見出し画像

【産後6日目に離婚宣告されちゃいました。】


初めましての自己紹介。

こんにちは!はじめまして。


現在、4歳と0歳の2人の女の子を育てる
シングルマザーのハナです。

今年で32歳になります。


もうすぐ次女が産まれて、一年になります。

私は、次女を産んで6日後に
シングルマザーになりました。

元々シングルマザーになる前は、
都内在住で、
フルタイムで仕事をしていました。

実家も遠方にあり、
基本的にワンオペで育児をしている状況でした。


次女を産んで2ヶ月間
実家でお世話になった後、
都内の自宅へ戻りました。

もちろんシングルマザーの為、
ワンオペ育児なのは変わりません。

でも、以前のワンオペ育児とは、
状況が異なりすぎていました。

まずは、2人育児が想像以上に大変でした。

今までの私の目には
お母さん方皆、子供2人・3人を、
サクッと育てている風に見えていました。
「なんだー、1人も2人も変わらないのかー」
なんて思っていましたが、
皆さんそう見せていただけだったんですね。

現実は、想像とは乖離したものでした。


あとは、本当に孤独でした。

身内も近くにおらず、
都内にいる友人も少なかったのです。

夫がいなくなる前、
家族で過ごす時間が多かった私は、
夫を失った途端、孤立しました。

元々人を頼る事が苦手だった為、
どうしたらよいのかわかりませんでした。

そして、なにより
今後自分がどうなっていくのかがみえず、
生活もどうなっていくのか•••
この巨大な不安を処理できなかった事が、
とてつもなくストレスになりました。

シングルマザーがどのように
生き抜いているのか、想像がつきませんでした。

自身は、両親が二人揃っていて、
なんの不自由もなく生きてきました。

学生の頃の友人にも、
ひとり親家庭の子がいませんでした。

なので、
ひとり親の家庭がどのような様子なのか、
ひとり親家庭で育つ子は、どのように育っていくのか知りませんでした。


シングルマザーになった自分が
どうやって子供達を育てていけばいいのか
全く想像がつかず、不安は増すばかりでした。

早かったのか、遅かったのか。
人生のプランを、大きく立て直す事になりました。



そのうち、体調や、メンタルの不調も
みられるようになりました。

心療内科には行っていませんが、
症状的におそらく適応障害、育児ノイローゼに
なりました。


結果として、
1番被害に遭ったのは私ではなく、
私の長女です。次に次女です。


今振り返ると、子供達には
本当に可哀想なことをしたと、
猛省する日々です。


一年間ですがシングルマザーを経験して、
“あの時こうしていたら、
まだマシだったかもしれない。”
なんて振り返る事が多いです。


もし、私と同じような境遇の方がいたら、
その方とお子さんが少しでも
幸せで過ごせますように、
私の経験がお役に立てばと思い、
このブログを書くに至りました。



今回は、
私がシングルマザーになった日の出来事
について、少しお話ししていきたいと思います。


夫とこれまで。


一年前まで、私にはパートナーがいました。
交際期間5年を経て結婚し、結婚4年目でした。


時おり喧嘩はするものの、
関係は良好な夫婦だと感じていました。


夫は、仕事が多忙な方でした。
でも記念日は忘れないし、
何かあるごとにプレゼントを買ってきて、
私を喜ばせてくれる人でした。


結婚して半年後、長女が産まれました。
長女が生まれたとき夫は、
左の肩へ、長女名前のタトゥーを彫りました。

あとは、長女の名前をプリントした
Tシャツを作って、着用していました。

こんな感じで長女を溺愛していました。


私はそんな夫が
大好きで、大好きでした。


夫と娘と過ごす幸せが、
この先もずっと続いていくんだ!と
平和ボケしていました。

春、次女の誕生。

一年前の春。

私は、次女を妊娠していました。
出産の2ヶ月前に切迫早産の診断を受け、
長女を連れて実家へ里帰りをしていました。

そのため、都内で仕事をする夫とは、
離れて暮らすことになりました。


次女はすくすくと育ち2ヶ月後、
予定通りに産まれてきてくれました。

妊娠してから10ヶ月間、
ずっと次女に会える日を楽しみに、
大切に育ててきました。

やっと会えた生まれたての次女は、
とても小さくて、ふかふかで、
美しくて、尊い…。


本当になんて可愛いんだろう!!!

