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わたしの本棚:翻訳は快感を伝えること レオ=レオニと谷川俊太郎と柴田元幸

家の絵本が100冊を超えました。ちょうど100冊目になったのはレオ=レオニの「せかいいちおおきなうち」

スイミーやあおくんときいろちゃんで知られる絵本作家レオ=レオニの絵本です。家は大きな方がいいじゃん!と思っていたカタツムリに、父さんカタツムリが本当にそうかな?ということを問いかけるお話。

この本の翻訳は詩人の谷川俊太郎が手がけていて、表紙をめくると若き日の谷川俊太郎の写真とともに「レオ=レオニとの出会い」というタイトルで谷川俊太郎の文章がのっています。

その中で翻訳についても言及されていて、とても驚いた一文がありました。下記引用です。

「翻訳にあたっては、原本のもつ視覚的な美しさを損なわぬことを、まず第一に心がけました。文章のレイアウトを、できるだけ原本どおりにするために、その内容の一部を省略せざるを得ない場合もありましたが、これは俳句的な凝縮された表現を好む日本人には、かえってふさわしいと考えています。」

文章の内容に忠実に訳すことが翻訳だと思っていた私にとって、レイアウトを優先することがその本にとって大事なことだという解釈もあるのか!という新鮮な驚きでした。

そんな中、今週たまたま翻訳家の柴田元幸の「ぼくは翻訳についてこう考えています」を読んでいて、あぁなるほどとつながりました。

この本の中で柴田元幸は翻訳を次のように定義しています。
「翻訳とは自分がその小説を読んだときの快感を相手に伝えることだと考えています。」p.155
「いわゆる英文和訳レベルでの正確さもむろん翻訳における重要な要素だが、決して最優先事項ではない。訳者が原文を読んだときに感じたような快感が伝わるような訳文になっていなければ、いくら正確でも意味はない。」p.28

この文章を読んだとき、谷川俊太郎がレオ=レオニの絵本で伝えたいと思った快感は、絵にのる文字の美しさだったんだろうなと思いました。

家にあるレオ=レオニの絵本、スイミーとフレデリックも見てみると両方谷川俊太郎の訳で同じ文章がのっていました。
そして俄然原文に興味がわきました。こんど図書館で原著があったら借りてみることにします。

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