2月サムネ

子宮筋腫と卵巣嚢腫を取ってきた 番外編 Another Episode.6~子宮温存を決めた理由~

!お願い!
コレを読む前に、少しだけご注意いただきたいこと。
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この回は、私が「子宮を温存する」と決めたときの事を書いていこうと思っています。
今までもそうですが私が書くものは、皆さんにこうしてもらいたい、というわけではありませんし、この回で紹介する本も私の考え方も全てでもありません。
私が考えに考え抜いた結果「子宮を温存したい」とY先生に伝えるにいたった私の考えを書き出していくのであって、読まれる方に私の考えを押し付けるものではありません。
また、ここに書かれている医師の言葉も、主治医である一人の人の考えであることもお伝えしておきます。
私の事情や考え方ということであることに留意して読んでください。
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サムネは戴き物のミカンを絞って作った、みかんゼリー(*˘︶˘*).。.:*♡


Y先生は6月も7月も私に「この歳の女性の子宮を取りたくない」と最初から言っておられた。
(参考:子宮筋腫と卵巣嚢腫を取ってきた 第4話~2019年6月、診断結果と治療方針~
(参考:子宮筋腫と卵巣嚢腫を取ってきた 第5話~2019年7月、注射開始~
以前Y先生に、手術をしなかったらどうなっていたかを聞いたことがある。
その時の先生の回答は、こうだった。

あの大きさで手術しないって選択はないよ。手術しなかったら、筋腫が大きくなりすぎて筋腫から大量出血しちゃうこともあって、そうなったら緊急で手術しないと駄目だから、子宮を温存するとかそういう判断をJUNさんが出来ないまま、子宮をとっちゃわないといけなかったよ。それに今まで生理中の下痢がある時点で消化管に影響がでてるから、もっと腸や胃を圧迫することになったと思うよ」

つまり、どうなるか分かるよね?っていう言葉の端々から感じる怖さがあった。
今でこそストレスで参ってしまってる中でも、私が声を大にして言えることは一つ。

子宮を温存したことに後悔は一切ない。


この事を踏まえて、今日は書き進めたいと思う。
私が子宮を温存すると決めた経緯の中で、一番大きな理由が「後悔したくなかった」
先生は「子宮を取りたくない」と常々おっしゃっていたので、先生の意思としても私に後悔してほしくなかったというのもあると思う。以前に「後悔してない」ことを伝えたとき、先生は照れくさそうに笑ってくださったから、コレで良かったと今でも思えている。
その分先生が大変な手術を施行してくれたというのもあるけど、それ以上に私は後悔せずに済んでいる。
今どんなに大変でも、私は後悔をする選択をしたくなかった。

もし悪性腫瘍であったなら、今は別の治療がなされているだろうし、別の先生に出会っていたと思う。それに、そうなった場合に別の苦労が待っていたとしても、今この選択を選べたことは私の人生の選択の一つで、後悔はない。

きっと、子宮がなくなっていたら私は今まさに後悔していたと思う。後悔して、その後悔を全部仕事にぶつけて、体のことを無視していたと思う。イタいもツライも言わずにそっと死んでいたかもしれない。
今考えるとそれくらい大きな後悔をしていたと思うから、子宮を取るということは私にとっては「生きるため」の選択ではなかったのだと、改めて思っている。


さて、私が「子宮を温存する」という決断に至った結論は・・・
「自分のために自分が後悔しないために、自分のための人生を考えていいじゃないか」
何をアタリマエのことをと感じられるかもしれないが、こういう結論に至る経緯として、いくつかのポイントがある。

① 母の言葉
② 友人の言葉
③ 「がん外科医の本音」という書籍


ポイント①

今、私の目の前に『後悔する / しない』って選択肢があったら、迷わず『後悔しない』選択肢を選び取れたと思う。
でもその時の私は注射の副作用もあって、かなり情緒不安定で何を考えるにもマイナス思考しかなかった

大阪に住む母に手術になる旨の報告をした折に「ほんまにその筋腫は手術の必要あんの?ピル飲んでたらきづかいない(大丈夫、という意味)やん。お医者さんがそんなすぐに手術って言うのけったい(変、という意味)やわ。お母さんの友達みな、それくらいの大きさの筋腫なんて持っとったけど、子どもかて産んだし、子供の頭くらいの大きさの筋腫も閉経して小さなったんやで。そんな大きさくらいの筋腫で手術なんてエライ大袈裟や。ピル飲めばどうにかできんねんから、手術することあらへんわ。そないもっぺん先生と話といで」と関西弁でまくしたてられるように言われ、その言葉も私を不安定にさせた要因の一つになったと思う。当然私も反論した。
「もううちのお腹、今妊婦さんみたいに張って生理の量も変になって、仕事してくのもシンドいねん。先生が最初から手術のこと言わはったし、ピル飲んでどないかなるって言わんかった。せやから、私は先生のこと信じるし、先生と話ししてからどないするか決めるよ」

(こう反論したものの内心はこう)
私は閉経まであと何十年もあるのにこの大きさの筋腫を持って生きろと?服のサイズも変わってしまい、下腹部が張って苦しいと感じながら過ごしてる私にまだ我慢しろと?
そんなのは御免被りたい。
けれど、そこから私は悩むようになった。


