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憧れの向こう側−10年越しの夢の先にあったもの−

■プロローグ

来た。ついに来てしまった。10年以上憧れ続けたこの場所に。いつか大切な誰かと来るのだと信じていたこの場所に、私は今、一人で立っている。

■旅の始まり

この旅はきっと、初めてこの場所を知った10代半ばの頃から始まっていた。『冷静と情熱のあいだ』。1999年に江國香織・辻仁成の両名によって小説が発表され、2001年には竹野内豊とケリー・チャンが主演で映画化されたこの作品。この作品の中で主要な舞台の一つがイタリア・フィレンツェ、さらに言うならフィレンツェのドゥオモことサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂だ。

『冷静と情熱のあいだ』を通してこの場所を初めて知った10年以上前からすでに、私の旅は始まっていた。憧れの地への旅を終え数年経った今になって、そう思う。

数年前。外を歩けば息も白い師走のある日。仕事に追われていた私は、その時になってようやく年末年始にまとまった休みが取れることに気がついた。

そういえば。社会人になってから海外に行っていない。せっかくだったら海外に行ってみようか。じゃあ行き先は?どうせ行くなら、人生で1番行きたかったところに行こう。じゃあ私が人生で1番行きたかったところは?行かなきゃ絶対に後悔するところは?

フィレンツェ。

他のどんな地名よりも早く頭の中にパッと閃いたのは、そう、あのフィレンツェだった。

仕事を終え帰宅した私はすぐにイタリア行きのツアーを調べた。ツアーと言っても、日本からの往復の航空券とホテルさえ確保できるツアーでいい。予算に合いそうなツアーを提供している旅行会社に問い合わせのメールを送り、翌日には申込を終えていた。

出発まで1ヶ月を切っている、そんな急な申込だったけれど、自分の中では今この時こそがフィレンツェへ行くべきタイミングのような気がしていた。

■旅立ち

イタリアへ出発したのは翌年の元旦だった。成田空港からの夜の便。ドーハで乗り継ぎをし、ベネチアへ。そしてフィレンツェ、ローマへと南下し、ローマからまたドーハ経由で帰国する1週間の旅。

空港というのはどうしてこうもわくわくする場所なのだろう。どこかへ行く人たち。どこかから帰ってきた人たち。数え切れないほどの人生が行き交う場所。久方ぶりの空港の雰囲気、そして憧れの地へ一人で、そう、一人きりで旅立つのだという不安と高揚感で私は静かに興奮していた。

■一人旅って…

一人旅は初めてのことではない。むしろ一人旅の方が好きだし、今まで国内のいろいろなところを一人で旅してきた。沖縄の本島や石垣島、竹富島、西表島、京都、三重の伊勢神宮や和歌山の熊野古道、福岡の太宰府天満宮にも一人で行った。

「一人旅ってさみしくない?」
「一人は絶対いや」

そんな風に言う人もいるけれど、私は一人旅の身軽さがすきだ。行き当たりばったりで行きたいところに行き、見たいものを見て、食べたいものを食べる。何より、日常にいるときよりも自分自身の五感が生き生きとするのがわかるし、自分自身と深く向き合える。非日常だからこそ、周囲に対して敏感になり、感覚が研ぎ澄まされ、日常にいるときには味わえない感覚や思考を味わえる。一人旅の醍醐味はそこだと思う。

■とうとう、フィレンツェへ

水の都・ベネチアで一泊した翌日、私は高速鉄道に乗ってベネチアからフィレンツェへ向かった。とうとうフィレンツェに足を踏み入れるのだと思うと、ドキドキが止まらなかった。

ようやくたどり着いたフィレンツェはあいにくの曇り空。それでも、私は全然構わなかった。10年以上憧れ続けたフィレンツェにようやく来ることができたのだから。

街の中央駅であるサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に着いてすぐ、徒歩10分ほどにあるホテルに向かう。泊まったホテルは16世紀に建てられた修道院を改装した建物で、歴史好きにはもってこいの場所だった。

■たどり着いた夢の場所−ドゥオモ

ドゥオモに行く前に、お昼を食べるため私は中央市場へ向かった。中央市場の周囲はみやげ物のお店が軒を連ねる。中央市場にはチーズやワイン、その他いろいろな食品が並ぶ。

観光客もある程度いるが、地元民らしき人もそれなりにいるようだった。たまたま出会った現地在住の日本人女性に勧められ、お昼ごはんは牛モツのパニーニにした。柔らかく煮込まれた牛モツと野菜、肉汁が染みたパンの美味しさが胃に染みる。おやつ代わりに量り売りのドライフルーツを買い、私は準備万端でドゥオモへ向かった。

