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子どもと瞑想 ――10歳になる前の早い時期から瞑想を!

子どもが瞑想やマインドフルネスを実践するのは大賛成です!ホントに大大大賛成です!できれば誰もが小さいうちから瞑想を実践すべきだと考えています。

上手くいけば、心身の状態や健康、さらにその子の人生の質や幸福度といったことへの瞑想のポジティブな効果もかなり大きくなるかもしれません。

今回は「子どもと瞑想」について備忘録的に。

子どものうちから瞑想を!!

瞑想、マインドフルネスは時代の先端を行くIT企業でも採用されたこともあり広く認知されるようになりました。
その効果も集中力・記憶力upや創造性の向上、健康、ストレスマネジメント、アンチエイジングなど多岐にわたると言われています。

私も酷いうつから瞑想によって回復するという経験によって、瞑想の効果を目の当たりにして、確実に時間をとって実践するようにしています。

私は小学5、6年もしくは中学の頃には、自分でも不思議なことに瞑想したいという衝動が既にあったのですが、上手い瞑想のやり方がずっと分からずにいました。
短時間しか集中力が続かなかったにしても、実際に瞑想っぽいものをするようになったのは20歳を過ぎてからです。

子どものころに、ちゃんとした瞑想のやり方を、できれば親から教わることができていればなぁ、と思います。

子どもの頃から瞑想を実践すべきなのは、ズバリ、成長・変化の重要な時期だからです。
心と体、神経生理(中枢神経、自律神経など末梢神経、内分泌系)の成長・変化における非常に重要な時期だからです。

瞑想は脳の構造・働き、自律神経、ストレスや快・不快の反応に関する神経生理の活動、免疫、遺伝子の発現などなど、まさに人間としての生物学的基盤にも影響を、それもポジティブな影響を与えるということが昨今の研究によって明らかとなっています。

そしてこのような生物学的な大変化は子どもから大人への成長の過程でも見られるものです。
このような敏感な時期に瞑想の継続的な実践があれば、10年後、20年後、30年後 ...... には大きな差となることも実際にあると思います。

小さい頃に、瞑想の習慣を身につけることができた人は幸せだと思います。

子どもと瞑想の効果

瞑想には様々な種類がありますが、子どもへの効果として、よく言われているのは学習能力や情操・情動、情緒の安定、心の問題、ストレス対応 レジリエンス、睡眠の質や注意欠陥・多動(ADHD)や学習障害(LD)といったことに到るまでのポジティブな影響です。  

瞑想を実践する人として私が、子どもへの効果として特に述べておきたいことはいくつかあります。

まず根本的に重要なことは、脳、中枢・自律神経、内分泌系といった人間としての生物学的基盤へのポジティブな影響の可能性です。
特にこの点に関しては、大人になってからの瞑想実践との差異との関係で、私としては真っ先に強調しておきたいです。

年少からの瞑想実践が、長期的にどのような影響があるのかについての研究は豊富ではないです。
なので根拠のある確からしいことを述べるのは、まだまだ難しい状況です。
(年少から瞑想実践者の場合には、しばしば宗教的伝統の中にあることもあり、そういった影響も考えなくてはならないでしょう。)

しかし年少の頃は影響を受けやすい敏感な時期であるというのは、誰もが認めることだと思います。

 敏感期(感受性期、以前は臨界期とも)や神経可塑性との関連も指摘されますが、例えば将来の音楽家(演奏、オーケストラ、作曲など)としての本格的なキャリアを望む場合には、10-12歳を過ぎてからの音楽訓練では遅すぎるなどと言われることがあります。
 (現在では音楽のジャンルや、活躍する場が様々になっているので、成功できないというわけではないですが。)

年少期、成長期、思春期にある人というのは、それ以降の他の時期に比べて、「性」に関することも含めて、生物学的な変化が激しい時期であり敏感な時期であると言えるでしょう。

この時期に悲しいことに虐待などがあった場合には、その痕跡が脳にも、自律神経や内分泌系の働きにも、遺伝子の発現といったことにも長く残るという研究があります。

瞑想は、大人が実践しても脳、免疫、遺伝子の働きといったことへのポジティブな影響が示唆されています。
それならば子どもの頃からの瞑想実践が、後の人生全体にも渡る長期的なポジティブな影響があるのでは、と推測するのは自然なことだと思います。

創造性やレジリエンス、「生き抜く力」のためにも。

創造性(クリエイティビティ)にも瞑想は役立つかもしれません。

自由主義、民主主義の体制のもと、科学も進歩し、諸外国との人、モノ、情報、マネーの往来も当たり前になり、特に情報技術の進歩が著しい現代は、「単なる知識」の陳腐化の時代とも言えます。

