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寿司屋の息子がどうして地方で建築家になったのか - 今までとこれからの建物と地域での活動-

はじめまして!
itteの近藤拓馬です。僕は建築家として建物の設計をしています。

みなさんの未来の隣人づくりのお手伝いをしています。

「隣人づくり」って.......なんだ?と思いますよね笑
そんな僕のやっていることを思いや生い立ちも含めて自己紹介させていただければと思います。


隣人とは要するに「環境」のことです。

僕は自分の環境とは人が作っていると考えています。特に今パッと思い浮かぶ多くても20名程度の人です。その人たちが直近の自分の考え方や生活の仕方、インプット、アウトプットに大きく影響しています。
その人たちが自分のやりたいことや楽しい暮らし、もしくはやりたくないこと、嫌な習慣に直結している場合が多いのではないでしょうか。

僕はどうせならば自分のやりたいことや夢を実現する暮らしに時間とお金を使えば良いと思って生きています。わりと普通なことを言っているつもりですが、できている人って案外少ないのではないでしょうか。

建物は建物が建って完成ではありません。

建物が建って人が住んだり使うようになってからが「暮らし」のスタートです。

趣味を大切にした生活がしたい、お店や小商をしたい、高いローンを組みたくはないけど楽しい暮らしをしたい。

それらは建物ができることである程度解決することもあれば
建物ができた後の「関わりの強い人=隣人」によって解決することも数多くあります。

楽しい暮らしを夢見る方はきっと楽しくて面白い隣人を求めるでしょう
僕もそうです
面白い隣人を探して楽しい暮らしをしたいので一緒に面白がれる方の未来のお手伝いができればきっとみなさんも僕も楽しい未来に行けるのではないかなと期待しているのです!

僕はそんなみなさんの個々にあるはずの「未来の環境=未来の隣人」づくりを目指してみなさんと一緒に伴走していき、みなさん自身が建物や場所を一緒に作り上げていくことで夢を勝ち取れることをお手伝いします。

少しでもワクワクしてもらえた方はつながりたいですね。

たぶん隣人になれると思います。

noteでやりたいこと

 こんな時代だからこそ自分らしく暮らしたい、少し先の自分の未来を良くしたいと、思った隣人候補さんに向けて。
 みなさんが抱えているかもしれない課題やちょっと知りたいかもしれない下記のようなことを伝えたいと思います。

①僕が隣人とつくった建物や場所とそのつくる過程
②僕が住民としてやっている暮らしと働きの実践(DIY、アトリエ、小商い etc)
③移住や2拠点暮らし、地域おこし協力隊の経験と実験、悩みと面白み
④空き家や空きテナント、空き部屋の活用とその相談の過程


ご興味ある方は是非フォロー頂けると幸いです。


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僕はこんな人

次に今まで僕がどんなことをしてきたからをプロフィールから紹介してきます。

1989年10月23日生まれ 天秤座 31歳

千葉県松戸市生まれ静岡県浜松市出身
3歳まで松戸市、その後父の地元へ引っ越し高校3年までは浜松市で過ごしました!父は寿司職人、母はその女将さん&経理
今思うと職人気質は父から、数字計算やコミュニケーションは母から受け継いだと感じます。


2012年 私立日本大学工学部建築学科 卒業

 高校時代は数学と美術系(書道、音楽は小学生時代から習い事をしていたので得意、美術はなんか普通に成績が良かった)が好きだったのでそれを掛け合わせたことをやりたいなと思い、建築を専攻しました。
嘘です!インダストリアルデザインが第一希望で専攻していて「iPhoneってすごいよなー」とかって思いながら工学的なデザインがしたいと思っていました。
ただ、大学受験当時インダストリアルデザインの専攻が少なかったこととなんとなくデザインはしたいけど自分はエンジニアっぽくないよな?などと疑問を抱きながら建築を専攻しました笑

大学時代は福島県郡山市で過ごし東日本大震災も福島県で経験しました。
その際に放射能から避難するために福島県外へ移動しようと思ったのですが新幹線、高速道路、電車の全ての交通機関が封鎖!!地元はおろか東京方面へ移動することすらできませんでした。そこで大学時代の友人やそのご家族の東北の方々にお世話になり避難させて頂き今も東北に御恩を感じています。



2015年 私立日本大学大学院工学研究科建築学専攻 修了

 震災をきっかけに大学院を福島県で過ごすことに決め研究生時代も合わせて福島県で7年間過ごしました。このあたりからは本格的に建築家を目指してましたね。
卒業後は建築家を目指して横浜へ

ちなみに
趣味は「アニメ鑑賞、ゲーム実況鑑賞、良さげなカフェとか巡り」
「甘いスイーツ系」が好きで「紫蘇と梅と桜」は食べれません。

こんなことを仕事としてやってきました

2015年 - 2020年 株式会社オンデザインパートナーズ(横浜の設計事務所)

 大学卒業後は横浜の設計事務所に勤めました。
木造住宅、カフェ、マンションのリノベーションの設計、シェアオフィスの運営管理、まちの再開発やコンペのパース製作を多くやってきました。
オンデザインは世代や価値観、クライアントとの関係性を横断して一緒に作る環境だったため建築家としての責任と今の時代だからどのように建物を作っていくと幸せなのかを考えさせてくれる良い機会となりました。

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2020年 あしたのアーキテクツ 共同代表
                 西会津町地域おこし協力隊

 大学時代に2Kのアパートに大学生男三人で一緒に住んでいました。その大学時代の後輩から住んでいたアパートを改修してほしいとオーナーから依頼されたことをきっかけに一緒に設計をすることとなりました。
この頃からオンデザイン勤めながら月1で福島へ通うようになります。
そしてなんやかんやがどうのこうのありまして西会津町や南相馬市小高区とつながりが生まれ、西会津町の地域おこし協力隊とし移住して福島県で本格的に活動を始めることとなりました。

 *「なんやかんやがどうのこうの」の部分は今後別の記事で記載していきますので乞うご期待!!


これからやりたいこと

 そして時は流れ、移住定住から2拠点暮らしそして外の人としての関わり方の模索へと暮らしと働き方の調整をしていき、法人を抜け、個人事業主として新たにスタートを切ろうとしています。ここで述べただけでも、この1〜2年で自分の暮らし方、働き方のバランスについてすごい変化があったことがご理解いただけるかな?と思います。


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 このギルドは横浜市都筑区にある僕らも入居している拠点です。僕にとっては横浜の隣人づくり拠点です。幸せなことに横浜だけでなくこの一年で福島にもたくさんの隣人ができました。そちらはまた別の記事でお伝えしますね!





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