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【自己分析】小学校時代の振り返り

小学校が世界の全てだと思っていた。
小学校での生活が上手くいっていない=「世界の終焉」と思っていた。
実際のところ上手くはいっていなかった。
小学校5年から6年の卒業するまでは特に。
栄光とうんことの板挟みになっていた。(詳細は後述)
結局、世界は終焉しなかった。

学校が世界の全てだと思っていた小学校時代を
3つの見出しにして振り返る。
それぞれの見出しの経験を踏まえアクションプランを提案する。

生き方の参考になれたら嬉しい。
特に現在、小学生や学生の方、親に。

①金魚の糞みたく、ヒエラルキー上位の集団に追従していた小学校1~2年
②或る同級生をいじめた醜悪な小学校3~4年
③栄光とうんことの板挟みになり、孤独感も経験した小学校5~6年

①金魚の糞みたく、ヒエラルキー上位の集団に追従していた小学校1~2年

片道2キロの通学路を6年間歩いて通った。
出校時は(出勤(社会人でいうところの))集団登校で通った。
よく通ってたなと率直に思う。
授業によってはとても重くなるランドセルを背負って。
冬は山陰地方の厳しい雪風を眼前に受けつつ苦心しながら帰った事もある。大雨の日に小便を漏らしながら誤魔化して出校した事も。
出校や帰り路がもう重労働。
ただマラソン大会では上位だった。
長距離歩行が習慣化されていた影響だろう。

算数セットのケースがあった。
入学式時、教室で支給された。
その一部をなくしてとても狼狽した。
「嗚呼、なくした一部が授業で必須だったらどうしよう?」
迷盲を抱いていた。

道路の真ん中に石を置くような悪ガキ集団とつるんでいた。
運転者からしたら迷惑極まりない。
案の定、クラスの帰りの会で担任にこっぴどく叱られた。

その集団から見放されたら世界の終わりだと思ってしまっていた。
だから金魚の糞みたく追従していた。
とても臆病だった。
実は1年とか2年でもそういう悪ガキ集団はいるわけで。
大人からしたら子供かわいいかもしれないけど、当事者からしたらそうでもなかったと思う。
あるいは潰れたスーパーの解体前の薄暗い店舗に侵入した事もある。
金魚の糞のように追従しながらも、メンバーの一人に嫌悪感を抱いていた。
そしてその一人を小学3年から4年に渡り陰湿にいじめる事になる。

【提案】小学1~2年時のアクションプラン

・関わる人間は自分で選ぼう。
・関わる人間が自分の人格に大きな影響を及ぼす。
・関わっている理由を言語化しよう。
・関わっている理由に納得がいかないなら、
 その人からはフェイドアウトしよう。
・言語化が難しかったら相談できる人と一緒に言語化しよう。
・言語化してアクションプランを立て、行動しよう。
・親は子供に価値観を押し付けるな、言語化、文章化の相談にのろう。


②或る同級生をいじめた醜悪な小学校3~4年

活発で臆病で醜悪で狡猾な小学校3〜4年を過ごした。
今ではとても考えられないほどに。
運動会では、ハチマキをつけた頭にうちわを挿しまくって
リレー選手を全力で応援した。
なんかちょっと恥ずかしかった。

ところで前述したように、嫌悪感を抱いていた。
道路の真ん中に石を置くような同級生に。
そいつ(以下N)と関わる自分自身にも。

Nとは3〜4年も同じクラスとなった。
3年になりクラスが変わり関わる人間も変わった。
Nをいじめた。
例えば、校庭で遊ぶドッジボールやキックベースに参加させなかったり、
習字の筆を捨てたり。
なんとも醜悪な事をやっていた。
N自身1〜2年時、誰かに嫌がらせするような人間であり、
私はやり返してやろうと思ってしまっていた。
Nをいじめたツケは返ってきた。
5年になる前の春休み、仲良かった集団に突然絶交された。
別の集団と仲良かった集団の家に遊びに行った際、立て篭もりをされた。
私と遊びたくなかったからだろう。
玄関の門を開けられると、絶交を告げられた。
とても重苦しい雰囲気だった。
絶交理由の1つにNをいじめていたからというのもあるだろう。
そうやって調子に乗りまくった3〜4年は終わった。

