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【瞑想と雑念】雑念や妄想が消えない!どうやって払うの!?【マントラ瞑想も】

 瞑想に興味を持ち始めた人の中には、瞑想中に雑念、妄想が次から次へとわいてきて、止まらないという悩みを持つことも多くあります。

中には雑念を上手く払うことができずに、集中がすぐに途切れてしまい、瞑想の効果を少しも得ることなく諦めて止めてしまうことも多いようです。

雑念、妄想に振り回されることに関しては、瞑想でもメジャーなテーマであるにもかかわらず、この「瞑想する人」note では触れてこなかったです。

というのは私の考えでは、瞑想中に雑念を完全に排除することを、それほど重視しておらず、執心してはいないからです。
なので瞑想の入門・初心者の多くが関心を持つであろうテーマにもかかわらず、忘れていました。

関連:瞑想の入門・初心者向けの記事まとめ

このところ密教についてのマニアックな内容や続いていたり、直前では あまり瞑想に関係のないダイエットについての内容だったり、(笑)、なので今回は正当な内容である雑念と瞑想について触れてみたいと思います。

雑念、妄想がうるさい!―― 瞑想?迷想?

 忙しい中、せっかく瞑想の時間をとっても、むしろ、直前まで忙しくあわただしくしていた時ほど、瞑想中に余計な雑念、妄想がわいてきて瞑想にならなかったりします。

「あれやったっけ?明日はすぐに用件を済まさなきゃ」「さっき見たテレビ面白かった。でもあんなことってホントにあるのかな?」「来月は友人の誕生日だ。この前に自分のも祝ってもらったからなぁ。今度はどんなことしよう?あっ、あそこを予約しよう!あの人にも連絡しなきゃ。あの人元気にしてるかなぁ。そー言えば、娘さん海外に留学かぁ」などなどなどなど......。

一度、雑念にとらわれて、それに乗っかってしまうと、次から次へと展開して膨らんでいき、瞑想の時間の全てが白昼夢状態で占拠されてしまうこともあります。


これだとさすがに瞑想にはならないです。雑念・妄想が騒がしい分だけは、瞑想の効果は減殺するだろうと思います。
実際に雑念が静まっていた方が、瞑想は安定し深まるのは確かです。

なので瞑想を実践するなら、このことにも向き合う必要はあるでしょう。


雑念はどうすればいい?消すことは可能なのか?

 雑念がうるさい状態だと瞑想が深まらず、その効果も減るのなら、雑念は消すべきなのでしょうか?それならどのように消すのでしょうか?

単刀直入に言うと、瞑想の初心者が雑念を完全に取り除き無念無想の状態になるのは、ほぼ不可能だと考えています。
それなりに続けていても、この雑念の問題を完全に無くすのは難しいと考えています。


 瞑想の実践では、雑念・妄想を完全に取り除こうとするのは諦めるという方向性が良いと思います。

初心者の段階では雑念に対して出来ることは、気づくこと、とらわれないようにして受け流し手放すこと、瞑想の集中に戻ること、だけだと考えています。
これによって雑念が静まります。

雑念があったとしても静まりさえすれば、瞑想にはなるし、その効果もあると考えます。


私は無念無想の瞑想でなくても、酷いうつ不安から抜けることができました。
この時の瞑想でも、雑念はいろいろとありました。

関連:【瞑想とうつ】酷いうつ、不安の時の瞑想体験。瞑想が続くようになったきっかけ。

 酷いうつ不安だったので、やはり瞑想中にもネガティブな内容の考えが浮かんできたりしました。
瞑想中に、ホントに瞑想していても大丈夫かな? と心配することもありました。それでも私の場合は良くなりました。

とにかく瞑想中の雑念に関しては、早めに気づき、受け流し、瞑想に戻るということを繰り返せば良いと考えます。


雑念が激しい人におすすめの瞑想法 ―― マントラ瞑想

 私は呼吸に意識をおくようなシンプルな瞑想(基本的な瞑想)を重視しており、日課としています。

しかしこのような瞑想法だと、雑念が激しすぎて全然集中できない人もいると思います。そういった人向けの瞑想はいろいろとあります。


中でも個人的に最も有効なものの1つだと思うのが、いわゆる「マントラ瞑想」です。

マントラ(呪文でも真言でも、とにかく何でも)を心の中で唱えながらする瞑想です。
私は過去に超越瞑想(TM瞑想)の経験があります。短期でやめてしまいましたが。

他に有名なのは「ソーハム瞑想」というのがあります。呼気、吸気にあわせてソー、ハムと心の中で唱える瞑想です。

この瞑想中に唱えるマントラは、神秘的なものだと考えたり、こだわりを持ったりする人がいたり、特殊な方法で各個人にあったマントラを(有料で、しかも、それなりの値段で)伝授というのもあるのですが、私は何でも良いと思っています。

サンスクリットやギリシャ文字などから気に入った音をテキトーに選んでも良いです。ソー、ハムでも、スー、ハーでも、ゼータ、ミューでもラームダー、アーフームでも、何でも。
意味のない単純な音が良いと言われています。


