マガジンのカバー画像

#大切な日が言葉になったなら

13
インタビューギフトサービス「このひより」が贈る、「大切な日」を文章に残すプロジェクト。読みながら「自分のときもそうだったな」と思い出したり、「いずれこんな日がくるのかな」と未来に…
運営しているクリエイター

記事一覧

人生はこんなにも思い通りにならないんだ、と気づけたから。

コロナ禍で先送りになったパリ留学大学時代、油絵を専攻しながら、写真家として活動していました。どっちもずっと興味があったから、卒業後は大学院で、改めて写真も絵画も学びたいなあと思ってて。両方同時に専攻できる学校がパリにあったので、そこに進学しようって決めてたんです。 でも、2020年にコロナ禍が来た。卒業する2021年の春になっても混乱は続いていて、海外と行き来するのはまだ現実的じゃないな……という状況だったんです。フランス留学を諦めたわけじゃなかったけど、もう少し時期を待つ

「私なんや」って気づいて、視界がちょっと開けたんですよ。

「ちょっと付いて来てくれへん?」 もともと、ずっとインターンをしてた会社やったんです。地元企業の人事や採用の支援とか、まちづくりとか、とにかくいろんなことをしてる会社で、オフィスが古民家の中にありました。 社員さんは当時まだ数人しかいなかったけど、プロジェクトがすごいたくさん動いてて、「行けば何かしらやることがある」みたいな状態で。週に2〜3回くらいは通って、細々したタスクをお手伝いさせてもらってました。ワークショップのための備品を準備したり、資料をまとめたりアンケートを

こんな大事な言葉をくれたんだから、同じ熱量で返さないと。

経験したことのない恐怖の中で 最初の爆破が起きたときは、日本に一時帰国していて、正直「この状況でスリランカに戻りたくない」って気持ちもありました。外務省の職員だから行かないといけなかったんですけどね。むしろ現地の邦人を守る立場だったので、外出禁止令が出ているなか戻ってすぐに出勤していました。 でも、まだ首謀者が捕まっていなかったこともあって、毎日チェーンメールのようにテロの噂が回ってくるんです。「あそこの白い車に爆弾が積まれてるらしい」とか「この車番には犯人が乗ってるらし

あの日のタイ料理が、忘れられなかったから。

忘れられないタイとの出会い私がタイ料理にはまったのは、25歳のときです。 大学卒業後に、看護師を目指して別の学校を受験したら落ちちゃって、これからどうしようかなあ、と考えているときでした。ふと「就職したら、この先自由な時間ってあんまりないよな」と思って、ずっと行ってみたかった東南アジアを周ってみたんです。 期間は1ヶ月。タイから入って、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーに行きました。それまでも海外旅行は何度かしたことがあったけど、1人は初めて。ずっと緊張してました。

どこまで関わったかで、父親になれるか決まる気がして。

少しずつ広がりをみせる「男性の育休」。このコロナ禍で、育児におけるパートナー同士の支え合いがますます大切になるなか、滋賀在住、会社員の祥秀(よしひで)さんは、自身2回目となる育休を取得しました。 「妻が大変な時期に傍にいて、3人の子どもたちとゆっくり関われたのが本当に良かった」 妻・真珠美(ますみ)さんの実家へ里帰りができなくなったことで、夫婦だけで出産を乗り切ろうと決意。大変なこともありながら、充実した1ヶ月を過ごしてきたときの気持ちを語っていただきました。 (聞き手

病院に向かう途中、月がすごくきれいに見えて。

2回目の「緊急事態宣言」が1都3県に出された直後の、2021年1月10日。滋賀在住、工芸作家の真珠美(ますみ)さんは自宅近くの病院で、3人目のお子さんを無事に出産しました。 過去、1人目・2人目のときに経験していたのは、自分の実家での出産。コロナ禍で東京への里帰りを諦めざるを得ず、当初は「とにかく不安だった」と真珠美さんは話します。 そんな彼女を支えてくれたのは、2回目となる育休を取得してくれた夫・祥秀(よしひで)さんでした。 ひとり病院に向かうタクシーのなかでの、不思

