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『私は悪霊の声を聞く〜ソクラテス、哲学的欲望の起源について〜』


著書名:『私は悪霊の声を聞く〜ソクラテス、哲学的欲望の起源について〜』
     『나는 악령의 목소리를 듣는다 ~소크라테스, 철학적 욕망의 기원에 관하여~』

著者名:ペク・サンヒョン(백상현
 フランス国立美術学校 École des beaux-arts de Valence を卒業後、パリ第8大学で芸術学を専攻し
なおした。パリ第8大学芸術学科では論文<外在言語的思惟 ビル・ヴィオラ>で修士号を、のち哲学科で論文<症候的文章, リオタールとラカン>で博士号を取得した。
高麗大学、梨花女子大学、崇實(スンシル)大学などで精神分析と哲学を中心に講義し、'韓国フロイトラカン・カレッジ'の常任教授を歴任した。ラカンの精神分析理論を通して美学、社会学、哲学を再構成する研究と執筆活動に取り組んでいる。
著書に、『ラカンの人間学:セミナー7の講解』、『騙されない者たちは彷徨う』、『ラカンのルーブル』、『孤独のマニュアル』、『ラカン美術館の幽霊たち』がある。

<あらすじ>
 この本で著者は、アテネでのソクラテスに対する死刑(宣告)という事件について、"欲望"というキーワードを中心に説いています。 

 (...생략...), 그것은 철학이라는 실천을 이해하는 하나의 입장에 관한 것이다. 철학이란 복잡한 텍스트의 전개와 사변적 이론의 나열이 결코 아니라는 것, 철학은 하나의 욕망이고, 그것은 변화하려는 욕망이며, 현재의 우리를 지배하는 고정관념의 권력에 대항하는 고함소리와 같은 것이라는 관점이다.   - p.15

 (訳) それは哲学という実践を理解するひとつの立場に関するものである。哲学とは、複雑な文章の展開と事変的理論の羅列では決してないこと、哲学はひとつの欲望であり、それは変わろうとする欲望、現在の我々を支配する固定観念という権力に対抗する叫びのようなものであるという見方である。

 
嚙み砕くと、'アテネ=言語化された法律に基づいた統治(固定観念的支配)' に対して、'ソクラテス=固定観念から抜け出そうとする欲望' という構図を用いて話は進んでいきます。アテネの固定観念はソクラテスを死刑にするほど病的なものであったと同時に、ソクラテスも死を前に欲望に忠実であったという点で病的だったと著者はいいます。

中盤から後半にかけては、フロイト(Freud)やラカン(Lacan)を中心に添えてソクラテスの欲望が彼の死後、弟子であるプラトンはじめアテネにどのように継承されていったのかについて書かれています。固定観念を抜け出したいというソクラテスの欲望は、彼の死で終わるのではなく、まるで幽霊のように後の世代に纏わりついていくというのです。

本の題名にもなっている悪霊の声というのは、ソクラテス自身(もしくはソクラテス的欲望の声)であり、そのような声は紀元前のアテネだけではなく現在わたしたちが生きている世界でも常に響き渡っているのです。
と大雑把な内容はこんな感じでした。

 
<注意するところ>
 他のレビューを少し見てたら、ラカンに対する理解がなってない!というレビューをみつけました。自分はラカンを専門的に深く勉強したことがないので何とも言えません。ただ、本書は150ページの分量にエッセイ形式で書いてあるので専門的なところは幾分端折られている気もしました。(哲学・精神分析に関する用語についてもとくに説明なく使われているので用語について知らないとかなり読みづらいのかなとも思いました。)

 もうひとつ、これは個人差ですが、自分は完結した文章が好きなのでちょっと読みづらい?というか文章を完結させてほしいなぁと思う部分がところどころありました。。。

例) -니까.  -처럼.  -하게 되는.  体言止め etc...  

といった感じで、え!?そこで文章切るの!? っていうような感じで不意をつかれることが多々。笑

 
<まとめ>
 全体的に内容はおもしろかったです。

最後のエピローグでは、筆者が街で偶然見かけたスケートボードをくりかえし練習する少年について、彼もまたソクラテスであり我々も然り(彼のようであるべきだ)!と言い、本書は終わります。
 

 너희들은 어쩌려고 그러니..."라는 어른들의 애도의 목소리에 침을 뱉는 욕망이 그곳에 있었기 때문이다. 당신들이 원하는 방식대로는 결코 나의 시간이 반복되도록 하지 않겠다는 어떤 완고함이, 견고한 타락을 통해 현재의 이데올로기를 돌파하려는 투쟁이, 바로 그러한 타락을 관리하고 통제하여 하나의 반복으로 정립하려는 철학적 욕망이 보드를 타는 고딩들의 형상 속에 있었다는 말이다.  - p.149

 

(高校生たちがスケードボードをズボンが擦り切れるまで反復練習してるのをみて)"そんなに頑張って何になるの?"と言ってくる大人たちに、"あなたたち(大人たち)の望む形では決して私たちの時間が反復することはない"という、既存のルールから見たら堕落かもしれない道を反復し進もうとする欲望がその高校生たちから見えた。

と著者はいい、それがまさにソクラテス的欲望だというのです。

 たしかに大人になるにつれて無生産にみえることに対して手を出しづらくなり、それだけでなくそのような事をしている若者にたいして(悪気なく)アドバイスのつもりで "やめたほうがいいよ〜" とか  "それって意味なくない?役に立つの?" と声がけすることが多々あると思います。ある程度年齢を重ねると、社会的固定観念に縛られその基準をもとに判断しやすくなりますよね。

ただそのような固定観念に縛られることなく、自分の欲望の声にしたがい生きて行くことの大切さを著者はソクラテスの人生を通して語りかけているのかな、と思いました。

 レビューを読んで興味が湧いた方は、韓国の書店でぜひ手にとってみてください^^



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