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こんな大事な言葉をくれたんだから、同じ熱量で返さないと。

2019年4月に、スリランカの都市コロンボを始めとする8ヶ所もの場所で起きた「スリランカ連続爆破テロ事件」。現地で生活していた裕奈さんは、当時のことを真剣な顔で振り返りました。

「『怖い』なんて、日本の友人や家族には言えなかったです。心配かけるだけだから」

いつまたテロが起こるかわからない不安のなかで、次第に笑顔を作ることもできなくなっていったと話す裕奈さん。実は外務省勤務の傍ら、スリランカの女性たちを雇用するフィットネスウェアブランド『kelluna.』の起業準備も進めていました。

恐怖と戦いつつも、その心にあったのは「kelluna.は辞めない」という強い決意。その後の出来事をとおして、裕奈さんは外務省を辞め、何ヶ月も前倒しで起業することになりました。

裕奈さんの大切な日は、“ある言葉”が、彼女とブランドを前に進ませてくれた日です。

(聞き手・執筆/ウィルソン麻菜 編集/佐々木将史

経験したことのない恐怖の中で

最初の爆破が起きたときは、日本に一時帰国していて、正直「この状況でスリランカに戻りたくない」って気持ちもありました。外務省の職員だから行かないといけなかったんですけどね。むしろ現地の邦人を守る立場だったので、外出禁止令が出ているなか戻ってすぐに出勤していました。

でも、まだ首謀者が捕まっていなかったこともあって、毎日チェーンメールのようにテロの噂が回ってくるんです。「あそこの白い車に爆弾が積まれてるらしい」とか「この車番には犯人が乗ってるらしい」とか。村社会なので噂がすごくて。うちからすぐ近くの寺院が次に爆破されるかも、っていうのもありました。ただのチェーンメールだったら信じないですけど、やっぱり一度は本当にテロがあったわけなので、どうしても信じちゃうんですよね。

現地の駐在員ってほとんど家族で来てるんです。私は単身赴任だったので、外に出ればもちろん怖いけど、家の中にいても一人でつらかった。日本の家族や友達に「テロが怖い」なんて言っても、心配かけるだけですから。そういう日々が続いて、メンタルやられちゃったんでしょうね。笑えなくなっちゃったんです。作り笑顔すらできなくて、かと言って泣くこともできない。何も考えられない「無」の状態でした。

実は当時、スリランカのデットストック(廃棄されてしまう布)を使ったフィットネスアパレルブランドを立ち上げようと準備していたんです。アトリエを借りて、現地の女性たちを雇って、ブランドの開始に向けて前に進めているところでした。ところが、メインで動かしていた私がそんな状態になって、「次はあれやろう、これやろう」ってたくさん浮かんでいたものも何も考えられなくなっちゃった。なんとか継続してはいるけど、足踏みの状態。

私のなかで「起業を諦めて日本に帰る」という選択肢はなかったんです。でも、スリランカにいるのも嫌だ、じゃあどうしたらいいんだろうってパニックになってた。私からは何も言わなかったけど、アトリエにいる従業員の女性たちにも伝わっていたと思います。

一人ぼっちだと思っていた

ブランドの立ち上げに動き出したのは、スリランカ駐在になってすぐでした。アトリエを借りて、布を探して、同時並行で人を採用して。そこまでは3ヶ月くらいでできていたので、すぐに外務省を辞めて事業を始める選択肢もあったんですね。でも、結局は1年9ヶ月もかかった。その一番の理由が、信頼関係をつくる難しさだったんです。

まず採用がすごく難しかった。私が“日本人”というだけで、「日本に行けるかも」とか「お金が入って人生変わるかも」みたいな期待をして応募してくる人がいるんです。女性に絞って募集したのに、男性が来たこともありました。

私はこの事業をライフワークとして、「スリランカの女性を雇用して笑顔にして、日本の女性に向けてセルフラブ(ありのままの自分を愛すること)を伝える」っていうコンセプトでやると決めていたので、それを理解して同じ方向を向いてくれる人を優先して採用しました。縫製のスキルは、後からでもいいやって。

でもね、目指している世界が同じ人たちだと信じて採用しても、やっぱり揉めるんですよね。本当に些細なことなんですよ。いや、些細っていうか……納期を守らないとか、5時間遅刻してきたり、無断欠勤したり。まあ、スリランカでは当たり前、みたいなところはあるんですけど(笑)、私からしたら「舐めてんの?」みたいな気持ちにどうしてもなっちゃって。

