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「私なんや」って気づいて、視界がちょっと開けたんですよ。

「学生」という肩書きを外れ、周囲から「社会人」と目される立場になっていく。

春が訪れるたびに多くの人が経験する変化を、3年前の奏(かなで)さんも味わいました。それもいきなり、地域の大きなプロジェクトのメイン担当者として。

「すごい覚えてるのは、自分が決めていかないと何も進まない、って気づいた瞬間です。『私なんや』ってハッとして、何か視界がひらけたというか」

サポート業務が中心だったインターン時代から一転、自分にかかる重圧をどう受け止めていったのか。「社会人」であることを意識した、最初のきっかけとともに振り返ってもらいました。

(聞き手・執筆/佐々木将史 編集/ウィルソン麻菜

「ちょっと付いて来てくれへん?」

もともと、ずっとインターンをしてた会社やったんです。地元企業の人事や採用の支援とか、まちづくりとか、とにかくいろんなことをしてる会社で、オフィスが古民家の中にありました。

社員さんは当時まだ数人しかいなかったけど、プロジェクトがすごいたくさん動いてて、「行けば何かしらやることがある」みたいな状態で。週に2〜3回くらいは通って、細々したタスクをお手伝いさせてもらってました。ワークショップのための備品を準備したり、資料をまとめたりアンケートを集計したり、原稿をWebサイトにアップしたりとか。

「どう思う?」って意見を求められて、アイデアを出すこともあったんですけど、その時点ではやる方向はだいたい決まっていた気がします。今振り返ると、何かしら「枠」があるなかで動かせてもらってたんやなって思いますね。

正社員として内定をもらってからも、その関わり方は大きく変わらならなかったんですが、あるとき代表の人に「ちょっと打ち合わせ付いて来てくれへん?」って声をかけられたんです。入社前の……たしか2月くらいだったと思います。

それが、社会人になって最初の仕事にスライドしていったんですけど、まあハードで(笑)。今でもすごく印象に残ってるんですよね。

「それ、私が決めていいんですか?」

私が担当したのは、滋賀県長浜市のお寺さんが主催された、ある大きな周年行事でした。ゴールデンウィークを挟んで2カ月以上も続く、すごく大きなイベントで、必要な制作物をうちの会社がつくることになってたんです。

Webサイト、チラシ、ポスターはもちろん、パンフレット、市内に立てられる幟から、スタンプラリー、まちの加盟店さんが使うシールまで……もうとにかく種類がたくさんあって。最初は「何が、いつまでにいるのか」という整理のお手伝いから始めました。

そのとき、代表の人から「4月からがっつりよろしくね」って言われて。入社してからは、ほんまに私がメイン担当になっていったんですね。

もちろん4月1日になっていきなりじゃなくて、たとえば最初の2日間は新入社員研修を受けさせてもらって、社会人マナーなんかを勉強する時間もありました。でも次の日には、もう一人でお寺さんに打ち合わせに行ったのを覚えてます。そこからどんどん、自分だけで進めるようになって。

けど、いろんなことが全然わからないんですよ。たとえばデザイナーさんと打ち合わせをして「いつ要りますか?」って聞かれても、どう納期を設定すればいいかわからない。むしろ「ええ⁉️それ私が決めるんですか……?」って感じで(笑)。

あとはお店に貼るステッカーをつくるとき、シールの素材を選ぶんですけど、めちゃくちゃ種類があるんですよね。で、ネットで調べるとそれぞれ金額が違う。「え、自分の判断でお金変わるん……?」とか。決めることによる影響の大きさを急に感じるようになって。

そのうち、制作物が5〜6個同時に動きだすと、今度は「こっちに集中してたらあっちがヤバい」みたいなことが平気で起こり始めました。何が間に合ってて、何が間に合ってへんかもわからなくなって、うわ、どうしようってオロオロして。もう目の前のわからないことをとにかく人に聞くしかなくて、1個ずつとにかく細かく当たりながら進めていった気がします。