【提案】小学3~4年時のアクションプラン

・「課題は何か?」を言語化する。
・いじめが発生しているなら、人間関係を切り離し速攻で解決させる。(クラスを変更する、加害者を停学にする)いじめを放置すると加害者は増長し、別の人間も被害にあう。周りの雰囲気も悪くなるばかりだ。
・親も子供も悪口を言うな。(暇人のやる事。悪口を言う人間と関わってはいけない。)
・過去に人をいじめたなら直接、被害者に誠心誠意謝罪すべき。直接の謝罪を断られたなら手紙を書いて送り謝罪の気持ちを伝える。被害者が関わってくれる事は一切期待できない。そもそも人をいじめるな。

③栄光とうんことの板挟みになり、孤独感も経験した小学校5~6年

絶交されてからのスタートになった。(5年になる前の春休みに(先述))
とても絶望的なスタートになった。
なんせ学校が世界の全てだったのだから。
「絶交されるなんて、現場に居合わせた同級生以外が知ったら終わりだ。」
そんな風に思っていた。

クラス替えがあっても人間関係は変わらなかった。
むしろ悪化した。
そして孤立していく。
相変わらずNとは同じクラスになった。
突撃した家の同級生(以下M)とも同じクラスになった。
NとMともに小学校6年間同じクラスという事で。
最終的にNとM両方関わるべき人間ではなかったな、と今は思う。
ひたすらに気まずかった。

Mはしきりに嫌がらせをしてきた。
まあこれは因果応報だろう。
私が3〜4年時にNをいじめた事が私に返ってきたという事だ。

Mの陰口ばかりでなく、近所の同級生(以下MN)も厄介な存在だった。
当時、5年生の私は母親と一緒に寝ていた。
それをクラスにばら撒かれた。
私は同時それがとても嫌だった。
MNが私を陥れるためにばら撒いているように強く思えた。
(お母さんと一緒に寝ている=マザコン=ダサい)
そういう風に思われたくなかった。
何をしてもうまくいってる感覚はなかったな。
ただ「不登校をやろう」という選択肢は思い浮かばなかった。
学校に行かなくなる=世界の終わりだと思っていたからね。

そして夏休みの8月から将棋を始めた。
将棋では無双した。
別の記事で書く。(予定)
外食が増えた影響と学校生活から受ける強いストレスからか臭くなった。
具体的には学校でうんこを漏らしたり、
放ったおならが強烈に臭かったりした。
クラスの人間に多大な迷惑をかけたというのに、
臭いを解決しにいかなかったのは私の臆病さゆえだろう。

例)臭いの解決法
・病院に行く。
・登校拒否をし精神的安全性を保てるコミュニティで過ごす。
・関わりたくない人間と関わらない事で精神を回復させる。

そんなこんなで小学校生活は終わった。
スピッツの「空も飛べるはず」が卒業式の歌だった。
いじめる側もいじめられる側も経験した。
卒業式では式後の最後のホームルールからありえないほど泣いた。
担任に守ってもらっていたと思っていたからだ。
在校生に見送られるロードでも泣き続けた。


【提案】小学5~6年時のアクションプラン

・学校は世界の全てじゃない。
・登校拒否でもいいじゃん。周りの人間と合わなかっただけ。
・中学校に入るとまた人間関係が変わる。
・全ての悩みの根源は人間関係にある。
・自分が夢中になって楽しいと思える事に貴賎はない。全力でやればいい。※ただし他人に害をなすな。

まとめ

これで伝わったのだろうか?(笑)

ちなみに現在の私のパーソナリティは
「とても慎重で相変わらず臆病な人間」だと思う。
ただし、他人の悪口を言うことはない。
関わりたくないと思う人間とは関わらないようにしている。
だから現在ぼっちなのかもしれないが。

小学生の方々、ぼっちでも気にすんな。
単に今いるコミュニティが合わないだけだ。
そのコミュニティは永遠じゃない。
嫌なら速攻で逃げ出せばいい。
自分の熱中できることに時間を投下すれば良いと思うよ。

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