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【連載】家族会議『家族の運命を握るのは祖母編』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議3日目#4|家族の運命を握るのは祖母
――子供時代、「母親にもっと褒めてほしかった」と話す父。その満たされなさが尾を引いて、77歳になった今も、母親から得られなかった愛情を他人に求め続けている。もっと褒めろ、もっと大事にしろ。と。
母親にこだわり続ける父ではあるが、父親とはどんな関係だったのだろうか。
わたし:母親には褒めてほしかったって言ってたけど、父親にしてほしかったことってあるの?
父:親父にしてほしかったこと、もう弱くなってたからな。釣りにも連れてってもらったし。
――父の父親(わたしの祖父)は、ひと言でいうと『内弁慶』。家ではかなりの暴君で「逆らえなかった」と聞いている。その一方、多趣味で器用なところがあり、釣りも趣味のひとつだった。そういう遊びを、子供と共有してくれる人でもあったのだ。
そんな父親に対する思いは、母親に対するそれとは大きく異なる。
母親には求めても求めても満たされることはなかったが、父親にはそもそも期待していないという印象だ。ダメ親父だったエピソードも、いくらでも語ることができる。
父:とにかく親父はね、順番を考えないんだな。その場その場で決めて動いちゃうんだ。豚小屋の件(養豚業を始めようとした)でも親父としては検討したんだろうけども、なにもそこまで立派な。なんてことやるんだと。利益出せやと。思ってたな。
あと高校卒業するときに、「跡を継がないか。農業やれ。」と。工業行けって言ってさ、それで農業やれって、それ順番違うんじゃないかって。一貫性がないっていうか、そういう親父だった。
――そんなダメ親父でも、高校に行かせてくれたことに本当に感謝していて、それだけで全部チャラにできたという。
父が中学生の時、家に赤紙が貼られるという事件があった。祖父が知り合いの事業の保証人になり借金を背負ったからだった。それがあって、父は中学校卒業後に就職する段取りがされていた。それをひっくり返したのが祖父だったのだ。
わたし:お父さんからおじいちゃんの話聞くときって、「どうしようもない人だったけど、ま、ああいう人だからしゃーないんだよね」みたいな諦めっていうか、あまり憎みとか恨みとか、感じないなって思うんだけど。
父:それはね、やっぱりあの、「高校に行け」っていうのが大きかったと思うよ。あれはもう、すごいよ。あれに勝るものないと思った。
わたし:そうなんだね。
高校に行かせてくれたっていうのは、なんとなく、おじいちゃんの気持ちを感じる出来事だなって思う。それでいて、工業に行けって言ったくせに「農業やってくれない?」みたいな所が、おじいちゃんって気持ちに素直な人なのかなって。
それによって人も振り回すけど、いざっていうときには「その気持ちに救われる」みたいなところもあったのかなって思った。
――そもそも中学校卒業後の就職の話は、長兄が決めたことだった。それを「親父の一言」でひっくり返したのだ。
父:長男が全部、就職の段取りしてたからな。
わたし:そうそう、それもムカつく話だよねって。
父:うん。それもやっぱりしゃーないなって思うんだけど。
わたし:もちろんしゃーないけど、自分は大学まで行ってるのに、同じ兄弟でお父さんだけ中卒になるなんて、納得いかないよねって思うの。
父:うん。やっぱりそれを思うから、親父から言われたときうれしかったんだろうな。
――わかりやすい家父長制だった父の家。「家長の言うことが絶対」の恩恵を受けて、父は高校へと進学できたのだった。それは祖父が、後先考えないからこそ言えたことではあるだろうが、わたしはそこに、父に対する愛情があったのではないかと思ってしまう。
父は「親父の愛情」にはピンとこないという。でも親父の話をする父はどこかリラックスできていて、お袋の話をする父からは緊張感が漂うのだ。
わたし:おじいちゃんって、愛情ある人なのかな?みたいなイメージがするの。聞いてて。でおばあちゃんの話を聞くときは、「感謝してる」っていう話がメインのイメージだったのね。今まで。で、なんかちょっと苦しい感じがするっていうか。「感謝しなきゃいけないんだ」みたいな。
父:感謝っていうよりもね、文句言えないって感じだ。
わたし:すごくやってくれてるからね。うんうん。
父:親父以上に文句言えない。
わたし:そっかおじいちゃんは文句言いやすい。だからおじいちゃんの話聞くときはナチュラルな感じがして、おばあちゃんの話を聞くときにお父さんの気持ちに無理があるっていうか、言葉と気持ちにギャップがあるような感じがするんだね。
父:だから親父に関してはね、それ一発(高校進学)なんだよ。もう大きすぎてさ。お袋に関してはもう、ずーっと頭上がんねぇなと。いう感じだね。
わたし:それで親に対しての感謝の思いっていうのが強いんだね。お父さんは。
とにかく苦労しているおばあちゃんに頭があがらない。でもお父さんの気持ちは、褒めて欲しかったとか、余裕があったらもっと甘えたかったとか、そういう気持ちもあるってことなんだね。
父:そういうのってどっちかっていうと、親父よりお袋に求めるんじゃないの?
――確かにそうだ。男の子は母親が大好き。幼少期には母親からの愛情が必須で、それが自己肯定感を育むという。父は7人兄弟の末っ子だったから、どうしても母親の愛が不足しがちだったと考えられる。
そのうえ、父親は厳しく、気に入らないと怒鳴り散らすような人だった。幼少期の父に、心暖まる場所はなかったのだろう。
- 今日はここまで -
愛情不足の幼少期を過ごした父は、いわゆるアダルトチルドレンだ。母親に対する感情はマザコンと言えるし、性質として人格障害を持っている。
これでは「生きづらい」はずだ。
なのに、完全に心を感じないようにしてしまったため、「生きづらさ」さえ感じられない、こじれにこじれた大人になってしまった。
そんな父に巻き込まれているのが家族だ。父が生きづらさを感じないぶん、わたしたちが生きづらい状況になっている。そして父は、わたしたちに問題があると思っているのだった。
だからわたしは、祖母に対して憤っている。
なんで父に、もっと愛情を注いでくれなかったのかと。父は良い子だっただろうに、なぜもっと褒めてくれなかったのかと。
もう他界した祖母が、未だに父の運命を、わたしたち家族の運命を握っているのである。
<次回に続く>
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