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あんこ
2024年6月18日 10:11
こんにちは👋😃、椿あんこです。父トシオの前世を探す旅、いよいよフィナーレです。では、いってみたいと思います☺️。⛩️5人ぐらいに減った白虎隊喜多方でお約束の喜多方ラーメンを食べて、車に戻って来たら、また白虎隊士が減っていました。今は残り5人ぐらいです。父トシオの前世、白虎隊士遠藤嘉龍二は、まだ乗っていました。喜多方まで来ると、会津城下にもそれほどまでに遠くなく、白虎達は三々
2024年6月10日 16:14
椿あんこです。父トシオの前世を探す連載、今日も行ってみようと思います。⛩️山を迂回するより、川を渡れ前回の白虎隊士達の霊との会話の中で、山を迂回するのではなく、川を渡れば近道だよと言われたことを、あらためて考えてみました。確かに、当時は道路もたいして舗装されていないどころか、白虎隊士達は戦いにいくのですから、目立つような普通の道を行軍していない可能性があります。時には道なき
2024年6月7日 16:34
椿あんこです。父トシオの前世探しシリーズも、佳境に入ってきました。続きを行ってみたいと思います。トップ画像のBの地点に向かっている最中の話です。⛩️レンタカーの中に、白虎隊士が30人会社には、親と会津に行ってくると伝えてきました。しかし今、一緒に会津旅をしているのは、私達三人の他に、曾祖母の霊と、父トシオの前世である白虎隊士遠藤嘉龍二と、同じ隊の仲間29人。もはや、オカル
2024年6月6日 23:04
今日も、父トシオの前世探偵の続きを行ってみたいと思います。⛩️三人プラスのっぺらぼう今日はこれから、会津坂下を通り、舟渡、津川を経て、新潟県新発田市の赤谷というところまでいかなければなりません。帰路は、喜多方を通り、熊倉に。この舟渡、津川、赤谷、熊倉、という地名は、白虎隊寄合一番隊が戦った土地なのです。彼らは徒歩で行っていますが、私達は車です。カーナビに行き先を入力するのに
2024年6月4日 23:46
会津旅行に行く1週間前でした。中学時代に私が使っていた歴史資料のテキストをたまたま見ていたら、幕末のページで、会津藩籠城戦の際に、会津鶴ケ城を薩長軍がどう取り囲んだか書いてありました。その地図に、嘉龍二が亡くなった「青木村」も書かれていました😳○の位置になります!
2024年6月4日 11:04
福島県の熊倉という場所で行われた、熊倉の戦い。そこで負傷した、父トシオの前世である遠藤嘉龍二(会津白虎隊寄合一番隊隊士)。調べて行くと、その熊倉の戦いの様子が書かれた資料が見つかりました。その日は、白虎隊側の負傷者は嘉龍二一人だけなのです。私「え? その日は、そこまで激戦ではなかったの?」遠藤嘉龍二は、その日受けた傷の状態で、約1ヶ月は生きています。即死するような傷で
2024年5月23日 16:23
こんにちは、椿あんこです。では今日も、父トシオの前世探偵の話、行ってみたいと思います✨⛩️本気にしていなかった父トシオ母マミコのところに現れた、マミコの母の前世の霊。それは、江戸時代の武家の妻で、前世では、父トシオとは親子だったと言う。半年かけて探し当てた人物は、15歳で戦死した、会津藩白虎隊寄合一番隊の隊士、遠藤嘉龍ニ。その母の名前は遠藤龍子。✨️✨️✨️✨️✨️✨️
2024年5月8日 21:34
こんばんは🌙😃、椿あんこです。今日も、前回の続きを行ってみたいと思います☺️。⛩️父の幕末の前世、遠藤嘉龍二会津旅行から帰った私は、夏の斗南旅行(ザックリ言うと青森県の恐山のあたり)の前に、できるだけ遠藤家の基本的な情報を集めておきたいと思い、毎日、幕末の会津藩のことを調べるのが日課になっていました。父トシオの前世である、遠藤嘉龍二の家族構成は、父;嘉内、母;龍子、兄
2024年4月26日 17:03
こんにちは👋😃椿あんこです。(改名したのでハンドルネームはあんこです🩷)では、今日も続きを行ってみたいと思います。⛩️朝イチで、飯盛山にやってきた会津野口英世青春通りにあるホテルで朝食を済ませた私たちは、早速飯盛山に向かいました。朝イチにした理由は、今日の予定は会津鶴ケ城に行くのと、西郷頼母一族のお墓に行くのがメインだからです。今日の飯盛山の滞在時間はそんなにないです。
2024年4月23日 05:31
こんにちは👋😃椿あんこです。実話前世シリーズ、続きを行ってみたいと思います☺️。⛩️会津に来てみたものの年が明け、季節は春になりました。私、母マミコ、父トシオ、は、いよいよその時が来た!と言わんばかり、鼻息荒く東京から新幹線に乗り込み、会津に向かいました。マミコの枕元に現れた江戸時代の武士の妻(現世では私の祖母)のヒントをもとに、父トシオの前世は、会津藩は白虎隊の隊士