みんな、どこかで見てくれとったんよね。

「あの日、背中を押してもらったっちゅうか。『もうちょっと頑張れるやろう?』って、教えてもらった感じなんよね」 大阪で8年勤めた会社を辞め、地元・広島にUターン。今は山口県岩国市で「シェアオフィス」と「高齢者の生活支援」を営む顕児(けんじ)さんは、事業が歩みを始めた2016年10月18日をそう振り返ります。 自ら運営する場所での、初めてのイベント。そして、想定外の依頼。 ふたつの“第一歩”を通じて、Uターン以降の「手探り」がつながった日のことを話してもらいました。 (聞

ここでなら、素直に生きていけるかもしれないって。

きっと誰もが一度は考える、仕事と暮らしのバランス。それぞれの人生において「どこで働き、生きるのか」は、その後の出会いを変える大きな決断です。 今回お話を伺った保育士の真璃子さんは「自分はなにを大切にしたいのか」を考えた結果、東京から長野への転職・移住を決意。もうすぐ、2年目に入ります。 そんな真璃子さんにとっての大切な日——現在の職場である『森のようちえん ちいろば』(以下『ちいろば』)と出会った日のことを聞かせてもらいました。 (聞き手・執筆/染谷楓 編集/佐々木将史

「あのとき、できたかもしれないのに」って後悔したくなかった。

生きる場所が、変わる。それは、まさに“人生が変わる”瞬間。新しい地での生活が楽しみな一方で、まだ見ぬ暮らしを不安に思う人も多いはずです。しかも、それが海外となれば尚更……。 「俺、楽しみで楽しみで、興奮しか覚えてないんだよ」 そう語るのは、国際結婚をきっかけに海外移住を決意した大希さん。彼にその興奮が最高潮に達した瞬間を尋ねると、移住のために必要なビザが届いた日——2018年11月27日のことを教えてくれました。 人生が大きく動いた日、彼は何を思っていたのか。それが移り

向き合う関係から、一緒に進んでいく“仲間”になったみたいな。

2019年11月22日、“いい夫婦の日”。京都に暮らす早紀子さんが、夫・康孝さんと入籍した記念日です。 当時、すでに1年以上一緒に生活していた2人にとっては、ただ婚姻届を出しただけの日。けれどもそれは、普段と変わらない日常のなかに現れた、少しだけ特別な1日でした。 「『嬉しいです』って言われたことに、すごくびっくりして」。早紀子さんは当日のことを少しずつ振り返りながら、この1日を境に変わっていった、康孝さんとの関係についても語ってくれました。 (聞き手・執筆/佐々木将史

自分とはるの力を信じてみたいって。

 「出産は、楽しかったですよ」 おおらかな笑顔でそう話してくれたのは、1歳になるお子さんのママ、美羽さん。子どもを産むのって、すっごく痛くて……そんなフレーズを想像していただけに、彼女の口から出た言葉は少し意外でした。 美羽さんにとっての「大切な日」は、2019年4月3日。最愛の息子、はるくんが生まれた日。 出産の痛みを超える喜びがつまった日のことを、美羽さんははるくんを優しく撫でながら、ゆっくりと語ってくれました。 (聞き手・執筆/染谷楓 編集/ウィルソン麻菜)

明日、僕を「とと」って呼んでくれたら。

“産む”というリアルな経験や、はっきりした区切りのないままに始まる「父」の子育て。次々やってくる“初めて”に手探りで向き合いながら、ただただ戸惑いを覚えたり、それでも楽しさを感じるようになったり。 「親になるって、何なんでしょうね……?」 今回、インタビューした拓馬さんと振り返ったのは、ご自身の息子・英之介くんが1歳を迎えた誕生日の記憶です。 父として1年経った今、自分が「変わったな」と思うこと。「でも、誕生日って節目ではあるけど、特別な気持ちはそんなになくて」とも話す

信じられないよね、子どもがおなかの中にいるって。

「大切な日のこと、聞かせてくれませんか?」 そんな突然のお願いにも関わらず、自らの出産の日のことを教えてくれたのは香月さん。2歳になったばかりの蒼依ちゃんのママです。インタビューのとき、妊娠から出産までを綴ったノートを見せてくれました。 「蒼依が大人になってこれを読んだときに、クスって笑えるようにね」 今ではすっかり大きくなった娘の顔を、初めて見たときのこと。本当はノートを見返す必要もないくらい鮮明な記憶。かけがえのない経験をした、2018年5月29日の話です。 (聞