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ショートショートエッセイ(18歳よ、永遠にver)

焼肉 (2022/12/2)

中高時代の友人たちとやきにくに行った。炭火の火がうまく点火しなかったらしく、店員さんたちが手間取っていた。僕はふと「っぱオレらの心の灯火がないと点火しないのかな」と呟いた。女性の店員さんに聞かれていたらしく、笑われてしまった。つかさず友人がこう言った。「そんなクサいこと言ってるから彼女できねーんだよ黙れ。」その通りである。

焼肉②(続き)

オレの高校は通信制だった。だから高校はビルの中だった。やきにくを食い終わり、なぜか母校まで歩く。その街で遊べる場所なんていくらでもあるのに、オレらはいつもなぜか母校まで歩く。数回しか歌った記憶のない母校の校歌をテキトーに歌う。凱旋帰校である。深夜22時半である。自販機のカラフルなドリンクの質の悪い光が、寒さを数割和らげてくれているようであった。椎名誠という作家が、高校で焚き火をして怒られた話を思い出す(うろ覚え)。こうやって、思い出すことしかできなくなっていくのだ。

雨、ナトリウムランプ。

日本の音楽から日本の風景が消えた。そして情景になった

最近、日本の音楽の歌詞には地名が出てこなくなった。ずっと前からかもしれない。気のせいかもしれない。でも、演歌、いや歌謡曲にはたくさんでてきたではないか。「襟裳の春は何もない春です(北海道のとある岬)(1975年)」とか、「あゝ長崎は今日も雨だった(1995年)」とか、「ああ津軽海峡冬景色(1977年)」とか。

移動が簡単で、どの街もそれなりに便利で、観光資源は少なくなり、写真が普及して、細かい描写がそちらで済むようになってしまったからかもしれない。だって僕、長崎の雨を想像しろと言われても無理だもん!(埼玉イキリ)。反対に、抽象的で感情のフィルターを通した風景、情景表現が台頭してきたように思う。昔からそういう歌詞はたくさんあっただろうけども)。でも僕は、ボクだけはッ!大阪loverを歌うんだ!いつまでも!!御堂筋は一車線しか動かないぞ!

東京を歌った音楽は今の時代にたくさんある。僕の好きな音楽で東京が歌詞になっているのは色々あるが、ユリイカ(サカナクション)が一番好きである。でもおれがこの曲を見て思うのは、家のベランダから見た少し寒い日の夕焼けである。東京のことはみんな知ってる。共感の時代だからこそ、東京だけが具体性を持って歌詞として生存できるのである。

霞むモノクロトーキョー

18歳、色々あって楽しかった!!(今日の本題)

オレは、今月(2022/12月)に19歳になってしまう!!なんでだッ!!!!!!!オレは、オレは永遠の18歳なんていう、古びた大人が使う懐かしみの言葉なんて使わないって決めてたのに!!!やめてくれッ!!でも!!時間ってヤツはいつも真面目だからさー、いなくなっちゃうんだよすぐ。おれも現実見ちゃうような大人になりかけてて、でも現実見てない奴もカッコ悪いよほんと。だからおれはカッコ良くなるために現実を見るぞ!でもおれは18歳を忘れないでいたいのだよ。(終)

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