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人はひと−こころの治癒⑯

(心のカタチより)

人には持病を持っていたり、障害を持っていたり、心に病を持つ人がいる。自分たちはその人たちとどのように接しているか。もちろん、手助けが必要なら誰かが手を貸すのは当たり前なことして、どのような心で接しているのかです。それには、忘れてはイケない事があり”人はひと”と云うことです。もし、同情をするならば”人をひと”にならずです。

前回「こころに不要な”もの”」の話をしました。その話では2番めに湧く感情、3番めに湧く感情と湧き続ける感情は、心にぶら下げず”断ち切る”のが1番と話しました。

人は解決できない出来事(かんじょう)を心にぶら下げ負担にすることを多々します。その出来事には”答え”はなく。そのまんまぶら下げ続ける事をするのです。それでは、心身を衰えさせ心を病(やま)すしか出来なくさせます。

例えば、数学には連立方程式があります。その連立方程式は項の数だけ数式があることで解けもします。ただ。人生はその数式が1つしか存在しないのです。それは、スパーコンピュータの富岳でも解けないことを頭で解こうとしていると同じです。ならば、どうするとこころに優しく良いのか。

解こうとする以前に”答えがない”と気づけば、不要な感情は残す価値はないとも気づけるのです。

「同情」

人は”同情”をします。いつものようにgoo辞書で調べると「他人の身の上になって、その感情をともにすること」とある。

その通りですね。
ただ。同情は人として大切なことを言っているようにも思えるが、実は”同情はするべきではない”のです。

そもそも、”同情”には心の価値を見下す意味が伴います。それは、どちらかがどちらかに”する”と”される”という行為を生じるからです。簡単に言えば「同情する」「同情される」を知らずに造ってしまうのです。”良かれ”と想ったことでも、それでは心の価値が担保されなくするのです。

それに、”同情”をするべきではない”にはこんな話もあります。

『鬱は伝染(うつ)る』

ダジャレを言っているのではありませんが、実際に伝染るのです。もし、どちらかがどちらかに”同情”してしまうと自ら伝染してしまうのです。

同情とは”同じ情”と書きます。情は感情であり、その感情と同じに自分もなる。goo辞書の説明にも「その感情をともにすること」とあります。

鬱(心の病)などは、ウイルスのように感染する”もの”ではありませんが、”心を知らない”ばかりに、不安定な心の隙間に相手の心にある同じ感情を引き込んでしまいます。結果、伝染ってしまうのです。

だから。相手の心を感じることはしても”同情はするべきではない”のです。その代わりに相手の心の中にある”幸せな記憶”を引き出すことで心の価値が担保できるのです。

それは”同情”をするのではなく、潜在的に埋もれてしまった”幸せ”を伴に感じ引き出し合うことが大切だったのです。それは”こころを元(ちゆ)”に戻す術となります。

「人はひと」

心の価値では、”人はひと”の『人』も『ひと』もこころは同じと云うことです。それは、心のカタチでは以前もお話しましたが漢字の”人”は感情を現し、ひらがなの”ひと”は気持ちを現すと云っても、どちらもこころの中心にある”幸せ”は同じ価値を持つのです。

人がひとであり続けるために、どんなことがあっても、心の価値は”同じ”でなければ、知らず知らずに人を見下してしまうのです。自身は気づいてなくても”同情”などをすれば、相手を見下す心の使い方をしているのです。

そのような心の色眼鏡を通して相手を診たり診られたりすれば、心の価値は保てなくするのです。

人は心に湧く感情は感じやすく判りやすい”もの”です。そして、そう想われるのが積もり積もって”更に心の負担(かんじょう)”を高めるのです。

だから、”人はひと”を決して変えてしまう事はするべきでないのです。水の水面は穏やかであってこそ”澄んでいる”と感じられます。その水面を乱れ波立せていて、いつを”澄んでいる”と感じればいいのでしょう。疲れさせるだけです。

人は”感じて”こそ相手のこころを知ることができる”もの”です。どちらを波立たせる訳でもないが、知らずに”考える”や”思/想う”をしていては、感じることを出来ないくさせるのです。

人のこころには”幸せになりたい”があります。互いに感じてこそ”人はひと”のために動きたくなるのです。”幸せ”を感じ合うとは、そんなチカラを引き出すのです。

「心の価値」

心のカタチでも何度か”心の価値”のお話しをしました。それは、人には”こころ”があり、”幸せ”を好むことは誰も変わらないと云う話です。初めて会う人であってもそれは変わらないからです。

たまに、ぽち☆が出会ったひとにこんな質問をします。『あなたはこころがありますか?』もちろん”はい”と誰もが答えてくれます。そして『あなたは幸せになりたいか。不幸になりたいか』と問い続けます。これも”幸せになりたい”と必ず答えてくれます。当たり前なことですね。”ひと”だからです。

それは誰もが解り切った質問ではあるが、普段、感情に振り回され忘れている”幸せになりたい”を思い浮かべさせる質問です。

人はひょんな事で感情を湧かす活き”もの”です。それでもひとは”幸せになりたい”があるのです。それを感情に心を奪われ煽り煽られてしまえば、誰も幸せにはなりません。そう車の煽りなんかはその例です。煽っても煽られても誰も幸せに成れないのです。それを解っていても感情に囚われ煽る人がいるのです。

それは”心の価値”を担保できず人でもひとでもない”者(もの)”へと化けさせもします。

心の価値は、そうならないための唯一”人とひと”を同じにする原点となります。誰もが持つこの原点で触れ合うことが”幸せ(チカラ)”を感じさせ、不動なこころの安定を与えるのです。


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