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気に病むことはない

最近、日常の些細なことの中に「死」の存在を意識してしまう。友達との会話、テレビの報道、読みかけの小説など、その感情を喚起するものは様々だ。前にも書いたことがあるが、自分は常に「死」を意識して生きることを心がけている。命あるものに終わりは来る、という桎梏を。だが、最近のそれは今述べたように、能動的に自分で考えて感じるのではなくて、受動的に向こうからやってくる。ただ疲れているだけなのか、あるいは自分の死期が近いことを脳が示唆しているのか。どちらにせよ、やり残してるがまだまだいっぱいあるので死ねないです。

世界では今日も自分抜きで色々なことが起こっている。自分にできることといえば、薄暗い小部屋でギターを爪弾いて、それらに想いを馳せることくらいだろうか。これから先の未来もこのように、自分を全く介せず世界は進むと考えるとすこし物寂しくなる。でも案外それくらいの距離感がちょうどいいのかもしれないね。ふわふわと踊るカーテンを横目に、柄にもなくそんなことを考えるのでした。

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