域に支配されていて、かくいう私もその一人であるから、コントロールは多くの点でできていない。 
 
 あくまで私の予想だが、社会に生きる多くの人は無意識下に人間の創り上げた時間軸をはめ込んで対処しているのではなかろうか。多分私もそれができていた。しかし今はない。
 
 そのままで、時間感覚がないままで良いのだろうという人もいるだろう。残念ながら私にはそれが耐えられないのだ。私はなぜか昔から時間という概念に執着する。記憶や思考、行動など、時間と関わりがあるものに対して「大切にしたい、捨ててはいけない」と思うようになったのだ。だから、今の、時間が手をすり抜けてゆく感覚はものすごく辛いし歯痒いし苦しい。
 
 私はあまり他人のことを深く知らないので、もしかしたらこのように考える人が大半なのかも知れない。しかし、自分が存在するという意識が感じられるのはこの自分しかないし、それが揺らいで自分というものすら存在し得ないのではないかと思うことさえある私は、ますます自分の感情とはどういうものなのか興味が湧くのであった。


 タイトルは正直適当に付けた。ただ、過去がフラッシュバックしてくる瞬間はまさに迫り来るう感覚がある。過ぎ去ったはずの過去が、まるで1秒先の未来のように目の前に現れる。対して未来は想像がつかない。過去のようである。

 また、写真は最近撮影したものである。お気に入り。

 

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