マントラ瞑想の1つのコツは、姿勢や呼吸の調整にはあまり意識をおかずに、マントラを心の中で、心地よいペース、強さで唱え続けることです。
雑念が生じても意識をマントラを唱えることに向けます。


もっと核心的なコツを言うと、このままだと眠ってしまいそうになるくらい心身をリラックスして忘れて、マントラを唱えるという一点だけで、眠らないように保っているという感じになるのが良いです。


注意事項なのですが、このやり方で上手くコツを掴んで瞑想すると、深く入るというか、意識が催眠状態っぽくなるというか、そういうことがあるので、この瞑想は1回20分以下1日2回までにして下さい。

静かで落ち着いた環境でするようにして下さい。突然大きな音が鳴るような環境ではしないで下さい。

瞑想をやめるときは、やめて通常に戻るという意識を持って、ゆっくりと瞑想状態から出るようにして下さい。突然立ち上がったりはしないで下さい。

特に深く入った場合には注意事項は守って下さい。


 私は過去に超越瞑想(TM瞑想)などマントラ瞑想系は経験ありますが、今現在は全く関心がなく実践してません。
なので瞑想の書ではマントラ瞑想系については触れられてません。


マントラ瞑想系はマントラを唱えるという明確に能動的な作業があるので集中しやすく、雑念・妄想がなかなか静かにならない人には向いているかもしれません。


雑念のその先 ―― 無念無想? 例えばニミッタ(丹光)

 瞑想の初心者には雑念・妄想を完全に取り除くことは、ほぼ不可能だと述べましたが、それでも真面目に、それなりの時間をかけて瞑想する実践者の場合には、少し違った展望が見えることがあります。

雑念のその先です。雑念のない無念無想ともいえるような状態です。

ただこの段階は、瞑想の初心者段階ではないし、少し難しいことが関わってきたりもします。
つまり特殊な瞑想体験、いわゆる神秘体験、幻覚などが生じやすい段階です。


 無念無想ともいえるような状態での体験はいろいろとあるのですが、よくあるのが「光を見る」という体験です。

こういったものは、素質や体質があり、瞑想がそれほど上達してなくても見やすい人がいたり、もしくは精神病質や神経質な思い込みといったことも関わったりするので、判断は難しいです。

でも、まぁ、こういったことがあるのです。
なぜあるのかというと、潜在意識、無意識といったものが関わってくるからです。

瞑想中に見る光については、これは「意識の光」と表現するのが適切のようなものです。

特に密教や神秘主義などでは、意識が光(光明)に例えられもしますが、こういった比喩の起源には実際の体験も関わっていると考えられます。

この光は仏教系ではニミッタと呼ばれることがあります。また巷では、ひょっとすると仙道(内丹)から来ているのかもしれませんが、丹光とも呼ばれることがあります。


「意識の光?何それ? スピリチュアル?オカルト?」となりがちで、実際にネット上では、これは「神秘的なチャクラの光だっ!オーラだっ!」とか「第三の目が開発された光だ!超能力と関係するッ!」などといった情報が多く見られます。

まぁ、、仏教系でも仙道でも、ニミッタ(丹光)が見えるような境地と神通力を結びつけるような考えは、あるにはあるようです。


 しかし私は、そんなに神秘的なものではないのかもしれないとも考えています。
このニミッタ(丹光)に類似するものは、瞑想熱心でない一般の多くの人々でも日頃から経験しているのではないか、と私は考えています。

それはズバリ です。

暗い部屋で目を閉じて寝ているからといって、夢も真っ暗でしょうか?
夢の中が昼間なら、明るいわけです。

ではなぜ明るいのか?それは夢は心象であり、脳が作り上げているからです。

【 明晰夢の見方 】 無意識から創造性を得る夢見のヒント

脳の活動によって、夢見状態という意識が生じているわけです。
夢の中の明るい光は、いわば「意識の光」とも言えるでしょう。

(そもそも、電磁波、可視光線を「光」「明るい」として知覚できるのは、人間の神経、脳の働きによるものです。脳の活動によって、物理的なものを、「光」として「意識」するようになるわけです。まぁ、ある意味ではそれも「意識の光」といえるかもしれません。)


 ある程度の段階の瞑想中に見る光は、おそらくそれと同質類似のものなのではないかというのが、私の考えです。
「意識の光」です。
瞑想によって特殊な意識ー脳・神経生理の状態になり、眠って夢を見ているわけではないのに、その光が生じるのだと、私は考えています。


まぁ、、なんであれ、、瞑想に上達すると、とにかく、いろいろとおかしな体験をすることもあるのです。神秘的というよりかは、人体の脳・神経生理システム的に。

大部分の人は瞑想オタクではないので、この段階までは到らないです。その必要もないです。

でもここまで到ると、頭のネジが外れておかしくなったりすることがあるので、こういう段階に達して、さらに瞑想を実践していこうとする場合には、経験豊富で、人格も備わり、現実感覚もしっかりしているような優れた指導者を見つけた方が良いのかもしれません。