もちろん、一緒に飲みに行ったり、誕生日のお祝いをしたり、家族を紹介してもらったり、少しずつ打ち解けている感覚はありました。ただ、徐々に関係は深まってても、お互いに「人生まで任せられるかはわからない」っていう状態だったんだと思います。

そんなとき、テロが起きた。アトリエでは、あんまり自分の不安な気持ちは言っていなくて。やっぱり威厳を保つというか「舐められちゃダメだ」って思っていたから。だから、なおさら孤独で不安で。誰にも相談できないまま、日々を過ごしていました。

「あなたは家族」と言われた日

でも、彼女たちも何か感じ取っていたんでしょうね。あるとき「今は気分が暗くなるのもしょうがないよね、わかるよ。もしかして、家で一人でしんどかったりするの?」って率直に聞かれました。私もいっぱいいっぱいだったから笑顔で返せなくて、「こんな状態だよ、つらいに決まってるじゃん」みたいに言い返しちゃったんですよね。

お互いに英語が第一言語じゃないし、私の現地語は片言なので、今思えばどこか取り繕って接していたところがあったのかもしれません。そうやってイラッとしたり、感情を言語化したりってことがなかった。だから、そこに返ってきた言葉を聞いて、正直すごくびっくりして。

「You are our family now. If this terrorist attack is mentally getting to you, please stay with us at our house. Don’t be alone. We love you.(あなたはもう私たちの“家族”。このテロがあなたを精神的に追い込んでいるのなら、私たちの家においで。一人でいないで。私たちはあなたを愛してるよ)」

スリランカの人たちにとって「ファミリー」っていう言葉は、日本と重さが全然違うんです。日本だと家族でも仲が悪い人もいるけど、そういうのはあんまり聞かない。やっぱりファミリーは「絶対的に人生で優先すべきコミュニティ」という価値観が浸透していて。そこに自分も含めてくれたっていうのは、驚きだったんですよね。

アトリエの人たちからしたら、スリランカ人じゃない私は帰ろうと思えばいつでも日本に帰れるわけで。日本に帰って就職したほうが、お金だって、安全性だっていいに決まってるのに、この子は一人ぼっちでずっとここいる。「こんなときにも逃げ出さないこの子は、心から信じていいんだ」って思ってくれたのかもしれません。

結局、大使館までの通勤が遠いから、彼女たちの家にお世話にはならなかったんです。けど、何かあったときに頼れる存在がすぐそこにいるんだって思うと、気持ちが全然違いましたね。

嫌いなところも含めて、好きだから

アトリエでの会話があった次の日、大使館に行って「辞めます」って伝えました。大事な「ファミリー」っていう言葉をもらって、これは彼女たちに同じ熱量で返さなきゃいけないなって思ったから。2019年の7月のことです。

ブランドも、本当は契約満了になる翌年の2月に大使館を退職してから、日本で撮影や準備をして4月にリリースするつもりだったんですけど、そこからスケジュールをギュウギュウに詰めて2週間でリリースしました。「スリランカの彼女たちが待っててくれているから」っていうのが大きくて、できるだけ前倒ししたんです。

自分たちの成果品が日本の人たちの手に届くのを待っているのに、例えば「8月も9月も日本で準備するから、11月まで待って」とかってなると、盛り下がるじゃないですか。だから「最速で、2週間でやるから」って見切り発車で言っちゃって。良い意味ですごい感情的になっていたから、その熱量のままでやんなきゃって思いました。

スリランカに関わっている人の中には、本当に“スリランカラブ”な人も多いんです。スリランカ大好きだから関わりたい、貢献したい、みたいな。でも、私はスリランカが好きか嫌いかって聞かれたら、最初に出てくるのは「嫌い」なんですよね。イライラすることもいっぱいあるし、悪口は絶えないです(笑)。

でも、何も知らない人が悪口を言うのは嫌なんです。誰かが身内を悪く言うと腹が立つ、みたいな感じ。「何も知らないのにそこだけを見ないでよ」って気持ちになるのかな。

「嫌い」と同じくらいの「好き」があるから、ブランドを辞めるっていう選択肢もなかった。相手の欠点も知った上で一緒にいるっていうのは、それこそ恋愛とか家族みたいなものですね。

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