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8月6日からのメッセージ。

この数年は、毎年欠かさず聴いているメッセージがある。8月6日は、平和を祈らずにはいられない。それなのに平和は、年々速度を増しながら遠ざかっているように感じられる。

平和宣言は今の時代を写す鏡のように、時間を費やしながら考えられ、選ばれたコトバが使われている。100のコピーを読むよりも、価値のあるコトバなのではないかと個人的には思う。きっと、私たち書き手は、このメッセージから世の中の空気を感じ取ることができるだろう。

発せられたコトバは、あえてコトバにして示さなければならなかったメッセージであり、今おろそかになっている事柄を示すキーワード。令和最初に発せられたメッセージの中から、印象的だったコトバを記録しておきます。

自国第一主義が台頭し

「おかっぱの頭から流るる血しぶきに 妹抱きて母は阿修羅に」

不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、

一人一人が立場や主張の違いを乗り越え、「寛容」の心を持たなければなりません。

原爆や戦争を過去の出来事と捉えず、

為政者

「理性」の発露と対話によって、核軍縮にかじを切った勇気ある先輩がいたこと

核廃絶

誠実交渉義務

出典:「広島市長の平和宣言」2019より
使用されないための世界的な努力を引き起こしました。

彼らの勇気と道義的リーダーシップに、世界は感謝の念に堪えません。

私たちは国際安全環境の悪化を目の当たりにしています。

核保有国間の緊張

もう一度、被爆者が世界中に広めてきた重要なメッセージを思い出さなくてはなりません。

約1万4千発の核兵器が存在し、多くがいつ発射されてもおかしくない態勢にあります。

広島の人々の不屈の精神に動かされ

出典:「国連総長メッセージ」2019より

寛容や理性というコトバが、特に印象に残った。それだけ、不寛容で本能に委ねられた世の中になった、ということなのではないだろうか。

戦争の対局にあるコトバは、平和ではなく対話だと(個人的に)定義している。理性や寛容さを持ちながら、対話を続けていくことが如何に重要か、改めて考えていきたいと思う。


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