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NASAの歴史2:アポロ計画

アルテミス計画打ち上げ延期を受けて、繋ぎでNASAの歴史を書いてます。

今回は、人類最大の偉業ともいわれる「アポロ計画」です。
前回のあらすじを書くと、当時ソ連との覇権争いの結果、ついにケネディ大統領が1960年代末までに、人類が月に着陸させる宣言をします。

そこまで計画的な宣言ではなかったようで、当時NASA職員数700名だったのが、2年後には3倍にあたる2千名に急激に膨らみます。
ベンチャー企業にたとえると、想定外の大規模資金調達に成功して、一気にヒトを増やしたイメージですね。

技術的な方式でもやや切迫感を感じます。当初は複数回ロケットを打ち上げて宇宙船を組み立てる案もありましたが、それでは期限に間に合わないということで(論争があったそうですが、当時のNASA長官ウェッブが政治力で抑え込みます)、一回の打ち上げで月周回軌道に乗り、その状態で宇宙船の一部を分離して月面上を往復させる方式を採用します。

意外に知られてませんが、アポロ計画以前より有人宇宙飛行計画は粛々と進められており、時系列で書くと上記宣言前に「マーキュリー計画」(地球周回軌道を実現)、宣言直後に「ジェミニ計画」(宇宙遊泳を実現)が始動しています。
結果としては、月に到着するアポロ計画への助走的な意味合いを持つことになります。

心臓部にあたるロケット開発は、初の衛星打ち上げにも貢献したファン・ブラウン氏がそのまま担っており(前回書きましたが戦時ドイツでロケット開発のリーダー)、アポロ計画でも「サターン」と呼ぶロケット開発をリードします。以下が、歴史上初めて報道陣に公開されたロケットの全体像です。

出所:パブリック・ドメイン File:Saturn V diagram from Apollo 6 Press Kit.jpg


大まかにいえば、NASA(責任者はホームズ氏)が理論的な方針を決めて、ブラウン氏が理論と現実を補正(またはしぶしぶ従う)し、実作業は宇宙船も含めて民間が担うというイメージです。主に下記の企業群協働の下で進めています。

 ロケット部:ボーイング、ノースアメリカン航空、ダグラス・エアクラフト、ロケットダイン

 宇宙船部:ノースアメリカン航空・グラマン

以下に、飛行士が乗る宇宙船の全体像を載せておきます。

出所:パブリック・ドメイン File:Apollo Spacecraft diagram.jpg

ちなみに、比較的順風満帆なイメージがあるアポロ計画で、死亡事故が起こっていたのをご存じでしょうか?

宇宙空間では死亡事故はゼロ(これは他国比較ですごいこと)ですが、実はアポロ1号の地上テストで3名が亡くなる事故がありました。

1967年に、宇宙船内部で火災が発生し、脱出できないまま窒息死するという痛ましい事故が起こりました。内部の電線摩耗によって火花が生じ、また内部が酸素だけ、つまり可燃しやすい環境であったことが原因だったそうです。
事故自体は悲しいことですが、その反省で設計を練り直しことも、後続の成功につながったとも言えます。

そしてついに、ケネディ宣言の最終年にあたる1969年7月16日にアポロ11号が打ち上げられ、4日後の7月20日に月面着陸に成功します。

おそらく、その時の宇宙飛行士は?と聞くと、人類で初めて月に足跡を残した「ニール・アームストロング」船長が圧倒的に認知度があり、次に二番目に降り立った「バズ・オルドリン」氏だと思います。

上記の方式で説明した通り、彼らが降り立った間も、月軌道上にある司令船で彼らの帰りを待っていた第三の男「マイケル・コリンズ」もいました。

出所:NASA(左から順に、船長のニール・アームストロング氏、司令船パイロットのマイケル・コリンズ氏、月着陸船パイロットのバズ・オルドリン氏)

コリンズ氏は2021年に90歳で亡くなり、一部メディアでも取り上げられています。

今まで先を越されていたライバルソ連も、無人探査機による月面サンプル採取で史上初を狙っていたようですが、直陸に失敗しました。

次の12号も無事着陸&帰還することで、当時NASAの威信は最大限に高まった時期かもしれません。

ところが、次の13号でピンチを迎えます。

月に向かう途中で酸素タンクが爆発するという想定外の事態に直面します。

地球の管制側は月への着陸を断念し、地球への帰還計画をわずか数時間の間で練り直します。すべて想定外の出来事です。
じつは酸素に加え電力不足の問題もおこっており、文字通り一刻の猶予もない状態でした。
そのためまず飛行士は、電源を停止して月着陸船に避難することを余儀なくされます。(海の船でいう救命ボートの役割を担うことに)

但し、着陸船は2日間だけの利用を想定しており、最低でも地球帰還までには4日間を要したことで、飛行士は究極の節電を迫られます。(宇宙は寒く極寒の地を想像ください)
唯一の幸運は、アポロ1号での火災事故で施した漏電問題への対応だったようです。
一連の救出劇は映画にもなるほど話題を呼び、帰還した飛行士とそれを地球上で支えた関係者は、米国で最も名誉があるといわれる大統領自由勲章を授与されています。

そしてその後、最後の月面着陸となる17号(1972年)に至るまで、大きな事故は起きずアポロ計画は終焉を迎えることになります。

11号で月面着陸という目標を達成してからは、NASAは予算制約に苦しんだそうですが、アポロ計画に要した総額は200億ドル以上ともいわれています。あくまで1969年当時の費用で、今の貨幣価値に直すとその5倍はみたほうがいいと思います。つまり、10兆円は軽く超えています。
しかもこれには、ロケット開発費用は含まれておらず、合わせるとその倍の20兆円に及んでいる可能性もあります。

経済面でなく政治的な意図も強いため、この額については何とも評価が難しいですが、少なくとも米国の威信を取り戻したことは事実だと思います。

但し、アポロ11号によって目標を達成した後から、NASAは苦難の時期を迎えることになります。

実はアポロ計画は20号まで当初計画されていたのですが、予算削減でキャンセルとなり、それは他のより「合理的な」計画に回されます。

再利用可能な宇宙船「スペースシャトル」と、長期間の居住を可能にする計画です。

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