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「シンデレラ」は「東京卍リベンジャーズ」の元ネタ!?

中学生の女の子の要望ではじまった、ディズニー映画で授業シリーズの三回目は「シンデレラ」

そうそう。この「すず」に勇気をもらって、しれっとアイコンを私の顔写真に変えてみた。横顔だけど一応、素顔をさらすことに。


さて、シンデレラは観る前から私の鬼門になるであろうことが想像できた作品。

案の定、途中で寝てしまい、最後まで観るのに3日かかった。

1回目の「塔の上のラプンツェル」、2回目の「美女と野獣」は、面白かったけれど、根本的に私はお姫様や恋愛系のストーリーが苦手であることは変わっていない。

「シンデレラ」に関しては、最初から最後まで私の琴線に触れる場面がなかった・・・

ではなぜ、私にはまらなかったのかを考えてみたら5つのポイントが浮かび上がった。


①仲間がいるならいいじゃないか(しあわせじゃないか)

小鳥やネズミと意思疎通がとれるシンデレラは、孤独ではない。実際、歌を口ずさんで明るく生きている。

ドレスまでサプライズで作ってくれる最高の友だちがいたら、継母たちにひどいしうちをされるくらいどうってことないように感じてしまった。

ひどいしうちといっても、劇中に描かれているのは、家事の押しつけと、舞踏会に連れて行ってもらえないくらいなのだから(いや、ひどいけどね!)。

むしろ、動物と話せる特殊能力があったら、さっさといじわるな継母たちの世話などやめて、動物たちと外に出て行ってしまえばよかったようにさえ思う。その能力があれば働き口などいくらでもあるだろう。

継母たちにさえ意見できる性格なのだから、きっと勇気をだして外に飛び出していたら、別の物語が動き出していただろう。王子様と結婚するより、よほど面白い人生が待っていたのではないか。

父との思い出の家をでたくなかったのかもしれないけれど。お金を稼いで、買い取るという方法だってある。


②シンデレラの夢とは?

冒頭、夢にまつわる歌から始まるのだけれど、舞踏会に行って王子様と結婚することがシンデレラの夢だったのだろうか?

今の生活をぬけだして、いつかしあわせになれると漠然と信じることが夢なのだろうか?具体的な夢が描かれていないので、応援のしようがなかった。

これって、本当に「夢」を見ているだけじゃないか。夢ってそういうものじゃないだろ?


③ルシファー(猫)の「いいところ」言ってあげて!

シンデレラは「誰にでもいいところはある」といいながら、ルシファーのいいところをルシファーを前にして言ってあげられないという・・・あんまりだ・・・

そんな仕打ちをうけても落ち込まない、めげないところなんて、まさにルシファーのいいところじゃないか!

それに、この猫、たいして悪さをしてないぞ!

猫がネズミを追いかけるのは当たり前で、猫が猫らしくしてるだけなのだから、ありのままを受け止めてあげてほしい。

このシーンで、シンデレラの人間性がなんか薄っぺらく感じてしまった。

聞こえのいいことを言って、内心はそう思ってないとか、人として信用できないじゃないか。どんなに見た目が美しかったとしてもさ。


④見た目だけで選ばれてますけど!

王子様と踊っただけで、お互いのこと知らないのに結婚て!靴が合ったら結婚て!なんそれ!


⑤結局、シンデレラは何が変わったのか?

ゴッドマザーや王子さまと出会って、シンデレラの環境は大きく変わったけれど、それによって彼女にどんな変化があり、何をして、これからどうしていくのか。ここがみえたら、応援したくなるかもしれない。


とは言え、ものごとには必ず反対側が必ずある。良い面を考えてみよう。

まずは、逆境にも負けない心の強さ!

継母たちに委縮することなく、悲観することもなく、どんな境遇であろうが前向きに生きているシンデレラのありかたは尊敬に値する。

そもそもこの時代は、その中で生きるしか選択できない事情があったのかもしれない。夢を見るしか希望がなかった時代なのかもしれない。それでも信じ続けた彼女は強い。

ミュージカル・アニメーションとしての完成度!

アカデミー賞歌曲賞にノミネートされるくらいなので、素晴らしいのだろう(私はミュージカル系の良さがあまりわからない・・・)。

ただ、「ビビディ・バビディ・ブー」は私ですら知っていたし、
この音の響きは好きだ!言葉自体に意味がないなんて、天才的だと思う!

そして、夢がみられる!

シンデレラ願望は誰しもが持っているし、戦後の1950年に公開されたとなると、多くの人に「夢」を与えたのだろう。

やはり、この作品で重要テーマはここか。

どんな作品でも、授業でも、こんな文章ですら、誰かひとりにでも伝わったならば、それだけで価値がある。

きっと、シンデレラの原作を考えた人にはこの話を伝えたい人がいて、ディズニーは私ではない他の誰かに伝えたくて、その人たちにちゃんと伝わっているから、映画が公開されて70年以上も立つ今でも愛され続けているのだろう。

だから、私個人が好きか嫌いかなんて、ほんとどうでもいいのだが、私がシンデレラで一番面白いというか、印象に残っている場面は、

なぜガラスの靴だけ消えなかったのか?

フェアリー・ゴッドマザーの温情なのか、魔法の限界なのか?愛の力なのか?

24時で解けるはずの魔法で、ガラスの靴だけそのままあり続けたのはなぜなのだろうか。

映画を観る限り、魔法をかけられたときに元々靴は履いていた。

つまり、元々履いていた靴がガラスの靴に変化している。

これは、カボチャやネズミにかけられた魔法と同様に、魔法によって姿が変わったものと思われる。

となると、全部に魔法をかけ続けることは膨大な魔力が必要となるため不可だけど、ガラスの靴だけであれば長く維持できる魔法をかけられた可能性がある。

では、なぜ、靴だけに長く魔法をかけたのか?

もしかしたら、フェアリー・ゴッドマザーは「未来視」ができて、ガラスの靴からシンデレラを探し出す未来を知っていたのかもしれない。

フェアリー・ゴッドマザーはタイムリーパー説!

つまり、シンデレラは「東京卍リベンジャーズ」の元ネタということになる。

継母の言いつけを守らないという意味では、シンデレラは不良である。

もしや、シンデレラの夢は、天下獲り?!

王子と結婚して最強の自分のチームをつくり、自分の仲間が住みやすい世の中をつくること?!


ああ・・・脱線してる・・・

シンデレラで授業をつくろうとしていたのだった。

とはいえ、やはりテーマは未来視

じゃなくて、未来視にも通じる「夢」にするのがよさそうだ。

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