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わたしの本棚:他人や世界に目を閉じていた自分に気づく 「ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち」

毎年おそらく60冊以上は本を読んでいて、年末になると今年のBEST1、つまり私的本屋大賞を決めています。昨年の第1位はブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」でした。

この本では自分の中学生の息子との日常を描いた著者が、今度は周囲にいる中高年のおじさん達を描いたのがこちらです。

「ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち」 ブレイディみかこ 筑摩書房

著者のブレイディみかこさんが住んでいるのは、イギリスのブライトン。ロンドンから南に85kmほどの場所にあり、海辺のリゾートとして知られている街です。

調べてみるとロンドンから日帰りできる海辺リゾートと書いてあるので、日本でいえば東京から日帰りできる熱海みたいな感じなのかな。

そのブライトンで暮らす著者の周囲にいる、夫の幼馴染をはじめとした労働者階級のおじさんたち。彼らの人生と日常について、上からでもなく下からでもなく、同じ日々を生きる人の視点で、愛とユーモアを下敷きに描かれています。

この本を読んで一番衝撃を受けたのは、イギリスって今こんなだったのか!ということです。本の中ではちょうどイギリスがEUを離脱するか否かの国民投票の前後です。登場するおじさんたちもそれぞれの考えを友人やパートナーと交わしています。

例えば、元自動車派遣修理工のレイとパートナーである美容院を経営するレイチェルは、

「英国は離脱した方がいいなんて何考えてんのよ、あんた!あたしのビジネスはどうなるの?うちは美容師も顧客も、はっきり言って70%はEU圏からの移民なのよ!」
とレイチェルが激昂すれば、レイは
「そうやってロンドンを外国人に明け渡したのは、EUなんぞの言うなりになってグローバル資本主義を進めてきた政府だ。だいたい俺らはブリュッセルのEU官僚なんて選挙で選んでねえんだぞ。俺らの国の主権はどうなってんだ。」

と喧嘩しています。

この辺りまでは、私の知識でもまだついていけました。
でもその後に続く、いろんな立場の人のブレグジット(EU離脱)に対する意見と、その意見がどういう背景から来ているかという説明の大半は知らないことばかりでした。

統計で数値を見ればEU全体の経済は好調にもかかわらず、街中ではホームレズが激増し貧困問題が深刻化しているということ。

1948年に誰でも無料で医療を受けられるという理念で創設されたNHSが財政の危機にあり、それによってNHSの医療サービスを受けようと思うと恐ろしく時間がかかるようになっていること。(数ヶ月単位・・・・予約電話もなかなかつながらないらしい)

ブレグジット投票で離脱派に票を投じた人々の多くがEUへ今までだしていた拠出金を英国内の医療制度であるNHS(国民保健サービス)に投入することができるという離脱派のキャンペーンのデマを信じて投票したということ。

こういった情報が、登場するおじさんたちの発言の背景情報としてわかりやすく説明されるのですが、どれも知らないことばかりでした。

「え!今のイギリスこんな感じなんだ・・・」という感想と同時に、私はここ10数年以上自分の身の回りを中心としたことにしか注意を払ってこなかったんだとわかりました。

いろいろアンテナを立てて情報収集しているつもりでも、それは自分の家庭や仕事の延長線上のものでしかなく、そこから少し離れたことについては全く興味もなく知ろうとしていなかったんですね。

そして場所がどこであれ、暮らしと政治はつながっていて「え、なんでこんな政策を指示するの?その人に投票するの?」と感じることがあっても、自分の見方は一面でしかなく、それぞれにそれを選んだ背景や理由があるということも。文字にすると当たり前のことですが、全く忘れていました。

ブレイディみかこさんの、立場の違う様々な人”ひとりひとり”を描くこの本は、読み手のことも責めたりしません。何も知らない私、おじさんを一括りにしがちな私、人を一面的に判断してわかったようなことを言いがちな私、に「それは間違ってるよね?」「それじゃいけないんじゃない?」と言ったりしません。

ただただ周囲の人の輪郭を愛とユーモアをもって描いていく文章をスイスイ読んでいるうちに、そういう自分に出会う本でした。

読み終わって読んだ作家の西加奈子さんとの対談もとてもよかったです。



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