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『城』小説家 辻邦生の始まり。運命に左右されるリゾート地の夏。

発表年/1961年
短編『城』は、辻邦生作品の中で初めて商業出版誌に掲載されたものです。辻邦生さんはこの小説で「小説を書くというエクスタシーを全身で味わった」とおっしゃっています。そのことは、このあとに書いた『ある晩年』についてのあとがきでも語っておられます。

さらに雑誌『近代文学』を創刊された埴谷雄高氏から、いいものが書けたら「近代文学」に載せてあげる、と言われたことで、辻邦生さんは最初から、

埴谷さんのおかげで、小説を世に送り出す苦労を、私はまったく経験しなかった。

『海峡の霧』 新潮社/Ⅰ人物 「想像力のレアリティ」 より

ということになります。何と羨ましい出発でしょうか・・・




1.フランス滞在から生まれたもの

『城』は、およそ10年にも渡る期間小説が書けなかった辻さんが、フランス滞在の中で

長い方法的彷徨ののち、やっと辿りついた創造の世界の入口のようなもの

『シャルトル幻想』 阿部出版/あとがき より

の中の最初の一作でした。その中には以前書いた『ある告別』のように、ギリシャ旅行で啓示を受けて書かれた作品もあれば、この『城』のようにフランスで数年暮らす中から生まれたものもあります。フランス留学以前から東大でフランス文学を専攻し、卒論のテーマはスタンダールだったそうなので、フランスという国の中で《美》や《芸術》に直接触れることが、小説家辻邦生の誕生には不可欠だったのでしょう。そういう意味で、『城』に溢れるリゾート地ニースの香りがその設定を支えていることは言うまでもありません(ただし、小説の中では舞台がニースとは一言も語られていません)。


キャッスルヒルから見たニース/~[Unsplash]~の~[Arno Smit]~が撮影した写真


2.映画的カメラワーク

テラスから見えるその丘は、海に向ってのびていた。丘の上に、遠く、褐色の城が見え、その頃⎯⎯私たちがその町に着いて間もない夏のはじめの強い日ざしのなかでは、それは褐色というより、青く霞んで、ほとんど、空をかぎる丘の背に、影のようになって望まれた。朝のうち、ずっと日の当るテラスは、私が机を持ちだす十時ごろには、すでに日かげになって、私は、午前の静かな時間を、海から吹く微風を感じながら本を読んだり、私の仲間が出している同人雑誌に載せるはずの小説を書いたりして、すごした。

『城』 新潮文庫/「サラマンカの手帖から」より

最近では序奏もなくいきなり本題に入るのが人気なのかもしれませんが、やはりこういった導入部はゆっくりと物語に導いてくれる実感があります。さらに、舞台となっているのは遠景の丘に古城を望む海辺のリゾート地で夏のあいだだけのことだけれど、パラソルが並ぶビーチや海岸沿いの、カフェやホテルが並ぶプロムナード、プロムナードを通るパレードや楽隊、浮かれ騒ぐ観光客、その群衆の中に紛れる「私」たちといった描写が、1950年代頃のヨーロッパ映画を彷彿とさせる趣があります。ごく短い作品ですが、こんなところにも読者を満足させてくれる味わいがあると僕はおもうのです。


3.『城』と言って思い出すのは・・・

物語の登場人物は以下の通りです。

・主人公の「私」。オープニングにある通り、同人雑誌に小説を書こうとしている
「私」の妻。妻も何らかの論文を仕上げるために、午前中のほとんどをタイプライターに費やしている
・夏の間「私」たちが下宿している家の一人娘で未亡人のアンヌとその小さい娘ジュリエット
・アンヌの親のルグラン爺さんとシモヌの夫婦
・「私」をアンヌの家に紹介してくれた学生のフィリップ
・フィリップとただならぬ関係のベアトリス

「私」はずっと小説が書けずに鬱々としていて、あるとき、遠景に見える城に行くことができたら書けるようになるんじゃないかと思います。「私」が城に行くことを告げると妻もアンヌも同行したいというのですが、フィリップがパリにいて大学図書館が開いているうちは来ないので、彼が来てから行くことにしました。けれど予期せぬことが次々に起こり、結局城に行くことができないまま夏が終わってしまうのです。

『城』というタイトルで、どうしてもそこに行くことができないということから思い浮かべるのは、有名なカフカの『城』。もちろん設定もテーマも全く違いますが、それがあって僕はレビューを書くのをややためらっていました。

もう一つ、どうしても目的に至ることができない、ということで思い出すのは、カズオ・イシグロ氏の『充たされざる者』でしょうか。

いずれの作品もその不条理が、読者に苛立たしさを覚えさせるのですが、辻版『城』では城に行くことができないというのは<「私」の>エピソードに過ぎません。それは「私」の運命であり、小説が書けないことを城に行けないことに仮託しているだけなのです。
そして「城に行けない理由」のひとつとして絡んでくるのがフィリップのエピソードです。フィリップとアンヌ、フィリップとベアトリス、そこにエピソードが生まれ、これによって物語が物語として成立していると言えるでしょう。その二つのエピソードをフランスの夏のリゾート地という舞台が包み込み、ドラマとしてまとめ上げているのです。


4.そして僕がおもうこと

最初にご紹介したように、『城』は辻邦生さんが長い呻吟の果てにやっと辿り着いた小説です。辻邦生さんの奥様は美術史家で名古屋大学やお茶の水女子大の教授も歴任された方でした。なので、『城』のモデルは辻邦生さんご本人で、妻も奥様でしょう。小説が書けないことを城に行けないことに仮託したのはまさに、フランスにいたからこそだとおもいます。その意味では、小説自体に大きなテーマ性はないかもしれません。けれど、この小説にどんな意味があるかと考えることそれ自体、既に意味のないことだと僕はおもうのです。フランスでのひと夏の出来事として雰囲気を味わうことのできる、『城』はそんな小説だと僕はおもいます。




【今回のことば】

おそらく女たちは到達しないという状態のなかで自分をたもっていられるのかもしれない。男はそうはゆかない。男たちは到達することに使命を見出すであろうし、到達できないときはそれを別なものに変えなければならない。しかし実際に到達できないものがこの世にあって、それを見ないわけにゆかないとしたら、男たちはどうなるのか? 結局、女たちに支えられるほかないのかもしれない。

『城』 新潮文庫/「サラマンカの手帖から」より




『城』収録作品
・新潮文庫「サラマンカの手帖から」1975年

・講談社文芸文庫「城、ある告別 辻邦生初期短編集」2003年

・新潮社「辻邦生全集2 異国から/城・夜/北の岬」2004年




タイトル画像はこちらを使用
~Unsplash~の~Chris Münch~が撮影した写真

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