「そうか、私が決めなあかんのや」

そんな4月の、たぶん割と早い時期に、「判断のボール」が自分にあることを明確に感じた瞬間がひとつあったんですよ。

それは「どうすればいいですか?」って代表に聞いたときの答えが、「どうしたらええと思う?」に変わったって気づいたときです。それまで、聞けば普通に教えてくれてたのに。

なに、急に厳しいやん……って(笑)。正直、そんなこと言わずに教えてください、って思いました。

でもそれは、「どうしたらいいですか?」が質問としてフワッとしすぎてる、という意味やったんですね。だから、直接答えはもらえないけど、「そういうときは『これとこれで迷ってます』『こうしようと考えてるんですけど、どう思います?』って話を持ってきてもらえると僕も答えられるから」みたいな、“聞き方”のアドバイスはしてもらえて。

実際、一度机に戻って、できる範囲で調べ直してまた聞きにいくと、「この2つならこっちがいいと思うけど、こういうのもあるはずやから比べてみて」とか意見をくれるようになったんです。ああ、そういうことかと思って。

今振り返れば、もともと決断するのが苦手な自分への、訓練やったのかなと思います。何も絞らずにただ当たるんじゃなくて、まずは自分で情報を取って、考えてから動く。そういう思考が少しずつできるようになって……いつやったかな、ふっと気づいたんですよね。「そうか。ほんまに私が動かな、何も進まへんねんや」って。

「自分が決めなあかん」、そう思った瞬間に改めて責任をすごい感じて、でも「重たいけど、仕事ってこういうことなんかな」って新鮮な感覚にもなったんです。ちゃんと自分ごとになるというか、ちょっと視界が開けた感じがしました。

「あ、やろう」みたいな感じで、腑に落ちた瞬間が確かにありましたね。

「しんどいときは、しんどいって言えるので」

結局その仕事は、私がこの3年間でいろんなディレクションの案件を担当するなかでも、ボリュームの大きさとしてはトップ3に入るお仕事でした。しかもその4月が、制作のピークやったんです。ようやったなと思います(笑)。

当時、たとえばインスタを開くと、同級生だった人の多くはまだまだ研修が続いてて。がんばったご褒美の、スタバの写真とかが流れてくるんですよね。それを見て、自分の世界は全然違うなって感じてました。

ただ、「人と比べてもしゃあないな」とも思ってて。ここにはここの温度感や、スピード感がある。周りは関係ないなって考えるようにしました。

振り返ってみると、あの仕事の渡し方は正直、ちょっと雑すぎでしょうって思いますよ(笑)。それは未だに思うことがあるから、「投げ方が雑です」ってちゃんと直接言うようにしてて。でも一方で、最初のあの経験はすごいよかったなと今でも思ってるんです。

たとえば、お客さんの反応がダイレクトに見えたこと。実際にイベントのとき、町中にステッカーが貼られてたり、来た人がパンフレットを手に取ったりして、使われてるシーンを見られたのがすごいよくて。ずっと動いてきた結果が、ここにつながるんやというのが見えて、それまでやってきたことの価値も改めてわかりました。

手を抜かないことの大切さも、このとき実感しましたね。依頼してくれはるお寺さんの担当の方も、「一生懸命準備してくれてありがとう」って何度も言ってくださって。別に一生懸命さを自慢したいわけじゃないけど、そういう姿勢は伝わるんやなとも感じました。その後に向けた、いろんなギアがここで入ったなって思います。

こう言うと、私がひたすら頑張ってるように見えると思いますけど、バランスも大事にしてるんです。しんどいときは、ちゃんと「しんどい」って周りに言うようにしてて。それはね、言えるんですよ。先輩もみんな「今日は無理」とか遠慮なく言ってますから(笑)。

みんながんばるときはがんばるけど、ゆるさもちゃんとある。そんな会社の空気感に助けられてるから、私も続けられてるのかなと思います。決めるのも苦手やったけど、弱みを見せるのもすごく苦手やったので。それが自然とできる場所だから、今も仕事にワクワクできるし、毎日がすごく楽しいです。

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