子供らしい感性に欠けている
上のタイトルは小学五年生の時の私の通知表に記されていた言葉だ。「素直で明るい」とか「係の仕事を頑張っている」とか当たり障りのない言葉が並んでいたこれまでの通知表の中で、その評価は今でも忘れられない言葉として心の奥に残っている。
そもそも子供らしい感性とはなんぞや。
この評価をもらう前に、クラスである出来事があった。
先生が今までとは違う方法で班作りをするという。それは数名の班長が順番にクラスの友達を指名して、自分の班をつくるというものだった。
そのとき私は班長だったので、仲良しの友達を指名できることでうきうきしていた。クラスの人数が均等に割れない中でこんな班の作り方をすれば、当然指名されずに残る子供が出てくるだろうとはあの当時気づくこともなく...。
次々に指名されて班ができていく中、だんだん残された子供達に不安と緊張の表情が浮かんでいく。名前を呼ばれてホッと笑顔になる子供達と対照的に。
結果的には三人の子供達が残ってしまった。その三人は先生に呼ばれると黒板前に立たされ、うつむいている。
「どうして指名されなかったかわかる?」
先生のため息混じりの言葉に、教室は水を打ったように静まり返り、小さく答える男の子の声だけがわずかに聞こえてくる。
「みんなに迷惑をかけてるから...だと思います..」
いつものやんちゃな男の子の顔はそこには無かった。
いたたまれないあの日の光景は、誰にも話すことなく大人になった今でも時折よみがえる。
三人のうちの一人が「ごっちゃん」だった。足がとびきり早くて、いつも面白いことを言ってはみんなを笑わせる。時には授業中にもそれが及ぶことがあったので先生にとっては扱いにくい子供だったのかもしれない。
ごっちゃんは昼休みにみんなで遊んでいても、けっして女の子を的にすることは無かった。鬼ごっこで追いつかれても「はよ逃げろ」と呟いてすごいスピードで男の子達を追っていく。ドッジボールでも弱い子に強い球を当てることはしなかった。目を見張るような豪速球の持ち主なのに。
男子の中でも一目置かれていたはずのごっちゃんが残ったのは意外だったし、いつも遊びの時に見逃してくれるごっちゃんが好きだったので「どこか入れてくれる班ある?」と言う先生の呼びかけに、自分の班に入ってもらうよう手をあげた。
「本当にいいの?○○くんを入れても。ほら、○○くん、お礼を言わないと。迷惑かけないようにね。」
あの日も今も思う。なんと残酷な言葉だったろうと。
ごっちゃんはうなだれたまま小さな声で「ありがとう」と呟いた...
私はあの時に戻れるならそんな言葉にうなずいたことをごっちゃんに謝りたい。そしてごっちゃんのこと大好きだよと伝えたい。
その後、ごっちゃんはすっかりおとなしくなった。笑っていても、前のような天真爛漫な笑顔ではなく、どこか冷めたような表情を浮かべる...気がした。
「○○くんがいて大変でしょ。何かあったら言いなさいね」班長達が呼び出された職員室での先生の言葉に「大変じゃないです。○○くん、優しいし..」
先生は私をちらりと見て「へぇ、そう」と言ってテストの採点に目を戻した。
そしてその学期末にもらったのがあの評価だった。
「子供らしい感性に欠けている」
子供ゆえに先生に意味を問うこともできなかったこの言葉こそが、私から子供らしさをいくぶん奪っていったようだ。
子供らしい感性というものがどういうものなのか、私には今でもよくわからない。でもきっとそれは大人が思うより柔らかく敏感で、脆い。周囲の大人達の思いやりや温かさに守られることでかろうじて失わずにいられるものなのかもしれない。
卒業以来会っていないごっちゃんはもうあの日のことを忘れているだろうか。そうだったらいいなと思う。