カンバン8

《第10回SCCしずおかコピー大賞 独りごと反省会。》 vol.8

課題1 「静岡企業の東京進出を後押しするコピー」
・東京は「静岡」を知らない。

都市を擬人化した。人は、人の話に興味がある。芸能ネタからご近所の夫婦仲まで、にんげんの話が大好きだ。巨額を投じて、ハリウッドでは映画まで作られる。そして、世界中の人がその映画を観る。それくらい、にんげんの習性なのか指向性・嗜好性・志向性・思考性なのか(「しこうせい」と平仮名で書けば、ウルトラミーニングだということに今気づいた!)、大好きなのだ。

このコピーは、そこから生まれた。

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都市はにんげんみたいに他の都市を記憶しない。不動産として都市が存在するのならば、記憶する装置は建物や道路等のインフラ、そして自然環境になる。このうち、自然環境を除いたものは、にんげんの営み、つまり生活において設置され、スクラップ&ビルドによって入れ替えがおこる。中でも文化的価値が高いもの、記録的価値が高いもの、耐久性が高いものは、文化財というにんげんの評価により遺構として残されていく。と思う。

ここの東京は、過去から現在までの時間軸のうち、現在の都市としての東京を表している。その都市東京は、現在の都市「静岡」を知らない。意味深な雰囲気はあったにしても、それ以上のことは何も言っていない。

コトバだけではそこまでの話であっても、そこで終わらなかったからファイナリストに選ばれたのだと思う。そこで終わらなかった最大の理由は、審査員の想像力だ。

審査員のほとんどが、東京を知らない。もちろん、情報としては知っているし、環境や文化も常識の範疇において把握している。不足しているのは、現在進行形の生活における体験と実感だ。

数回読み込むと、この東京には東京人やその生活も含まれてくる。人と都市の全て、つまりは、その地域の人間の全てが東京というコトバに集約されたのだ。擬人化によるコトバの東京は、実体はないけど怪物のような、ジャイアントとして立ちはだかる。

「静岡」は窮屈にカッコされ(強調というより萎縮。スケールの小ささが際立ってますね)、まさに静岡の審査員やこれから東京を目指す挑戦者たちの心境を表す。『俺たちも東京のことは正直よく知らないが、東京は挑戦してくる地方都市の会社や個人のことなんかもっと知らないはずだぜ。』という、新幹線で1時間程度にも関わらず「近くて遠い静岡」の現実が見え隠れしてくる。

「静岡」は東京を目指すが、東京は世界を目指している。
東京にとって静岡は、特にビジネスにおいては(テストマーケティングに利用したとしても)眼中にない。日本一の産業や工業製品が、静岡にあることも同業でもない限り知らないだろう(静岡人も実力を知らないことが多いのですが)。

だからこそ、読後に感じとれるのは、反骨な挑戦する心だ。文字だけでは読めない。表現されてないところを想像力で掘り起こされた挑戦する心は、同じ境遇の人たちの共感を生んだ。

ただし、物足りないのは、読み手の想像力に頼りすぎている点。どこまで頼るのか? この塩梅こそコピーライターの実力の現れではあるのだが、たぶん書かれた本人は、ここまで計算していない。静岡県で行われたコンテストの課題で、その時、そしてSCCが審査した、という偶然の中でここまで残れたと思う。他のコンテストや地域では、まず残れないだろう。

コンテストが面白いのは、偶然できた計算しないコピーにも面白さがあるということ。そこに地域性が出たのなら、それは暮らす人の営みの中に生まれた一つの記録とも言える。このコピーはSCCしずおかコピー大賞が見つめてきた、コトバの可能性を表すコピーの1つだと思うのだ。

※作品の版権・著作権等の使用に関する権利は、静岡コピーライターズクラブに帰属します。
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