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「贈る、漢詩。」杜甫「夢李白」前編

誤訳が判明しました。以下訂正です。


前回に続いて、いにしえの漢詩人たちが、人に贈った漢詩をテーマに
珠玉の詩文を紹介しています。今回は、「贈った」というわけではないですが、
とてもその人を強く思ったことには違いない漢詩です。
そのタイトルは「李白を夢む」です。李白を夢に見た。というのは、
李白と同時代、盛唐の詩聖杜甫の詩です。杜甫は、「詩仙」李白とは
対照的な詩人で、彼の詩には社会批判の詩が残されています。
杜甫は詩「聖」、李白は詩「仙」もう一人、「詩仏」
と呼ばれている王維という詩人がいます。中国の思想というと、
基本的には、「儒教」「道教」「仏教」の三つが代表的です。
これは完全に私の推測ですが、昔の人は偉大な詩人三人にそれぞれ、 
儒教の究極である「聖(人)」、道教の究極「仙(人)」、仏教の究極「仏(陀)」として、その称号を与えたのかもしれません。
さて、すっかり話がそれましたが、今回は「李白を夢む」の前編を
(「李白を夢む」は二首あります)お送りしていきます。

この詩が書かれたのは乾元二年に杜甫が秦州(シルクロードの方)にいた時のこと。その二年ほど前の乾元元年、李白は夜郎(海南島のあたり)の土地に左遷されたとのことです。(乾元元年は唐の粛宗皇帝の治世、有名な安史の乱の最中です。完全に余談ですがこの年、明朝体の元になった書家、顔真卿が安史の乱で戦死した姪(おい)を悼む「祭姪文稿」を書いた年でもあります。動乱の時代です。)

さて、前置きが長くなりました、実際に読んでいきましょう。

死别已吞聲 生别常惻惻
江南瘴癘地 逐客無消息
故人入我夢 明我長相憶
君今在羅網 何以有羽翼
恐非平生魂 路逺不可測
魂來楓林青 魂返闗塞黑
落月滿屋梁 猶疑照顔色
水深波浪濶 無使蛟龍得

死别已に吞聲、生别常に惻惻。
江南瘴癘の地、客逐はれて 消息無し。
故人我が夢に入る、我に明かす長えに相ひ憶はんことを。
君今羅網に在り、何を以てか羽翼有らん。
恐るらくは平生の魂に非らず、路逺くして測る可からず。
魂來れば楓林青く、魂返れば闗塞黑し。
落月屋梁に滿ち、猶ほ疑ひて顔色を照す。
水深くして波浪濶し、蛟龍をして得さ使むること無かれ。

大意:死に別れれば声を飲んで泣くが、生き別れればつねに恐れているばかりだ、
君李白が放たれた江南夜郎の地は悪い病のはやるといいう、あなたは国を追われて、消息がない。李白よ君が私の夢に入ってきた、わたしに何か告げていったね。
君は今囚われの身ではなかったか?どうして飛んでこられたのだ?
きっと普通の魂ではない。(まさか死んでしまったのか?)しかし、遠く離れて
知る由もない。魂がやってきてあなたのいる楓林は青く、魂が返ってゆくと秦州の地は暗い。なお君の消息を案ずるが、月明かりが落ちてきて私の顔を照らす。
江南の水は深く波は大きい。どうかミズチに食われたりだけはせぬように。

死ぬなよ…李白、という杜甫の静かな叫びが聞こえてくるようです。
杜甫と李白は親交があったと言いますが、ここまで深い友情があったとは
知りませんでした。

「故人我が夢に入る、我に明かす長えに相ひ憶はんことを。
君今羅網に在り、何を以てか羽翼有らん。
恐るらくは平生の魂に非らず、路逺くして測る可からず。」

「あなたの夢を見た、でもあなたは今囚われの身のはずだ、ではなぜ飛んでこれた?死んでしまったのか?」という刻々と移ろう繊細な心理描写を巧みな詩文にのせて描く。杜甫の離れ業です。

さて、杜甫の詩はもう一首続きますが、今日はここまで。
康寧堂でした〜 Have a nice day!

出典

を日本語訳。
(c) Kanseki Repository. 作成されたコンテンツは CC BY SA のライセンスで提供する。

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