フィレンツェの市街地はとてもコンパクトだ。中央駅から中央市場やドゥオモまでは1km圏内にある。はやる気持ちを抑えながら、足早にフィレンツェの街を駆け抜ける。

そして、ある路地を曲がった瞬間、それは唐突に姿を表した。雑誌や映画の中で見慣れたその建物。小説『冷静の情熱のあいだ』で、若かりし日の主人公の男女2人が、女性の30歳の誕生日に一緒に行こうと約束した建物。フィレンツェのドゥオモだ。私は思った。

やっと会えた。

10代の頃から私はこの小説の大ファンだった。何十回と読み返したか分からない。映画も何度も観たし、サントラも繰り返し聴いた。笑ってしまうくらいベタだけど、昔付き合っていた人と、小説の中に出てくる2人のように、「いつか一緒にフィレンツェのドゥオモに登ろうね」なんて会話したりした。

何にしても、フィレンツェのドゥオモにはいつか大切な誰かと一緒に行くのだと思っていた。こんな風に一人でドゥオモを目の前にする自分を、10代の自分は予想すらしていなかった。

曇り空のせいかドゥオモはくすんで見えた。予約はしていても、やはり行列に並ばなくてはならないらしい。ただ、並んでいる時間が少しあったおかげで、私はドゥオモの外観をじっくり眺めることができた。赤・白・緑の大理石をふんだんに使った美しい建物。

順番が来た。とうとう登るのだ、あのドゥオモに。私はイヤホンを耳につけた。iPodに入れてある映画『冷静と情熱のあいだ』のBGMが静かに流れ始める。人からしたら、バカバカしいくらい感傷的に『浸ってる』ように思えるだろうけど、私はこのドゥオモに登るためにはるばるやってきたのだから、それでいいのだ。

深呼吸して階段を登り始める。ドゥオモのてっぺんまでは464段の階段を登らなくてはならない。通路は螺旋状になっていて、ぐるぐると目が回る。ところどころ天井が低くなっているので、頭をぶつけないように気をつけないといけない。息を切らしながら、途中ひと休みすると、格子窓の向こうに広がるフィレンツェの街が見えた。

そしてようやく私はドゥオモのてっぺんにたどりついた。曇り空のせいで遠くまでは見えないが、赤い屋根が軒並み広がるフィレンツェの街が眼下に広がっていた。

だけど、登り切った私には、思ったほどの感慨はなかった。あんなに焦がれていたのに。約9800キロの距離を超えて、ひとりではるばるやってきたのに。

混乱する頭の中で、はっきりとわかったことは、ドゥオモのてっぺんに今いる、ということより、フィレンツェ行きを決めてからの今日までのこの1ヶ月の方がしあわせだった、ということだった。

ここに来るまでは、ここに来れば、自分の人生が劇的に変わるのだと思っていた。心のどこかで、あの映画のように誰かがここで自分を待ってくれているような気さえしていた。今まで好きになった誰か。好きになってくれた誰か。

でも、当たり前のことだが、そこには誰も待っていなかった。

写真を撮ったり歓声をあげたりするカップルや家族連れの中で、私は圧倒的にひとりだった。あの映画は必ずしも私の人生とイコールではなかった。

ああ、そうか。
人にはみんなそれぞれの人生があるんだ。

何かがすとんと胸に落ちる気がした。悲観的にでもなく楽観的にでもなく、単純にそう思った。ずっとずっと憧れ続けてきた場所に立ち、憧れが現実になったその瞬間、私は私の中の長い一つの旅が終わるのを知った。「憧れ」という名の旅が、たった今、その実現を経て終わりを迎えたのだった。

ドゥオモを後にした私は、清々しい気分だった。私の中のフィレンツェのドゥオモへの憧れは、ずっと気持ちの着地点を待っていたのだ。その夜、アルノ川とそれに架かるポンテ・ヴェッキオ橋の上には月が明るく輝いていた。

■そして、日常へ

ベネチア・フィレンツェ・ローマとイタリアを堪能し、日本へ帰国する前日。私はこんなことを日記に書いていた。

明日の夕方、イタリアを発つ。
ずっと憧れていた夢の国。
10代の私にとって途方もなく遠かった夢の国。
この旅が終わったら、人生の新しい幕開けということにしよう。
自分のプロットは自分で描く。

このイタリアへの一人旅を通して、私の人生はまた1章幕を閉じ、そしてまた新しい章の幕を開けたのだった。

■エピローグ

あの旅から帰ってもう数年が経つ。帰国してからしばらくは、正直燃え尽き症候群のようになっていた。10年以上夢見ていた旅が終わったのだから無理もない。

次は何しよう?

半ば途方に来れたようにそう思っていた。でも最近になって思う。思い切り自分の人生と向き合ったあの一人旅が教えてくれたことは、かけがえのないものばかりだと。「一人でいること」と「孤独なこと」は違うということ。「憧れ」は現実になるということ。そして何より、私の人生は私のものだということ。

だから今日も私は、私の今日を生きる。憧れの小説や映画に憧れるだけの自分を卒業して、自分で自分の人生のプロットを描きながら。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。