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いつも気持ちのままに

人は”考える”、”思う”、”感じる”を使い分けている。いや、使わされているとも云う。

それは、何気なくこの言葉を使うからである。
人のこころには気持ちと感情がある。そのどちらが言動するとき、これら言葉が使われる。

簡単にいえば”思う”や”考える”は感情からの言葉であり、”感じる”は気持ちからの言葉である。

人はこの言葉を聞くと、その言葉のとおり受け取る人もいれば、何故、そう言ったのか”考え”てしまう人もいる。いずれにしても感情で受け止めがちとなる。

例えば、”思う”は感情そのもので気持ちからの言葉でない。それを受けた相手も感情を湧かし感情を返してしまう。”考える”も同じ。

何故、”思う”や”考える”の言葉を使う必要があったのかを”考えて”しまえば、自身も次第に感情を湧かしてしまう。だから。”気持ちからの言葉ではない”とだけ気づき止めれば、その後の話しで理由は解ることができる。

「人は自分の心の鏡」です。それには”自分は人の心の鏡”にもなり得るのです。

要は”思う”や”考える”を使った言葉には、”気持ちからの言葉ではない”と気づくだけで、気持ちの会話へと戻る術となります。

人は知らず知らず感情を湧かし、コミュニケーションに感情を持ち込む癖があります。だから、どんな時でも感情に阻害されないよにする術が必要になるのです。

では、”感じる”はどうか。
”感じる”とは、何かを感じるか。それは何処で感じるのか。もちろん、その人の心で感じる言葉として使われてます。

この”感じる”を使った言葉には気持ちが含まれ、言葉を変えた等と”考える”必要がない。言い換えれば感情で受け止める必要がない。気持ちのままでいいのです。

気持ちからの言葉には、自身の気持ちの言葉を自然と返すことになるのです。

人と人の会話には、気持ちと感情が多分に入り混じります。知らず知らずにその感情を受け取ってしまえば、会話は思わぬ方向へと変わるということです。だから、感情に気づくだけで「立ち止める」のです。

人は人の言葉に幸せかどうかをいつも感じてます。だから、立ち止めるキッカケはもともと持っていたのです。その術を使うか使わないかは自分しだいです。

これが『いつも気持ちのままに』の2つの意味の1つです。

(心のカタチより)

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