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明日、僕を「とと」って呼んでくれたら。


“産む”というリアルな経験や、はっきりした区切りのないままに始まる「父」の子育て。次々やってくる“初めて”に手探りで向き合いながら、ただただ戸惑いを覚えたり、それでも楽しさを感じるようになったり。

「親になるって、何なんでしょうね……?」

今回、インタビューした拓馬さんと振り返ったのは、ご自身の息子・英之介くんが1歳を迎えた誕生日の記憶です。

父として1年経った今、自分が「変わったな」と思うこと。「でも、誕生日って節目ではあるけど、特別な気持ちはそんなになくて」とも話す理由。——飾りなく語る言葉が、リアルな“ひとりの父”の姿を教えてくれる気がします。

(聞き手・執筆/佐々木将史 編集/ウィルソン麻菜

2020年4月7日、1歳。

英之介の誕生日は……そうそう、平日でした。仕事帰りに、弟が経営してる居酒屋に寄って、料理をテイクアウトしたんです。新型コロナの影響でもう通常の営業はしてなくてね、店内では食べられなかったから。

で、家に帰ったら奥さんが他にいろいろ準備してくれてて。ケーキ作ったり、フェルトで王冠作ったり。たぶん、もともと手作りとかすごい好きなんですよ。「1ヶ月ごとの成長が分かるように」って、毎月写真を額に入れて飾ってくれる。僕はそういうの得意じゃないから、すごいなと思って見てるだけなんですけど……(笑)。

あとは3人で、ごはん食べてケーキ食べて、写真撮って。王冠は、英之介の相棒のトラのぬいぐるみが被ってたかな。手形や足形なんかも取りました。

まあでも、本人はまだ分かんないですよね(笑)。誕生日とかってね、急に祝われても。

ケーキのイチゴも全然好きじゃなかったし。「お前、メインのこれ食わんでどうするねん」みたいに言ったけど(笑)、すごいすっぱそうな顔して食べてました。

どうやって「親になる」かは、分からないけど

僕自身も……正直、「1歳なった!やったぞ!」って実感はあんまりないんです。最初の誕生日やし、すごい分かりやすい節目ではあるけど、そこまで特別な感覚が湧く感じではなくて。

英之介のできることがどんどん増えてきてて、嬉しいなって気持ちは毎日ある。どちらかというと、誕生日もその積み重ねのなかの、ひとつの通過点なんかなって思います。

気づいたら1年経ったけど、これで親になったんかな……?そもそも親になるって、何なんでしょうね?

1年前に生まれたときも、正直に言えば、「自分の子どもや!」って実感はあんまりなかったんです。奥さんのお腹の中で別の心臓が動いてたこと自体、「信じられへん」って気持ちのほうが、ずっと強かった。

でも、そこから一応「親になった」ってことは、やっぱり「それまでの自分から何かが変わった」ってことだと思うんですよ。それって何やろうな?とは思ってて。

ひとつだけ言えるとしたら、英之介が車に轢かれそうになったら、体張って助けることかな。おぼれても全力で飛び込んで助けるだろうし。そのイメージはありますね。分かんないけど、そういうことなのかもしれないです。

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僕の遊びに、英之介が付き合ってくれてる

子育ては、日に日に楽しくなってますよ。親としての実感はともかく、僕が「一緒に遊べる相棒ができた」と思ってるから(笑)。子どもを理由にして、僕が遊びに行かせてもらってる。

今だってもう畑も連れて行くし、これからカヌーとか釣りも連れて行きたいし。

僕自身、小さい頃にそういう経験を結構させてもらったんですよね、親父に。「思い出は?」って聞かれたら、遊園地行ったのよりも、海とか川に行ったことの方が多いです。釣った魚を食べることとか、僕も教えてあげたいなって思いますね。

ただ僕、全然子ども扱いしないんで、「自分で餌ぐらい付けろ」とかすぐ言いそうな気がするな……(笑)。奥さんによく、「自分だけ夢中にならんと、ちゃんと見といてや」って言われるんで、そこは気をつけようとは思ってるんですけど。

子どもに対しては本当に、単純に人として対等に見てますね。だから、絶対に目の前で、英之介が悪口と感じることとかも言わへんようにしてます。ちゃんと聞いてると思うから。

僕ね、いつも寝る前に写真眺めてるんです。その日撮った英之介の写真。だって、常に動き回ってる中で何かを感じても、目の前のことは一瞬で流れていっちゃいますよね。ちゃんとその瞬間を振り返られるのって、写真を見るときなんですよ。

英之介が寝てるすぐ横で写真見て、「これ、何考えてこの顔なんやろう」とか考えるのが楽しいんです。奥さんにはね、「ここで寝てるやん、本人の顔見たら?」って言われるんですけど。でも、そう言う奥さんも、たまに僕と同じことしてる(笑)。

だから、誕生日も寝かしつけたあと、2人でスマホ見てた気がしますね。いつもと一緒で。「なんでこんなポーズしてるんやろうな」とか思いながら。

自分で「決められる」人になってほしい

もともと僕は、記憶をどんどん更新してっちゃうタイプなので、今日と昨日を比べながら、「こんなことできるようになったな」ってただただ思うだけなんです。目の前の英之介としか向き合ってないから、この1年で起きたことも、正直どのくらい覚えてるか結構怪しい。

逆に、先のことにしても、今は細かく「こうなってほしい」とかも全然ないし、あんまり長い目で見てない。まあ明日、僕を「とと」って呼んでくれたら嬉しいなとは思うけど(笑)。

ただ、そうは言ってても、そのうち英之介が大きくなったら「ああしろ、こうしろ」って彼の人生に口を出すようにならへんか……って不安はありますね。それが怖いかも。

僕、基本がオールドタイプなんですよ。「こうしないとあかん」「客観的に正しそうな選択をしたほうがいい」って考えをどこか持っちゃってたし、今もそういうとこあると思う。でも、子どもには周りを気にし過ぎてほしくないなって。

それもあって、『英之介』って名前にしたんです。『英』は英断とか英雄とか、優れて正しい決断ができることのイメージで、『之』は一文字、つまり一本の道の意味。自分の中でしっかり一本筋を通してほしい、って気持ちを込めてる。

自分で選んで、それをちゃんと語りきれれば、もうその人の正解じゃないですか。そういう決断ができる人、意志を持って毎日生きられる人というか。とりあえずやってみて、良かったかあかんかったか見直してを、繰り返して成長する子になってほしいかな。

だから、できるだけ自分で決められるようにとは思ってるけど……結局、毎日そこまで考えて接してはなくて。「何して遊ぶ?」って聞いてるうちに「それ」って言い出したら、ただ単におもしろいなと思って遊んでる(笑)。やっぱり、僕が楽しいんですよね。

英之介くんラスト


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