小中学生や、一般的な高校で用いられる歴史の教科書にあるものよりも「Wikipedia」の方が詳しかったりします。一般社会の日常を生きる上での普通の知識ならば、多くがGoogle検索、YouTubeで足ります。
このような状況にあっては、例えば歴史の年号や文学史を覚えるなどの、特に文系暗記学習に長い時間をかけるのには、一体何の意味があるのでしょうか。

スマホがあるのだから必要なら調べれば良いわけだし、教養のために学ぶにしても、黒板にあるものをノートに書き写すこと以上の体験を現代の情報技術は効率的に提供できるわけだし。

人工知能の技術も日々進歩しており、これからの時代を生きる上でどういった技能が必要とされるのかについて、多くの議論がなされるようになっています。

このようなトレンドにおいては人間性に属する能力、例えば創造性などがますます重視されるようになるとも言われています。

特に瞑想の質が良い場合には、「フローゾーン)」といった没頭を経験します。
そして創造性はこの「フロー」の状態で発揮されることがあるとされます。

質の良い瞑想によって、しばしば「フロー」を経験することは、脳の活動や無意識との関連においても、創造性の発揮に良いのかもしれません。

山あり谷ありの人生を歩む上では、ストレス対応などレジリエンス、「生き抜く力」も重要です。このレジリエンスに関しても瞑想は役立つことが多いのではと考えています。
実際に私は、瞑想によって酷いうつ不安から抜けだしました。

瞑想には心理療法的な効果もあるという意見は、今やメジャーなものとなっています。
特に米国などにおいては、幼少の頃の虐待の悪影響や薬物・アルコール依存、レジリエンスの能力などへの瞑想の好影響も研究され続けています。

瞑想は宗教者だけでなく、厳しい現実を生きるリアリスト達によっても実践されてきたという実例があります。

は瞑想に含まれると私は考えていますが、この禅は武士の精神修養としても実践されていました。武田信玄上杉謙信といった誰もが知る戦国武将も禅を嗜んでいました。

武田信玄は「参禅嗜むべき。参禅には秘訣なし。ただ生死の切なるを思え」(座禅しろ。座禅には秘訣などない。ただ生き死に に真剣に向き合え)といったような教訓を残しました。

剣聖と讃えられ「新陰流」の始祖として知られる剣豪 上泉信綱(上泉伊勢守)や宮本武蔵にも禅の嗜みがあります。

臨済宗(禅宗)の僧 沢庵和尚(沢庵宗彭)は『不動智神妙録』で剣禅一如の思想を著し、親交もあり禅も嗜んでいた柳生宗矩(江戸柳生)は「活人剣」などを説き、日本武道の精神性を高めるのに大きな貢献がありました。
宗矩の長男である柳生三厳(十兵衞)も沢庵和尚から教えを受けていたようです。

ちなみに柳生宗矩は江戸幕府3代将軍である徳川家光の剣の指南役でした。
さらなる剣の上達を望む家光に対して、宗矩は禅の修行が必要だと答えたという逸話があります。

近現代においても実践者は多く、例えば平塚らいてうも禅をしました。らいてう は学生時代に禅を始め、熱心に参禅し「見性体験」まであったようです。
平塚らいてう自伝 元始、女性は太陽であった 上』(大月書店 1971)には座禅の体験として、“まさしく第二の誕生”、“求めていた真の人生の大道の入り口が開かれた”などとあります。
禅の修行は らいてう の思想・行動にも影響を与えたようで、このことは彼女自身も認めています。

これらのことは、瞑想が子どもの人生にとって、実践的(実戦的)な修養になりえることを示しているのではないでしょうか。

瞑想と利他性、健康(エピジェネティクス)、向社会性などに関するnote

瞑想は何歳から始めるべき? ―― 思春期神経科学

瞑想が科学的にも研究されているとはいえ、何歳から始めるのがベストなのかについては、特に明確な基準が見当たりません。

私個人の直感なのですが大雑把に、10歳になる前、できるだけ早くに瞑想には触れさせた方が良いのではと考えています。

10歳になる前のできるだけ早い時期に」といったのは、まずこの時期は神経科学的にも敏感だからです。この時期に瞑想が習慣となれば効果も大きい可能性があるというのは、何となく同意できるのではないでしょうか。

さらに私が重要だと考えているのは、成長期、思春期(第二次性徴の発現期)が控えているからです。

昔は神経科学では、人間の脳は生後何年かすると大体が完成して、その後はほとんど変化しない、と考えられていました。
しかし「神経可塑性 (neuroplasticity)」などの研究が進み、脳はその後も柔軟性を保つことが示されました。

現代の神経科学においては、脳の成長と呼べる変化は25~30歳くらいまでは続き、その後も、高齢期でも学習、環境変化、リハビリなどによって変化が確認されるほど脳は柔軟性を保つのが明らかにされています。

