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私は私、あなたはあなた


あなたは自分のために生きていますか?

好きな人、職場の上司、親、友達に
人生の主導権を握られていませんか?

以前の私は母親、上司に人生の操縦席を奪われていました。

そのことに気づいたのは1年前くらいです。
 

看護師になった理由も
「母親が看護師を勧められたから」

こんなことを言うと炎上してしまうかもしれませんが・・・。
看護師はとても誇りを持って頑張っている仕事ではありますが
これが私の本音です。

だから、看護学生時代に周りの友達が
「みんな絶対に憧れの看護師になる!」
「この病院でこの分野で働くんだ!」
と夢や希望を持って勉強や実習に励んでいる姿をみて
私はこんな風になれないな、、。
だって本当に私は看護師をやりたいのか分からないのだから。
と感じていたことを覚えています。

看護学校では毎年多くの実習に行きます。
実習指導者は怖い看護師ばかり。
毎日実習後に実習指導者を含めたカンファレンス(課題発表のようなもの)を行うのですが、実習指導者からは

「内容がからっぽ」
「こんな人たちに時間かけていられない」
「あなたたち、バカですか?」
「看護師目指すのやめたら?」

・・・などそりゃもう色んなことを言われました。

カンファレンス後はみんなで泣きながら休憩室に戻って帰る準備をしていたのを覚えています。
そして毎日の提出しなければいけないレポートは山のよう。
終わらない課題。徹夜三昧。
それでも「看護師になったらこの辛さからは逃げ切ることができる」
本気でそう思っていました。


だけど、現実はそう甘くありません。

看護師になってからの方が死ぬほど苦しく、辛かった日々が続きました。

その話はまた後ほど。

そんな私が息子の育休中に自分自身と向き合い、
本当はどう生きたいのか?
私はこのままでいいのだろうか?
と自問自答する毎日を送りました。

そして心の勉強をしていくうちに
「人生の操縦席を他人に握られているな」
ということに気がつきました。

小さい頃から親のレールに敷かれて看護師となり、看護師になってからも上司からいいように扱われ、多くの仕事を押し付けられて断ることができない。

夜勤の日は15時から病棟に行き情報収集。
次の日の朝11まで病棟で委員会の仕事や残りの作業をしていました。
病棟に20時間いるんです。
冷静に考えると怖いっす・・・ね。
その時は当たり前のことだと思い、特に何も感じていなかったです。

だけど、帰宅すると全く動くことができない。
ご飯やお風呂も入ることさえできずに死んだように床で寝落ち。

また次の日には病院に行き命を削って働く。

「本当に、私はこの先60年も看護師を続けたいのだろうか?」
「看護師として働く私は好きか?」
「周りの意見や評価に流されていないか?」
「これからもずっと最先端の医療を深く学びたいのだろうか?」

そう考えた時に
何か違うな。
と違和感が出てくるようになりました。

今まで自分の意見や思いなんて
全く感じることさえしてこなかった。

いや、感じることを知らなかったが近いかもしれません。

だから自分のやりたいこと、思いを言葉やノートに書いたとき
きっと私自身が一番びっくりしていたことだと思います。

人は抑圧されながら生きてくると
自分の感情や思考に気づくことすら忘れてしまうんです。


「私は親を満足させるために生きていないか?」
「上司の機嫌をとるために仕事をやっていないか?」
「世間の目を気にして看護師をしていないか?」

すると少しずつ自分の答えが見えてきました。


今回の題名である

「私は私、あなたはあなた」

これはゲシュタルトの祈りの一部分です。


私はこの言葉が大好きです。

私はよく相手を優先し、自己犠牲してしまう癖がまだ抜けきっていません。
また相手の表情や態度にも敏感に反応してしまいます。

そんな時に必ず思い出すこの言葉。

相手との境界線を引くことが苦手な私にとって
とても心強いお守りのような存在です。


みなさんはどんな言葉が自分の支えになっていますか?

今日もぼちぼち生きましょう。

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