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写真を考えてみた①遠近法について

写真についての思案を巡らせていますが、間違いもあるかもしれません、大目に見てね。追記:書いててめっちゃわかりにくい文章になってしまいました。こういうの書くのって難しい。正直「考えてみた」というより「調べてみた」に近いかも。

さいきん、遠近法について興味があります。

私はたまに、『新写真論』(大山顕/ゲンロン/2020年)を何の気なしに読むことにしています。だいぶ読み方を適当にしているのでいまだに読み終わりません。さて、この本の128ページから大山さんは航空写真について考察をしています。地図に使われるような航空写真には画像のフチがなく、また遠近法も採用されていないというのです。このような写真は「オルソ画像」と呼ばれており、どこから写真を見ても遠近感がなく、平面的な把握を行うものというわけです。説明しきれないので、国土地理院の説明を添付しておきます。

私も航空写真には大いにお世話になっており、撮り鉄を良くしていたときには、グーグルアースで沿線の航空写真を眺めて撮影地を探していたら日が明けていたこともありました。実は、航空写真という非遠近法画像は、地図と重なりを持って表されているんです(当たり前だろと言われそう)。地図を見ながら場所を把握し、航空写真で風景を把握する。撮影地探しにはもってこいってことです。大山さんによれば、地図と航空写真の一致は現代的なものであるといいます。その辺りを読んで、ふと疑問が浮かび上がりました。「なんで遠近法が使われていないのに、僕らは何も不自然に思うことなく航空写真を使っているんだろう」というものです。だって普通は写真は遠近法で表されているし、私たちは毎日大量の遠近法の中で生きてるじゃん!!!!!。

『新写真論』の中で、人間は空間把握を遠近法によるものでなく航空写真のような平面で捉えているのではないかと大山さんは指摘しています。なるほど、私たちが見るほとんどの写真は遠近法を使って表されます。そのおかげで遠近法には慣れているかもしれません。一方、例えば道案内あるいは状況を紙に書き出すとき、遠近法を使って物の位置や建物の位置を表すかと言えば、そうでは無いと思います。航空写真のような平面的な表し方をするはずです。道案内では「ここの位置からあのコンビニが見えるでしょ、それは地図で見ればここになるの」となるでしょう。遠近法を使うと場所によって見え方や捉え方が変わります。主観的すぎて分かり難いことも大いにありえます。自転車で遠出する時、遠くの山を目印にするよりも地図を見て向かう方がわかりやすくないですか??遠近法ってもしかして使いにくいのかも!!(手のひらクルクル)。

ところで、大学で写真史の授業を受けているときに、カメラの原型であるカメラ・オブスクラが登場して、それを使用することで、絵に正確な遠近法が持ち込まれたことを習いました。確かに美術館で見たフェルメールやピーテル・デ・ホーホの絵は写真のように正確な遠近感を持って描かれていました。カメラという光学機器によって、遠近法という空間把握技術が確立したのかもしれないと思うようになりました。解説が載っている記事を見つけました↓。

調べを進めると、以下のようなnoteを発見しました。フェルメールの登場よりずっと前から遠近法の研究が行われていたことがわかります。しかし、遠近法の発見や確立は人間の登場から今日までと比べるととても直近の出来事であると思います。遠近法を確立し、描くことの難しさを感じます。人間の眼(あるいはその像を認識する脳)だけでは、遠近法はぼんやりとしか認識できないのではないだろうかと考えます。

写真をたくさん撮る私からすると、普段の写真は全て遠近法によって表されているので、遠近法が全ての空間把握の根本にあると思い込んでいたいたようです。でも遠近法という技術自体がここ1000年で急速に発展したものだとするなら、もともと人間は遠近法を意識しない(できない)把握の仕方をしていたのかもしれません。写真は遠近法なのに、地図や航空写真は2Dの平面で認識する。私たちの認識する現代の世界ってややこしいのかも!!写真よくわからなくなってきた!!!


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