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『詩』祭囃子 〜稲穂の上に神さまが 胡座をかいていらっしゃる〜

こうべを垂れた稲穂の上にひとりずつ 神さまが
胡座をかいていらっしゃる 田圃の畦を
大太鼓やらしめ太鼓やら
弦やらかねやら篠笛やらの
水干姿のお囃子が 一列に
舞を舞いながら並んでゆく 新鮮な
青空のあおに染まりながら 袂から
あおを水飴のように滴らせながら


上下に揺れる稲穂の上で 神さまが
無邪気に手拍子を打って笑う ざわざわと
稲穂が波打ってゆくように
子どものように神さまが笑う 波の上で
そうして鎮守の森が島になる
弁財船べんざいせんが白帆を立てて 
稲穂の波に浮き上がる
勇んで神さまたちが乗り込んでゆく


宵闇がゆっくり降りてくると 御神燈が
鎮守の森に灯るだろう 弁財船をいざなうように
木々のあいだに灯るだろう
祭囃子の水干の 袂が揺れて
青が宵闇に飛び散るだろう
弁財船のそのあとを 賑やかに
鬼やら獅子やら狐やらが
子どもの遠足のように群れてゆく
祈りやら 願い事やら 謝礼やら
思いを積んだ和船を曳いて


あたかも道祖神のように道端に
御霊みたまは置き去られてはいないだろうか 縁日の
アセチレンランプの仄灯ほのあかりに
道を迷ったりしないだろうか?
篠笛 鉦に締太鼓 水干姿の袂から
闇に交わる青空のあお
煙幕のように広がって 祭囃子が
次第に遠ざかってゆく
弁財船の帆影とともに


秋が
深まる




生まれ育った町は漁師町だったので、秋には船祭りがありました。秦河勝はたのかわかつを祀るという、曰くありげな神社があって、その神社から湾内にある島に神輿を渡すという祭りです。

僕が子どもの頃は堤防に篝火を焚いて、夜になってから島から帰ってくるという形だったけれど、時代と共に祭りの姿も様変わりしているようですね。

今住んでいるところは昔から交通の要衝で、いわゆる町としてひとつの纏まりがある、といった感じではなかったようで、祭りといっても火伏せの神をお祀りする神社のために祈りの花火を打ち上げて、あとは縁日が出るくらい。神輿を担ぐといったような、華やかなことは何もありません。その代わり、数年前からフェスティバルが盛んになってきました。

それこそ唱歌の「村祭り」のような、小さな村や町ごとのお祭りなんていうのは、急速に姿を消していっているのかもしれないですね。それに代わって、イベント会社が関わるような華やかなイベントが開催される。人口減少もあって自治体単体ではできないことを、企業などがスポンサーになって行うようになる、そんな形が今後も主流になってゆくのでしょう。ちょっと寂しい気もするけれど、祭りが何を意味し、何に支えられてきたのかを考えると、それも仕方のないことなのでしょうね。

なお、僕が生まれ育った地については、こちらの記事に詳しく紹介されています。

タケチヒロミさん、懐かしく拝見させていただきました。ありがとうございます!

*弁財船はいわゆる帆掛船。大型のものは千石船といって、江戸から明治にかけて瀬戸内海での海運に活躍したそうです。詳しくはこちらをどうぞ。




今回もお読みいただきありがとうございます。
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