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どうしたいのか-こころの治癒⑰

(心のカタチより)

人は物事が起きると感情に囚われやすい。それが気持ちのままの感情なら特に気にすることないが、感情からの感情が湧いたなら自分が”どうしたいのか”を見失ってしまう。人が思う”どうしたいのか”には「欲」か「当たり前」の2つがあり、そのどちらかで”幸せかどうか”に別れる。

前回「人はひと」の話をしました。その話では感情的な”人”であっても、気持ちのまま的な”ひと”であっても、どちらの状態でも心の価値は担保する”もの”と話しました。

例えば”同情”は皆さんがよく知ることですが。しかし、それは”心の価値”を担保している事を見失わせもします。水面は波風が立つものです。それでも地球の重力に引かれ水平であり続けようと作用するのです。人の心も同情等で波打ちますが、それでも独りでも2人でも複数の人であっても、”心の価値”を感じ合えれば何人居ようが平穏を取り戻さすのです。

その”心の価値”とは心の中にある気持ち。その気持ちは”幸せ”を担保しており、その気持ちが”幸せになりたい”とチカラを働くのです。万民はそのチカラを使い共感を得ています。

それは例外なく誰もが持つ唯一の同じ価値。それが人のこころを動かす源になるのです。人は”どうしたいのか”と問われれば、本来、その気持ちに答えようと”幸せになりたい”とたった1つの答えます。それがあってこそ幾つもの幸せとなる方法を見つけれるのですが、その時湧いている欲(かんじょう)を答える人が多いのも確かなのです。

「欲」

自分は”どうしたいのか”。そうなればいいな、それが出来たらいいな、自分の事だけを見てなど、止めどもなく感情を湧かすのです。ただ、そう思うことは決して悪いことではありませんが、それを実現出来なければ、自身の心を苦しめる感情を湧かす理由となります。

それが気持ちに素直になれない”欲”です。

人は考えるや思う事をします。それは人が持つ自由なのですが、その自由なばかりに止めどもなく”欲”を造りもします。それを一つでも熟せれなければ”欲”というカタチを心にぶら下げ負担を自身で課します。

ただ。ひとは”欲”を持つことも大切です。”欲”を持つと云うことは『自分がそうありたい』と未来の希望を創ることをします。それが気持ちにとって”当たり前”であり、こころに活りょくとなり得るのです。

ではどうすれば良いか。

「どうしたいのか」を感じるのです。

人は自分が”どうしたいのか”を考えることがあっても、大概は”欲”に囚われる方法を考えてます。

例えば。
『あなたはどうしたいのですか』と問われたらどう答えますか?

もちろん、この問いかけの前提が心の病の人や悩み多い人への問いかけとなります。それは自身や知人がそのような状態でなければ、この問いかけに意味を無くすからです。

例えば、心の病の人なら『治りたいです』と答えるかも知れませんね。それは”欲”であり、その答えでは”何故、治りたいのか”と聞き直しもします。その問いの末に本音を感じ満たせれば、結果、病も治っていれば十分なのかも知れません。

その本音は自身の気持ち(こころ)と比べさえ出来れば判ることなのです。

自身が同情等を持ち感情に囚われなければ、きっと相手の心の”不幸”を感じ、相手にそれを自覚させれれば答えも自ずと解るのです。

”幸せになりたい”だけです。

極々”当たり前”なことですが、でも、それを感じることを怠っていたのです。出来事を優先するばかりに”どうしたいのか”に欲を考えていたのです。”どうしたいのか”と問われれば”幸せになりたい”。それが誰もが常々感じている思いです。

人はどんな状況でも、どんな時でも”幸せになりたい”はこころの中にあります。ならば、自分がやりたいこともそれで決まるのです。それには”幸せ”を感じる予定(けいかく)が必要です。近い未来、午後、明日、週末、自分のペースで予定するだけです。あとはその”幸せ”を感じつつ、繰り返すだけでこころの治癒が促されるのです。

「当たり前」

人には自分の将来を決める権利があります。その権利は自分だけの”もの”であり、誰かとその将来を共に歩みたいなら共有も可能です。

ただし、その共有には、共に”幸せ”な予定を立てれる絆が必要です。どちらかがどちらかに合わせるとなれば、それは既に”欲”に囚われ共に”幸せ”でなくすのです。

それには共に”心の価値”を保ちながらできる予定が必要です。もし、その価値を感じれないなら今は無理しないだけです。それまでは自分だけでできる近い未来の予定を立て”幸せ”を感じつつ、ゆっくり相手を感じれるようになれば良いのです。

自分が当たり前のように”どうしたいのか”を保てば、”幸せ”に向かう人生(みち)は見つかるのです。その人生を歩み、時に”不幸”と感じるなら”欲”を歩んでしまったと、一息ついて”当たり前”を歩み直せばいいのです。人は”幸せ”な人生(みらい)は判りません。ならば自分の権利”幸せ”になるだろう予定を立てるのです。

その予定が正しいか正しくないかは問題ではなく、自分が選んだ予定に責任持つことが経験となり”幸せ”へと向かうのです。自分が選んだ人生なら”後悔”は残らないのです。

それが極々”当たり前”なこと。”どうしたいのか”の答えに対するやることになります。

心に病を持つ人、悩み多い人はその”当たり前”さえ出来なくなっていたんじゃないでしょうか。それがそうなのか自分の心に聞いてみては如何でしょうか。


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