出産時の激痛は、
もう忘れていました。


こんなに可愛い天使に会えるならまた産める。
そんなふうに思ってしまう程でした。

待望の次女が誕生し、
家族4人で暮らしていける幸せで
胸はいっぱいでした。


コロナ禍で立ち会い出産も認められず、
面会もできない状況でしたので、
夫へは次女の誕生をテレビ電話で報告し、
毎日次女の写真を送り続けました。

夫は、次女をみて「可愛い!」
と言いい、喜んでくれていました。




夫も、私と同じ気持ちでいてくれていると
思っていました。


私に起きた本能寺の変。


産院で5日過ごし、退院しました。



退院したその日に、
夫は、都内から3時間かけ、
私と子供達が待つ田舎の実家までやってきました。


久々に再会した夫は、
子供達と対面し、嬉しそうにしていました。

次女を抱っこしたり、お風呂にいれたり、
久しぶりの新生児の世話もこなしていました。


そんな感じで、2日間家族で過ごしました。


至って普通に。



ただ、強いてゆえば、
久々に再開した夫は、どこが覇気がなく、
けだるそうな様子でした。


仕事が忙しかったせいだろう。
疲れているんだな、休ませてあげよう。
と考えていました。



そして、次女を産んで6日目。

その日朝から私は、
頭痛や耳鳴りに苛まれ、
実家で横になり休息をとっていました。


昼には家族で食事をとり、
夫もいつも通り子供たちと接していました。


夕刻、夫は私を別室に呼び出しました。



夫は、正座をしはじめました。
改まって、何か言いたげな顔をしていました。


「どうしたの?なにかあった?」
と問いかけると、


夫は突然、


「離婚してください。」


と土下座をしました。







「………………え?」





私は、完全に寝耳に水状態でした。





「…………理由は?」



夫は、

「ハナちゃんよりも好きな人ができました。」

と続けるのです。


何が起きているのか、理解できませんでした。




その後夫は、二時間ほど程
私へのこれまでの生活上の不満などを
話してきました。


「仕事で疲れて帰ってきて、子供のおもちゃとか、家が片付いていないのが、ストレスだった。」

「このストレスの代償として、浮気をしていた。」

「とにかく、ハナちゃんをもう愛せない。だからもう終わりだ。」


「ハナちゃんと居たのは、もう義務感でしかなかった。」


「こんな2人の間にいる子供は不幸だ。」


「もう俺は社会的に地位が上で、
一般会社員のハナちゃんとは格差がある。」



今まで私が知っていた夫とは別人でした。


今まで溜め込んでいたものが、
溢れた感じでした。


突然豹変した夫。


すぐに夫の言っていることを
理解できなかった私は、
とにかく家族を解体するわけにはいかないと、
夫へ修復したいと、懇願しました。


しかし、夫は、

「無理です。家をでていきます。」

と言い、その場を去っていきました。



その時の私は、ただ泣きながら、
まだ生後間もない次女を抱えて、
その場で立ち尽くしていました。


何が起きたのかわからず、
受け入れられない。
そんな状況でした。





これが一年前の話です。

内容はハショリましたが、
今振り返っても、
中々ショッキングな出来事でした。





ただ、
一年後の今の私は、
苦労はしていますが、
子供たちと毎日笑って過ごしています。





まだ、谷底から登り途中ですが、
その経過をまたお話ししていきますね!

私の記事は【離婚】や【育児】で
お悩みの方のお役に少しでも立てるように
過去の実体験をお話ししています。

聞きたいことがある方は
ぜひコメントしてください。
共感した方はいいね!を押していただけたら
嬉しいです。


               ハナ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?