さらに注目すべきことは、10代というのは脳や内分泌系、性徴における一大変化の時期であり、学習や社会・環境との相互作用において非常に高い感受性を示す時期だということです。

思春期には、自我意識、認知能力、情動・情操、パーソナリティ、社会性といった心身両面に渡る大きな変化がありますが、この変化には生物学的な根拠あるのです。

ホルモンや神経伝達物質など、体内で分泌される生理活性物質に関して、その量や活動に大きな変動があるだけでなく、どうやら、思春期の脳は全域で ――新皮質から基底核に到るまで―― 大規模な再編成をしていることが分かっています。

特に変化が明確な脳の領域は思考、計画性、自己コントロール、創造性など人間らしさに深く関わる前頭葉、さらに頭頂葉、側頭葉、身体運動だけでなく社会性にも関わるとされる小脳などなどです。

例えば、脳の広い領域で灰白質(神経細胞の細胞体が存在している部位)の増加・減少が生じているのが明らかになっています。
前頭葉では、一時的な灰白質の容量の増加が確認され、ピークは11歳前後で、その後に減少していくのが確認されています。

また脳を「発火」させる電位を生じさせる興奮生ニューロン・シナプスの活動が高まる時期があり、その後に弱まるとされます。

神経細胞同士の接合が増えることによって、灰白質が横溢・増加し、その刈り込み・整理で減少というわけです。

第二次性徴の発現期であることを考えると当然と考えるべきなのかもしれませんが、昔の知見とはかなり違ってきており、現代の神経科学において思春期は、神経系や内分泌系における大規模な再編成の時期なのです。

このようなこともあり、心が不安定になり問題を抱えやすい「難しい年頃」なわけです。

私個人の直感として、瞑想に触れるのは思春期よりも前が良いと考えています。
10代の頃の心・精神の安定や心身の健康に役立つ可能性があるだけでなくて、生物学的にも大きな編成が生じてる時期より前に既に瞑想の習慣があれば、その分だけポジティブな効果も大きいのではないかと直感するからです。

10代より前に瞑想の習慣が身についていれば、その分だけその人は幸せだと思います。

思春期神経科学(Adolescent Neuroscience , Adolescent Neurology)に関する読みやすい文献 。↓ ↓

15歳はなぜ言うことを聞かないのか?』 ローレンス・スタインバーグ  著  阿部 寿美代  訳  日経BP

10代の脳 反抗期と思春期の子どもにどう対処するか』 フランシス ジェンセン  他著 野中 香方子  訳 文藝春秋

子どもの脳はこんなにたいへん!――キレる10代を理解するために』 
バーバラ・ストローチ  著 藤井 留美  訳 早川書房


・秀才かワルか〜「思春期」の脳刺激


瞑想を子どもにどうやって教えるのか?

静かにしている瞑想と ちょこまか せわしなく動き回る子どもはまるで水と油のようで、混じり合うことはなさそうに見えます。

子どもはジッと座っていられない、というよりも、何もないのにジッと物静かに座ってばかりだと、親として「一度、診てもらった方がいいのかな?」と心配になってしまうのが普通なのではないでしょうか?

やはり子どもに瞑想を教えるのは難しいことだと思います。
しかし大雑把な指針はあると考えます。
瞑想に興味をもたせ、実践するように仕向けるのです。

有名な教育の格言があります。

やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ

山本五十六の言葉です。
この格言は教育指導の真髄だと評価する人もいるようですが、これは子どもに瞑想を教える上でも役立つと思います。

言葉で子どもに「瞑想しろ」と指導するのではなくて、子どもが小さい内から親(など愛着のある大人)が瞑想する姿を見せて興味を持たせ、自然に実践するように仕向けるのが良いのではないでしょうか。

「落ち着かない子どもの目の前で瞑想しろ とは正気か!?」というわけなのですが、おそらくこれ以上のベストな方法は無いのではと思います。なんとかしてやるしかないです。

親がジッと座って動かないという異様な光景を目の当たりにすれば、新奇性の探求心旺盛な子どもなら「何やってるの?」となるわけで、そうしたら説明して瞑想を試してみるようなやり方がいいと思います。

ちなみに、人間以外も瞑想する人に興味を持つことがあるようです、笑。瞑想するとペットの猫が近寄ってきて安らぐそうです、笑。
有名な鈴木祐さんの「パレオな男 アラフォー男がアンチエイジングについて考えるブログ」の記事です。 ↓ ↓


しかしどんなに働きかけても瞑想するようにならない子どもはいると思います。
その場合は仕方がないとするしかないのではと思います。

強制させられて嫌々ジッとしても、それは瞑想にならないばかりか、精神衛生上よくないと思います。

小さい頃から瞑想に触れ、できるだけ早期に習慣にした方が良いと私は思います。
しかし、世の中を見れば分かりますが、瞑想を全然しなくても世界で活躍したり、自分の人生を自分なりに幸福に過ごしたりする人が多いわけです。瞑想してない人の方が多いわけです。小さい頃からの瞑想習慣にこだわる必要もないと思います。

