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「あのとき、できたかもしれないのに」って後悔したくなかった。

生きる場所が、変わる。それは、まさに“人生が変わる”瞬間。新しい地での生活が楽しみな一方で、まだ見ぬ暮らしを不安に思う人も多いはずです。しかも、それが海外となれば尚更……。

「俺、楽しみで楽しみで、興奮しか覚えてないんだよ」

そう語るのは、国際結婚をきっかけに海外移住を決意した大希さん。彼にその興奮が最高潮に達した瞬間を尋ねると、移住のために必要なビザが届いた日——2018年11月27日のことを教えてくれました。

人生が大きく動いた日、彼は何を思っていたのか。それが移り住んだ日でないことに驚きつつ、現在、アメリカのシアトルに住む大希さんに話を聞きました。

(聞き手・執筆/ウィルソン麻菜 編集/佐々木将史

後悔を最小限にしたいから

何かきっかけがあったわけじゃないんだよね。

ただ、いつか海外で暮らしてみたいって気持ちはずっとあったと思う。日本で就職していても、アメリカへの憧れは強かった。今いるエンジニアの業界に興味を持つようになったのも、大学でサンフランシスコに留学しているときに現地のスタートアップでインターンしたのがきっかけだからね。

でも、就労ビザを取得するのはすごく条件が厳しくて、「企業からサポートしてもらえないとアメリカは長期滞在が難しい」って言われてた。だから、婚約するまではアメリカの人と結婚すると永住権が手に入るって全然知らなかったんだけど、それを知ったときに「もしかして、これってめちゃくちゃチャンスじゃないか?」って思った。今なら向こうで挑戦できるんじゃないかなって。

日本に住み続けるって選択肢もあったんだけどね。Amazonのジェフ・ベゾスが「後悔最小化理論」って言ってて。彼は、自分がおじいちゃんになって人生を振り返ったときに後悔しそうなことを、とにかく最小化する選択をしてきたらしいんだ。

それを自分に当てはめたときに、「あのとき、アメリカ移住できたかもしれないのに」って後悔するかもしれないと思った。だから、ここで移住することが、“後悔を最小化”する選択なんじゃないかって。やってみて合わなければ、また日本に帰ってきてもいい。とにかく後悔をしないようにって決めた移住だった。

不安はあんまりなかったかな。振り返ってみると、俺いつも「これだ!」って思ったものに突き進むところがあって。だから、そのときも「やるぞ!行ける!」って、そこしか見えてなかったんだと思う。

奥さんに話したら2人で盛り上がっちゃって、「よし、アメリカだー!」ってすぐ申請した。なのに、申請してから配偶者ビザが下りるまで、1年1ヶ月もかかったんだ。本当に長かったよ。

「人生が動いた」実感は、山梨で

だからこそ、ビザを受け取った時は、「やっと!」っていう気持ちが大きかった。実は、移住関係で一番印象に残ってるのって、日本を発った日とかアメリカに着いた日じゃなくて、「ビザを受け取った日」なんだよね。

その頃はもう東京の家を引き払って、奥さんは先にアメリカで仕事を見つけて引っ越していた。俺は山梨の実家に帰ってエンジニアの仕事をしながら、自然の中を走ったり美味しいものを食べたり、リラックスして過ごしてたんだ。でも、ちょっと飽きてきてた頃でもあったかな。シアトルで生活する準備はできていたのに、「あとはビザさえ届けば」ってもどかしかった。

待ちに待ったビザが届いたのは、2018年11月27日。書留の連絡が来てたから「その日に絶対に受け取ろう!」と思って、朝からずっと家で待機してた。

11時頃にピンポンって来たときには「来た!!!」って走り出すような感じ。大きな分厚い封筒に、100枚くらい書類が入った封筒が届いた。あのときはね、完全勝利!!って感じだったね。まずは奥さんに電話して、家族にもビザ下りたよって伝えて。

両親は複雑な心境だったかもしれない。4ヶ月くらい山梨に戻ってたんだけど、きっと、もうそんなに長く一緒に暮らすことってないだろうし。ついにアメリカ行くのかって、家族にとっても印象深い日になったと思う。

変化にビビってる、その時間がもったいない

そこから出発までの間は、「日本食の食べ納めだー!」って地元のおいしいものを食べまくってた。モツ煮とかほうとうとか、山梨の名産を全部食べる、みたいな。父親に頼んで温泉につれていってもらったり。温泉とおいしいごはん、日本は本当に最高だと思ったね!

あとは何してたっけなあ。あ、そうそう、とにかく急いで荷造りしてた。実はビザが下りる前に、シアトルへの片道チケットを取ってたんだよね。しかも1週間後の、12月3日。狂ってるとしか思えないよね……。ビザが下りなかったり遅れたりしてたら、やばかった(笑)。

今思えば、何をそんなに焦ってたんだろう。

もうアメリカに早く行きたくて、しょうがなかったんだろうと思う。恐怖や不安よりも、シアトルで暮らすことが楽しみだった。だって、普通しないよね、ビザも下りてないのに飛行機予約しちゃうなんて(笑)。でも、その理由が思い出せないし、当時の詳細もあんまり覚えてない。楽しみで楽しみで、興奮しか覚えてないんだよ。

移住とか留学、転職も起業も。「変化」って普通はこわいと思うんだけど、そうやって迷ってる時間のほうが人生を無駄にしてるって思うんだ。

まずは、やってみなきゃわからない。やってダメならしょうがない。「YOLO」(You Only Live Once)って言葉のとおり、人生は一度きりだから、迷ったり、悩んだりする時間があったら一歩でも前に進みたい! って思うんだよね。

まずはここで、深く根を張って

移住して1年半経ったけど、海外移住したからすべてが幸せになりましたってわけじゃない。生活幸福度で言ったら、確実に日本のほうが高いよ。ごはんおいしいし、温泉あるし。……って、そればっかりだね(笑)。

でも、仕事の待遇や人との関わり方、家の広さを考えるとアメリカはゆったりと自分のペースで生きられる。結局、プラスマイナスゼロというか、“暮らす”ってのは大きくは変わらなくて。

まだ先のことはわからないけど、今はリモートワークも進んでるから、いずれ日本3ヶ月、アメリカ9ヶ月、みたいなハイブリットな暮らしになるのが理想かな。だけど、大きなことを成し遂げるには、ある程度場所を決めて腰を据えなければいけない、とも思うんだよね。

今は、ここで深く根を張ってみたい。新しいアプリの開発も進んでるし、こっちでやりたいこともある。子どもも生まれたしね。最近は郊外に家を買おうかな、なんて考えてるよ。

移住したときは脇目も触れず一歩でも前進することが価値だったけど、今は家族が健康で「家族で成功したい」という想いが強い。人生の違う側面から、新たな楽しみ方が見つかったって感じだよ。

コロナで準備していた事業がストップしちゃったり、大変なこともある。だけど、移住した日のわくわく感を忘れずに、ここシアトルで挑戦を続けるつもり。これからもやっぱり、わくわくし続けたいね。

ダイキラスト


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