気に病むことはない
最近、日常の些細なことの中に「死」の存在を意識してしまう。友達との会話、テレビの報道、読みかけの小説など、その感情を喚起するものは様々だ。前にも書いたことがあるが、自分は常に「死」を意識して生きることを心がけている。命あるものに終わりは来る、という桎梏を。だが、最近のそれは今述べたように、能動的に自分で考えて感じるのではなくて、受動的に向こうからやってくる。ただ疲れているだけなのか、あるいは自分の死期が近いことを脳が示唆しているのか。どちらにせよ、やり残してるがまだまだいっぱ