瞑想を子どもに教える上で原理的なこど。子どもの行動は「快」によって。

今では子ども向けの瞑想プログラムが開発されたり、関連書籍も出版されたりしています。

しかしいくら子ども向けの情報が増えてきたとはいえ、瞑想は大人でもなかなか上手くいかないことも多いです。
小っちゃな子どもならなおさらだと思います。

特に子どもは面白いもの、「」が生じるもの以外はやりたがらないのは、自然といえます。
でも呼吸に意識を向けるとか、心の中で数を数えるとか、そういったものを子どもが面白そうだからやってみようと思うでしょうか。

さらに上手く箸を使ったり、文字を書いたりとは違って、瞑想が上手くいっているのかは他者が確認するのは難しいです。
 なので大人の場合もそうなのですが、子どもの瞑想は実践も教えることも、要領を得るのが難しいことが多いと思います。

ではどうすれば良いのでしょうか?

それは私は、子どもの行動原理の1つが「」なのだから瞑想実践においてもそれを重視すべきと考えています。

では瞑想実践には「快」があるのでしょうか?それは一体何なのでしょうか?

瞑想に多少慣れてくると、このことは明確になっていくのですが、瞑想中は「フロー」のような状態が生じて、それが心地よいのです。
それほど慣れてなくても、独特の心地良さは生じます。

この瞑想中に生じる心地良さが「快」なのです。

心身を落ち着けて、心の内に向かうと、この心地良さは自然に生じます。
子どもに瞑想を教える場合には、この心地良さに焦点を合わせるべきだと考えています。

いろいろな子ども向けのテクニックが提唱されていますが、どのような方法であれ何とかして、早い段階でこの瞑想の心地良さを感じさせ、子ども自身の心の中に瞑想への動機を持たせるべきと考えます。

自然の中でも瞑想を。森林浴と瞑想。

瞑想のやり方 ―― 子どもには簡単なもので。

瞑想によって生じる心地良さ子どもに経験させるべきだと思うのですが、どのような瞑想によって、それをすべきなのでしょうか?

瞑想の種類は様々です。マインドフルネス瞑想や、何かを思い浮かべて集中したり、マントラを唱えたり、身体の一部に意識を集中したり、冷静に心を観察したり、気功の方法など。
私はうつ不安の時に行った瞑想をもとにした簡単なやり方を「基本的な瞑想」として重視し日課にしています。

子どもには単純なものが良いと考えます。
ヴィパッサナー(観)のような心、感情を観察するような瞑想は後でよいと考えます。

ゆっくりとした呼吸に意識を置いたり、心の中で数を数えたり、とにかく子どもにあう方法でよいと思います。
呼吸に集中したり、数を数えたりすること自体が楽しいというよりかは、それによって心を落ち着かせ、瞑想状態になることで生じる心地良さを経験させ、それに焦点を合わせるのです。

瞑想時間は数分以内のかなり短めから始め、慣れたら20分くらいまで。長時間の瞑想は必要ないと思います。1日1回もしくは2回で十分だと思います。

瞑想のやり方の例

・まず座ります。背骨は自然に伸ばした姿勢が良いです。尻に座布団を敷くのが良いかもしれません。

・子どもの場合は、目は半眼、もしくは微かに開けていた方が良いでしょう。自然に閉じるならそれでも構いません。

・リラックスします。呼吸は鼻で。吸うとお腹が膨らみ、吐くとへこみます。そういった呼吸に意識を置きます。
意識の安定を助けるために、息を吸う時に「スー」、吐く時に「ハー」などと心の中で呼吸にあわせて唱えるのも良いかもしれません。

・少しすると「快」、心地良さが生じます。しばらくその状態を味わいます。
雑念はとらわれないように受け流すようにするだけで良いです。呼吸に意識を戻すようにします。
雑念は自然なことなので、無念無想などといったことは気にしなくてよいです。

・瞑想を終える時は急に立ち上がったりせず、あわてずに、通常の状態に戻ります。

これが瞑想のやり方の一例です。初めは短時間で。子どもの場合には特に無理は禁物です。

ちなみに瞑想の書は入門・初心者向けですが、しかし幼年者向けではありません。特に重要なこととして「瞑想のコツ」を述べていますが、これは幼年者には理解はできないことです。

[ まとめ ] 子どもを瞑想に触れさせる方法~~

・親自身が瞑想し、それを子どもに見せて興味を持たせる。
・単純な瞑想によって、子ども自身に心地良さを経験させ、動機を植え付ける。
・瞑想の実践を褒め、励ます。