ポイント②

10年来の友人に、子宮筋腫の手術をすることになり「全摘出」or「子宮温存」で迷っていることを素直に打ち明けた。
本来話すべきは相方であろうと思うけど、相方は一貫して「自分ならそんな爆弾抱えてたくないから全部とっちゃうけど、JUNの決めたことを応援する。それでY先生とはなして、OKもらったらいいと思う」
相方は、子宮筋腫の再発やがんになるリスクを恐れていたのだろうと思う。ただ、一貫していてそれ以上でもそれ以下でもなかったようなので、友人の意見を素直に聞いてみたかった。
そのうえで、いくらか事情を話したあとに返ってきた友人の言葉は、一つのポイントになった。

「本人生きてこその人生。後悔だろうと生きていないとできないよ」
「だからこそ生きることを諦めないで、後のことはそこから」

この言葉を仕事帰りのバスに乗りながら読んで、本当に良い友人に巡り会えたなぁと感じていた。
自分で決めるために人の後押しをもらうのって、悪いことだという人もいるだろう。
それって結局自分で決められてないじゃんって言う人もいると思う。

友人と話をした私が決断した結果が「子宮全摘出」であったとしても、それがその時の私が「生きるため」であるのかもしれない。
じゃあ、結局私はどうしたいんだろう「生きるため、後悔しないため」ってなんだろうと考えるようになった。


ポイント③

7月の連休中に「がん外科医の本音」という書籍を読んだ。

がん外科の専門医からの視点の本で、普段外来や病室で伝えられない医師の本音がびっしりと書き記されている。
この本を読み進めていくうちに、私は「自分のために子宮全摘出をする」と思いこんでいただけで、それは自分のための選択ではなかったのだと、ふと気づいた。

私は10年前の化学流産のあとから「自分には子供ができないんだ」と思いこんでいたが、子供が産みたいという気持ちは強かった。
それでもその後の事情から、私は「"旦那のために"子供を産みたいと思ってはいけない」「"旦那のために"子宮を取ってしまったほうが良いんだ」というのを勝手に『自分のため』と書き換えて思い込んでいた。
要するに、自分の意志なんてそこにはなかった。
自分がどうであろうと「旦那がこう言うから」「また旦那を困らせるから」と必ずその言葉を頭において「子宮がないほうが"旦那のため"」と結論づけていた

そこには「生きるために」という気持ちを全部取り去っていたけれど「生きるために自分で自分のやりたいことを選び取って良い」と考えたら、とても素直に「子宮を残したい」ということを選択できた。
だから友人の言葉も反芻し「後悔しないために」「生きるために」"自分のため"の選択をすることができた。
そもそもこの本は、相方自身が医者とどう付き合っていくかのヒントにと相方が買ったものだそうだ。
相方が読みたかった内容ではなかったらしいが、私は数時間で読み終えた先に「子宮を温存する」という決断があったことに、私は本を読めてよかったと改めて思った。

一節にこんな文章がある。
「がんにかかり、いのちを終えるということは雨降りのように自然なことなのです。」
これは最終章に書かれている一節だが、私はこの一節からしばらく読み進めて涙が滲んできた。
私は、子宮筋腫がすぐに死に直結するような病気ではないとわかっていても、その時まで「旦那のために」という言葉を頭の中でを繰り返していた私にとって、この最終章は何かが変わった瞬間だった。

そしてさらに、著者が受け持っておられた患者さんの言葉にも、非常に感銘を受けた。(※原文ママ)
「がんの治療は辛いけど、私はがんになってよかったと言い切れる。だってがんにならなければじろゆ(私のことをこう呼びました)やいろんな人と出会えなかったし、こんなに人生を考えることもなかったんだから」

この言葉を読んで、「ああ、そうか…。それでいいんだ」って思い涙が溢れた。どうしてその時涙が溢れたのか今でもわからない。
でも、その時の私にはこの言葉はとてもパワフルで、強烈なインパクトがあった。


そして、私は。。。

「自分のために自分が後悔しないために、自分のための人生を考えていいじゃないか」

という結論に至り、昼寝から起きてきた相方に「子宮を温存することにした」と打ち明けた。

相方は「JUNが決めたことなら応援するって言ったからね、それで先生に話すの?」と問われ「YES」と回答。
「じゃあ、もうすぐ手術も近いから先生が駄目って言ってもいいんだね?」と問われても「YES」と回答。

そうして相方の同意を取り付けて、私は8月の術前検査のおりにお話をして「子宮筋腫核出術」という手術法で手術を受けることが出来た。
(参考:子宮筋腫と卵巣嚢腫を取ってきた 第7話~2019年8月、術前検査~

結果的に手術にあたってはY先生やR先生にとてもご苦労をおかけしたのかもしれない、と思う。
でも、そうだとしても今私がいろいろなことで、心身がしんどくなっていたとしても、この選択に一切の後悔はない

おしまい

最後に繰り返すけど、あくまで私が決断に至った経緯であって、元から医師と家族と話し合って決断が決まってる人は、こういう考え方もあるんだと感じてくれれば幸いである。
また、私のように二つに一つで悩むようなことあれば、こういう考え方もあるよ、って思ってくれると有り難いと思う。


次回!
Another Episode.7は、子宮筋腫が分かるまでに感じたことってどんなこと?っておはなし

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