趣味のハードル高すぎない?
みなさん趣味ってありますか?
世の中にはなぜか
『趣味はないといけない…』
『無趣味な自分が、なんかイヤ…』
『趣味を見つけたいな…』
と、
趣味を持つことが当然といった
雰囲気があります。
しかし、
趣味って
そんなにもシッカリしていないと
ダメでしょうか?
『趣味の心理的ハードル』
について考えてみました。
■Q1. 『得意』でないとダメ?
得意なことしか
趣味と言ってはいけないのでしょうか?
そもそも
「趣味」という言葉を辞書で調べると…
【趣味:しゅみ】
1.仕事・職業としてでなく、
個人が楽しみとしてしている事柄。
●例↓
「趣味は読書です」
「趣味と実益を兼ねる」
「多趣味」
2.どういうものに
美しさやおもしろさを感じるか
という、
その人の感覚のあり方。
好みの傾向。
●例↓
「趣味の悪い飾り付け」
「少女趣味」
3.物事のもっている味わい。
おもむき。情趣。
●例↓
「さびた眺望 (ながめ) で、また一種の―が有る」
とあります。
●個人個人がそれぞれに感じる美や面白さ
●個人が楽しみとしていること
といったことが
趣味という言葉に込められた
意味です。
こうした事実から考えると
得意であろうがなかろうが
その人が『面白い』と思うのであれば
なんでも趣味になるということですね。
例えば、
●カフェに行く
●散歩する
●掃除や洗濯
こんなことでも
面白い!
積極的にやりたい!
って思えれば、
それは全部趣味ということですね。
『趣味は
得意なことでないと
イケない…』
といった雰囲気は
言われもない
固定概念であるように感じます。
そもそも得意不得意は関係ない。
辞書にだってちゃんと載っている
『趣味』という言葉の意味
から考えても、
『好き』なら
なんでも趣味でいいんです。
■Q2. 『継続』デキないとダメ?
趣味は継続できないと
ダメでしょうか?
前述にあるように
そもそも趣味という言葉には
個人的な感覚のニュアンスしか
含まれません。
ですので、
●今日はじめて明日やめようが
●今日はじめて今後10年間続いていようが
どっちだってOKです。
継続力なんて
どうでもよいです。
一瞬でも
『楽しいな〜』
『やってよかったな〜』
『また暫くしたらやってみよう』
と思えたなら
もうそれだけで
価値がある。
『続けれられない』
ということに
劣等感や虚無感を感じる人がいますが、
その感覚に陥る必要はありません。
そもそも
●じゃあ1週間続いたら趣味なのか?
●じゃあ1年間毎日続けられたら趣味なのか?
こんなもの誰が決められるんでしょうか?
どれだけ継続しても
いつやめても
好きであれば趣味です。
趣味というのは
その一瞬一瞬の
楽しさや美
という心の高鳴りさえあれば
充分です。
■Q3. 『公言』できないとダメ?
趣味は公言することが
当たり前でしょうか?
『人に言えないようなことが趣味で…』
『コレを趣味って言うと、悪く思われそうで…』
ってな感じで
趣味を隠す人もいるでしょう。
私自身もこの気持ちが
わかります。
私は昔からオタク。
特撮ヒーローも
怪獣も
ロボットも
アニメも
大好きです。
しかし、
『世間一般からの
キモオタに対する
風当たりは強いのでは?』
と思い、
なかなか趣味を堂々と言うことが
できない気持ちになるときがありました。
コレは今でも少しあるように
感じます。
とは言いつつ、
趣味というのは
完全なる個人の感覚です。
その人個人が楽しければいいし
気持ちをわざわざシェアする必要は
あるでしょうか?
別に
誰かに言わないとイケない
ようなことだけをしていくのが
人生ではないでしょう。
『みんなから狂気の目で見られるかもな…』
と思っても
別にそれを言う必要性はゼロです。
辞書にある
『趣味』という言葉の意味にも
『公言できることが必須である』
なんて書いていません。
その人個人の感覚なので。
ですから、
自分の趣味は自分のもの
と思って、
趣味はあるけど
周りには言わない
ってのも充分過ぎる趣味です。
■ 『判断基準』は、何?
趣味に対する心理的ハードルは
多くの人にあるように感じます。
しかし、
そんなものが何かの役に立つか?
と聞かれると、
『なにもないですね笑』
としか言えないほど
無駄に感じる
心苦しさですね。
趣味の判断基準なんて
なんでもイイんです。
強いて言うなら…
趣味の基準は
自分だけが知っています。
誰かではない
自分です。
自分の気持ちだけが
判断基準です。
自分に素直に
趣味を楽しみましょう。
別に公言なんて不要ですよ。
『ただの自己満足』大歓迎です。
そもそもこのnoteの記事が
まさに趣味です。
ただ楽しいと感じるから
感じるがままに書いています。
自分が楽しければそれでイイ。
趣味の心理的ハードルは
乗り越えるのではなく、
『無視する』ものです。
という気持ちを吐き出したところで
筆を置きます。
お読みいただきありがとうございました。
ではまた!^_^
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