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陣中に生きる—9『昭和十二年 九月十一日』

割引あり

九月十一日 曇り ③

自分も、面会人などはあるまい、あってもどうにもなるまいと、あきらめていたところだった。
四人は、弟の場合をふくめて、重ね重ねの天恵によって、一目会えたことが有難く、しばらくはその話ばかりで笑いあった。

相互に心の中では、<幸先よし!>と、喜んでいるに違いなかった。
話たいことは山々あっても、こんな時こんな所では、しかも大の男ばかりでは、とても存分に話し会えるものではなかった。
そこは相互の推察にまかすことにして、ついに別れることになった。
よそ目には、淡々たる別れに見えたかも知れない。


これらの兄弟たちは、昭和三年六月一日(二等兵の時)落雷のために九死に一生をえたときと、同七年二月二十五日上海事変に応召のときと、こんどで三たび、自分のために、遠方からこの高田に駆付けてくれた。
その度に、胆を冷やすようなことがあって、寿命のつまるような苦労と心配をかけた。

上海事変から帰還したとき、祝宴のあとで次兄が、次のように述懐したことがあった。
「家門の名誉と思い、兄弟の誇りとしながらも、お前の境遇と苦労をもっともよく知る自分は、陰でそのことを思うたびに、涙があふれてならなかった」

そうした苦衷の兄たちが、今ごろ車中にゆられながら、なにを考えなにを語り合ってることだろうか。
思いはさらに、母へ、姉へ、そして家族へと駆けめぐる。

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