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陣中に生きる—35

砲撃の略図
行軍地図・現在地、呉淞(ウースン)

十月二十八日 晴後曇
第二回目楊家楼陣地へ

― 妻からの第一信 ―

三時頃。
目覚めると、また激戦をやっている。
友軍歩兵が夜が明けるまで損害なしに、持ちこたえることができるだろうか。
そんな思いで気が気でない。

しかし、さっきほどではないようである。
歩哨の話によると、敵は夜通し、撃ちつづけたらしい。


三時半。
砲車の前で高橋と話していると、
「小隊長殿――――」
と叫ぶように呼ぶ声!
誰かは分からないが伝令である。

「今払暁、前の陣地に陣地変換。八時半までに射撃準備を完了せよ」
という、大隊命令が伝達された。
そこでこんどはこちらから、櫛のような月の光をたよりに伝令がとんだ。

六粁後方の駄馬列へである。
あわただしくなったが、起きるにはまだ早すぎる。
命令を各分隊に伝達し終ると、またごろりと寝転ぶ。
だが、兵隊たちはもう起きて、外とう背のうに巻いたり、弾薬箱の整備をしたり、せっせと動いていた。

寝ながら、陣地進入のとき流弾が来なければよいが、犠牲者が出ないようにと、そればかりを案じていた。
未明に食事をすます。
例の豚肉のおかずだが、小さいのが五きれほどもあったろうか。
やはり、流弾がかなりに飛んでくる。
犠牲者が出ないようにと、そればかりを祈念する。


七時過ぎに、さまざまな世帯道具をぶら下げて、駄馬がやってきた。
われわれも、持てるだけのものを、持って行くことにした。
雨あられの流弾だったが、駄載も行軍も卸下も無事に、万事まことに目出度し目出度しであった。


さてもとの陣地に来てみると、さんざんに荒されている。
自分たちの壕など、便所に使われていた。
車輪の位置をかえて、架尾の大移動にそなえる。
危険をおかしながらの、相当な工事だった。


九時四十五分。
第一回射撃開始。
目標は三家村の左側方陣地。

十時十五分、射撃中止。
そこでまた、壕の修理。

今日はぼんやりと霞んだ天気で、秋とは思えぬうららかさだ。
中隊長殿が来られたので、自分の分隊に両小隊長・小林曹長・各分隊長等が集まり、戦況を聞いたり、雑談を交えたり、私物ニュースを出し合って呵々大笑したりした。

やがて昼食になったが、おかずは皆無である。


十五時十分、第二回目射撃開始。
相当撃ったが、その効果、敵情等不明。
空がどんより曇ってきたので、みんな雨の心配をしている。

十一月も間近いのに、日中のむし暑さは、まるで六月頃のようである。
蠅の数もへっていない。
日暮れとともに、蚊の大軍も襲来する。

今日は思いがけなく、妻からの第一信がきた。
昨日は人違いでガッカリさせられただけに、今日のよろこびはひとしおだった。
これが戦地で手にする最初の手紙であり、それがはからずも妻からだったのである。
喜びを包みながらも、うれしくなつかしくて、こころは宙に浮いていた。

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