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水平線ドライブ #短編小説

 右へ左へハンドルをきり、坂道を進む。視界が開け、水平線が広がった。
「気持ちいいね!」
「うん。」
父と2人でドライブなんて、何年ぶりだろう。もしかしたらはじめてかもしれない。ひさしぶりに実家に帰ってきてよかったと美紀は思う。

10年前、
「おまえ、これからどうするつもりなんだ?」
大学卒業間近になっても、就職の決まらない美紀のところに、父から毎日電話がかかってきた。
「····· ちゃんと考えるから」
考えなきゃ·····と思いながら、ワンルームの壁を眺めながら1日がすぎる。
「おまえは、本当は大企業に入る実力があるのに、ずっと怠けてたんだろう?」
また父親から電話があった。実力なんてあるわけない。私はどうすればいいんだろう? 何もできる気がしない·····

 父の本棚には、ウィスキーの瓶、昔パチンコでもらってきたトムとジェリーのソフビ人形、居酒屋でもらった狸の箸置き、土木工学の本、湯川秀樹の随筆集、都市と建築の評論集である黒表紙のSD選書がずらっと並んでいる。フランク・ロイド・ライトの本は、いつも父がお札をしまう場所だ。
 父は土木の技師で、昔住んでいた官舎では、上司や同僚達とバーベキューやマージャンをしていて、当時幼かった美紀は、土木のおじさん達にかわいがってもらった。特に単身赴任のおじさんは、毎朝、「おはよう、みきちゃん。いってきます。」と美紀の家の前を通って出勤するのが日課だった。家にはおじさん達にもらったぬいぐるみがたくさんあった。
 彼らは、体格や威勢もよく、怖そうに見えるが、実はとても優しい。しかし父が本当になりたかったのは大工さんだった。親戚の大工さんは、高いところをひょいひょいっと渡ったり、枠の隙間にトントンっと木を埋めて傾きを直したりして、すごくかっこいい。仕事中の鋭い眼差しが、ふと優しく笑う瞬間、男の色気のようなものが漂うのを、子供の美紀も感じとっていた。
 そんな環境で育ったせいか、大学受験では、なんとなく建築学科を志望した。歴史があり、デザインにも力を入れている大学を選び、オープンキャンパスに行こうとしたら、父もついてきた。そこは父が一番行きたかった大学なのだという。オープンキャンパスではしゃいでいたのは父の方だった。相談コーナーでは、熱心に講師に質問をし、学生達が作った建築模型を眺めて帰った。

 無事その志望校に合格し、大学生活が始まった。歴史的建築家が設計したその煉瓦の建物は、緩やかな曲線の階段や、大きなガラス扉の意匠が端正で美しい。しかし、設備は古く、エレベーターがガクンと揺れたり、冷暖房をつけるとゴーゴー音がうるさい。製図室には模型やゴミが散乱し、学生達が布団や炊飯器を持ち込み生活していた。
 入学したはいいが、美紀は講義にも製図課題にも全然ついていけなかった。教授が何を言っているのかわからないし、試験情報も要領よく先輩や同級生からもらうことができない。製図課題は、期限までに完成したためしがない。
 そして、ちょっとした恋愛に失敗したのをきっかけに、一人暮らしのワンルームに引きこもるようになった。
 卒業間近になっても、ただただ壁を眺める日々が続く。なんでできないんだろう?なんてだらしないんだろう、と自分を責めるが、体が動かない。

 ある日、母から電話があった。
「あんた、その状態は、たぶん 'うつ' だよ。薬を飲めば治るから。」
それから実家に帰り、心療内科に通い、療養生活が始まった。といっても、薬を飲んで、ひたすら寝るだけ。だが、「自分のがんばり」じゃなくて、薬が治してくれるのだと思ったら、かなり気がラクになった。そして、読書やテレビを楽しむ余裕ができてきて、掃除や料理などの家事もできるようになったころ、事務のアルバイトを始めた。
 その後、心が正常に戻ってきたころ、実家を出て、小さな設計事務所に勤めた。先輩に怒られながらも仕事を覚えること数年、今年やっと、建築士の資格を取ることができたのだ。

「もうすぐ展望台だ。」
「あれ? 前とお店変わってる。」
 駐車場に着き、2人は車を降りる。
 前からあった土産物屋の一角に、ウッドデッキのカフェができていた。カフェといっても、看板には、コーヒーやカプチーノの他に、伊勢エビラーメンや牡蠣フライのメニューがあって、その野暮ったい感じにちょっと安心してしまう。
 父がソフトクリームを注文している。
「お父さん、甘いもの好きだったっけ?」
「うん、最近、甘いのが好きなんだ。」
ふいに、美紀の携帯が鳴った。会社からだった。
「·····そうなんです。ここはバンバンに鉄筋入れとかないと、センダン破壊するんです。·····スリット入れてもダメなんです。·····」

「ずいぶん、技術的な話してるな。」
「うん。」
「将来独立して設計事務所立ち上げたら、オレを雇ってくれよな。」
「いいよ。でも、給料安いよ。」
「頑張って営業して、仕事とってくるから。」

 小さな頃から何回も来ている展望台。霞がかった水平線の向こうの島をじーっと見つめる。その辺りに見える船は、大きなタンカーだ。もっと手前にある小さな船達は漁船だろう。海の色は、深緑だったり、コバルトブルーだったり、場所によって違う。
 美紀は、昔から変わらない景色を、父と一緒にぼーっと眺めていた。



(終)