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「距離」の取り方

移動という行為・事象に興味があるせいか、距離というものについてよく考える。物理的・心理的距離のこと。

物理的にも心理的にも、遠くにいると対象の全体が見える。細部は見えないけれど。近くにいると細部がよく見える。全体は見えないけれど。森を見るか、木を見るか。

心理的距離はおもしろい。例えば、何かが猛烈に「すき」だとして、それが対象に「近い」ということだとする。この場合、対象から「遠い」とはどういうことか。それは対象を「きらう」状態ではなく、「興味がない」ということだと思う。

つまり、心理的距離が「近い」というのは、対象を強烈に意識するということ。逆に、心理的距離が「遠い」というのは、対象について特に意識しないということだ。

最近思うのは、自分にとって心理的距離が近いものほど、意識して物理的・心理的距離を置いた方がいいんじゃないか。そういうときも必要なんじゃないか。そんなことをよく考えている。

心理的距離が近いがゆえに見えているものもあるだろう。でもその一方で、近すぎて、何かが見えなくなっているかもしれない。

理想的なのは、大仏次郎。大仏次郎記念館研究員の方が大仏次郎についてこんなことを書いている。

 <私の趣味は本とネコ>と言い、<ネコは生涯の伴侶>とも語り、最後には<次の世には私はネコに生まれてくるだろう>とまで心を入れ込んだ愛猫家、大仏次郎は、猫の随筆だけで六十篇にのぼる作品を書いた。
 ただ、これほどまでに猫を愛しながら、決して溺れたりはしない。作家としての、距離を置いた目を忘れてはいない。
               大仏次郎『猫のいる日々』徳間文庫より。

「いいなあ」と心から思う。こうなりたいと。心理的距離を限りなく近づけた対象に対して、距離を置くことを忘れない生き方。いろんなものが見える方がきっとおもしろい。見えすぎたら気苦労もあるかもしれないけれど。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。