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陣中に生きる—7

二、入隊
昭和十二年 九月十一日

充員招集の為独立山砲兵第一聯隊に応召 
同日山砲兵第十九聯隊第五中隊に編入


九月十一日 曇り ①

― めぐりあい ―

二十二時二十六分長野発の列車が動いた。
見ると、応召兵とその見送りらしい人々で超満員である。
入口はおろか、連結部までも、文字通りのすし詰めである。

この汽車に乗らなければ、入隊時間に間にあわない。
それなのに、どの入口に行っても、どうしても明けてくれない。
<なんと殺生な!>と歯ぎしりした。
だが実のところ、明けようにも明けられないのだ。
ホトホト弱った。

しかし、途方にくれてることは許されない。
必死になって、なおも前へ後へと走りまわる。
その時、歩兵中佐が二等車(当時は一、二、三等車の区別があった)に乗ろうとしているのを見た。
<好機逸すべからず>と頭にひらめく。

強引にその後について、ついに乗り込む。
息せきながら、「ああやれやれ!」を連発する。
連結部に腰をおろしていると、尻を噛み切ろうとするような、厄介者でも振りおとそうとするような、ひどい揺れ方である。
とにも角にも、超満員列車は懸命に走りつづけた。


未明にの駅におり立つ。
幾多の、苦しい思い出にみちたところだ。
それはともかく、予定通りにつけたのでホッとする。
今津出発の時は、多くの人々の熱狂的見送りをうけた。

つい昂奮もしたし緊張もした。
たえず、軍人らしくと意識もしていた。
それが一夜明けて今朝になると、環境がガラリと変った。

北陸の秋は、身にしみるようにさびしかった。
軍都高田を右往左往している群衆は、見知らぬ顔々ばかりである。
ことばも服装もちがっていた。
それにここまで来ると、営門までは一粁ほどだ。

入隊時間が刻々に迫っている。
その時間がきて営門をくぐれば、軍律きびしい別世界となる。
その世界に入れば、日々の生活様式も、人間そのものも、まるで異質のものになってしまう。

命すらも、自分のものではなくなる。
国家国民のためとはいえ、当人にとってはやはり重大には相違なかった。
平々凡々たる人間が、たちまちにして生まれ変わったように、超越できるものではなかった。

そこでこの限りないやるせなさが、誰ということもなく、人恋うる心理となった。
おそらくこの時ほど、人恋うるこころの熾烈になることはあるまい。
誰でもいいから、ちょっとでも知った人に、ヒョッコリ出会ってみたいものと、切に思うのである。

上海事変に応召のときは、奇跡的に義兄に出会うことができた。
こんどもその時のように、誰かに会いたくて探しまわった。
が、奇跡は期待通りにはならなかった。
明けそめた異郷の空をあおいで、ひとしおさびしさを感じた。
人間くさい人間になっていた。


散髪をしなければならない。
ここに来るまでは、そのひまを見えだせなかったのである。
駅から街にでて、あちこちと探しまわった。
街はまだ眠っていた。

だからといって、長髪で入隊するわけにはいかない。
街の人を見つけた。
頼みこんで、近所の散髪屋をおこしてもらった。
女理髪師だが、まだ覚めやらぬ顔つきで、ひどく不機嫌である。

でも、まことに無造作に、丸坊主にしてくれた。
その頭を、自分の手で、ツルリとなでてみた。
その瞬間、別人になったように感ずる。
<これで兵隊になれる>といった実感がわいてきた。

ヒンヤリとする朝の冷気を感じながら、高田の駅に引き返す。
やるせない思いだけで、別に、当があったわけではない。
まず、弟へはがきを書く。

弟は西宮市甲風園に住んでいた。
肉親で近くにおったのは、この弟だけであった。
その弟にも、出発があまりにも急だったので、会えなかったのである。


つぎには、駅の伝言板を見にいく。
前回応召のとき、当もなくこの伝言板を見たことによって、はるばるやって来てくれた義兄にめぐり合うことができた。
その時の大きなよろこびと感激とに、たち切れぬ執着をもっていたからである。

前にもあったから今度もと思うことは、さもしくもあり愚かしくもある。
こんな自分を自嘲しながらも、やはり見ずにはおれなかった。
こんな時の異常な心理とでもいうか、どんな些事にも期待をかけ、どんな期待をも粗末にはできなかった。

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